mirror ヲルヘン(2)


「幼きウォルター、もうすぐで終わるんだが…、その、もう少しだけ我慢できないだろうか」
「無ー理ー、漏れちゃうよ」
 絶対無理、とべそをかきながら内股を擦り合わせるようにむずがる幼子の両肩に手を乗せ、ウォルターが若干狼狽しながらこちらに視線を向ける。
「ヘンリー、悪いがお前を殺してやれる時間が無さそうだ。そこに自分で飛び込んではくれまいだろうか」
「どういう極論だよそれは」
 そこに、と顎を杓って血の池を示すウォルターに、眉間に手をあてて悪い冗談はやめてくれと首を振るがその間も幼いウォルターのぐずる声は大きくなるばかりだ。
「ならば此処に私の拳銃と鉄パイプがある、好きな方で自殺しておいてくれ」
「しておいてくれじゃないよ、横着にも程があるし普通に嫌だよ……。そもそも何で私が死ぬ方向で結末が決まっているんだ」
 そこで「え、違うの?」とでもいうような顔をしないでくれ。
 目標に向かって全力で突っ走るこのアグレッシブな死人の、自信が一体どこから湧いてくるのか心底不思議に思う。
 本当ならばアイリーンの意識の混濁も酷い今、一刻も早く決着をつけてこの悪夢を打ち払い平凡な尊い現実を取り戻したい所なのだが、幼子の悲痛な泣き声を無視し続けて話をすすめるのも…何だか勝っても負けても後味が悪い。

 途方に暮れたような顔でビィビィと泣く幼い自分自身をあやしているウォルターの傍らに私もよっこいしょとしゃがみ込み、小さな頭をぎこちない手付きで撫でながら出来るだけ優しい声で話しかけた。
「我慢できない?無理かな?一人じゃトイレいけない?」
「だって、ママが起きてくれないと入れないもん。僕だけじゃ無理だもん」
 儀式が完遂されるまではあの部屋と外の世界を行き来できるのは私だけじゃないか、そう言いたげに口唇を尖らせ大きな目を潤ませる子供のウォルターにううっ…と言葉に詰まる。
 その上小さな手に、助けを乞われるようにシャツの裾をきゅ、と掴まれてしまっては今更無関係を装う事も出来ない。
 どういった理由であれ私を頼る幼子の手を振り払うなどどうして出来ようか。

 苦渋の決断としては、手っ取り早くこの部屋でどうにか済ませるという手もあるが…。
「…用を足した後でかき混ぜてしまえば誤魔化せないこともなさそうだが」
 ぼそり、と呟いた大人のウォルターも同じことを考えていたらしく、私とウォルター二人の視線が同時に中央の血の池に向けられる。
 が、しかしそこには胸まで血の池に浸かった状態で足を止めたアイリーンが鬼の形相で、こちらに向かい両腕をバツの字にクロスさせて「断固拒否」を示している。
 ここで私達の案を強行した場合、私とウォルター二人ともアイリーンにハンドバッグで撲殺されるのは火をみるより明らかだろう。
 諦めてアパートの中で他にトイレが使用可能な状態で、異界に呑み込まれていない部屋があっただろうかと記憶を辿るが残念ながら今まで通ってきた道のりにそれらしい部屋は残っていなかった。


 八方塞の状態にはぁ、と溜息を吐いて、仕方ない、一度私の部屋に戻ろうと幼子の手を引き歩きだそうとする私の背後で、ウォルターが嘆きの声をあげがっくりと膝から崩れ落ちた。
「どうしてそう我慢がきかないんだ、これでは私の計画が台無しではないか幼きウォルターよ…」
「ウォルター、子供相手にそんな事言ってもしょうがないだろう?この子だって限界まで我慢した末の事なんだろうから…ほら、君まで泣かない。鼻水も拭いて。」
 目の前で泣きじゃくるソプラノとテナーの同声二部合唱にやれやれと眉を顰め、幼子を背負ったうえで手のかかる大人の方の背も叩いてゆっくり立ち上がらせる、…一体私は何をやっているんだ。
「漏ーれーるー、ママー、ママー」
「はいはい…」
 最後の最後で自分自身に儀式の邪魔をされたのが余程ショックだったのか、立ち上がってからもぐずぐず鼻を啜っている殺人鬼の手を引きながら早足で上階に戻る手段を探す。
 大人しく手を引かれながらの大人ウォルターが俯き小さな声で呟いた「ヘンリーがママか……悪くない」という身の毛もよだつような言葉は聞こえないふりをした私の背に、じんわりと生温かい湿った感触が広がるのを感じて
ああ。洗面所が使えない今、願わくばキッチンの水道が血ではなく水を吐き出してくれますようにと、 今はそれだけを切実に願うのだった。



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