▲黄泉戸喫 ヲルヘン(2)


 目の前に翳された鈍く光るナイフに、全身を切り刻まれて私の目の前で息絶えた女の最期を重ね嗚呼と少しだけ安堵した。
 死ぬ事にはかわりないが焼かれてもがき苦しみ悪戯に内臓を傷つけるよりは、一息に刺し貫かれた方がマシだと霞む視界に映るそれが私に振り下ろされるのを待ち侘びる。
 もう身体に感じる痛みからも絶望に心を砕かれる苦痛からも解放されてしまいたかった。

「……ッ」

 一閃、そしてぼた、ぼたと私の頬に滴る赤い体液に、ウウと枯れた喉から絞り出すような声が零れた。
 ソレは私ではなくウォルターの掌を真っ直ぐに切り裂いて、自らの身体に深い傷をつけた彼はうっとりとした様子で自分の血に染まった手を翻し私の目の前に差し出してみせたのだ。
 止まる事なく滴る血潮が、彼の爪の先から私を侵食していく。
「もう少しの辛抱だ、ヘンリー」
 蕩けたピジョンブラッドの滴りは重力に従い私の薄ら開かれたままの口唇を濡らし、むっとする鉄の味で口腔内をいっぱいに満たした。
 ウォルターの血の味だ、と混濁した意識の中脳が理解するがもう吐き出そうという気すら起きなかった。
 与えられるままに従順に飲み下し口の端から零れ落ちた真紅の筋が白いシャツに染み込む様をぼんやりと眺め続ける。
「冥府の柘榴の味はどうだ?」
 不味い。正直に眉を顰め嫌そうに血に濡れた舌を出すと、ウォルターは嬉しげに笑って組み敷いた私をまるで人形でも扱うかのように独り善がりに抱き寄せた。
 そして、彼の笑みにこの先の紅い闇の中にあるものが無に還れる死ではないことを知らされた。
 ああ私はどこまで愚かなのだろう死者の世界のものを口にすればあちらによばれ二度と現世に戻る事は出来なくなるという黴の生えた昔話をこんな時に思い出すなんて、最悪の気分だ。



「ようこそ、ヘンリー・タウンゼント」
 嬉しくて堪らないといった様子で私の肩口に顔を埋めたウォルターが喉を引き攣らせ嗤う。
 絶望を煽るようなその狂気染みた不快な笑い声にうぐ、と動かない身体を震わせるがそんなものは些細な抗議にもならず、私の喉に張り付いている僅かな肉がゆっくりと愛撫されるようにウォルターに噛まれ、引き千切られ咀嚼され呑み込まれる痛みを為す術も無く甘受する。
「がッ……は、……」
 死人の血を啜った私と生きたままの私を喰らうウォルター、互いの世界に捕らわれることで自分が彼と同じものになってしまうことに私は底知れぬ恐怖を感じた。
 人の歯では犬のように噛んだだけで容易に切断する芸当などできやしないから、限界まで引き伸ばされた皮膚がみちみちと軋む不快感に気が遠くなっていく。
 血肉を包むしなやかな皮を裂くには相当の力が必要だということを自らが喰われる事で初めて知るなんて……


 現世と常世のどちらにも居場所を無くすような大罪を犯した子でも、母は愛してくれるものなのだとウォルターは私の血と脂にぬれた口唇をつりあげて笑った。


 力任せに食い千切られた私の喉笛からごぼりと溢れた血を、甘い蜜を啜るように無我夢中で貪る男の頭を抱きながら
いつの間にか、折られた筈の両腕に感覚が戻っていることに気がついた。

(21 Sacraments)

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