un cauchemar シン&ヘン(4)



「シンシア?」
「ううん、何でもないって言ってるでしょう。なんだかちょっと疲れたみたい」
 額に手を当てて力無く左右に首を振る。
 そんな私にヘンリーは心配そうな目を向けてくるが胸の奥から湧いてくる吐き気と「思い出してはいけない」という警鐘を鳴らし続けているような頭の鈍痛に、それ以上何も話したくも考えたくもなかった。
 自分の不調を誤魔化すように手当が終わったばかりの腕を解放し、放し際に手の甲を音を立ててペチンと叩いてやればヘンリーはアオ、という情けない声をあげて仰け反る。


「怪我を隠してまで他人を庇わなくてもいいのに、馬鹿だわあなた」
 残りの絆創膏を片付けながらぼそり、と呟いた私に彼はまた苦笑いを溢して、静かな湖を思わせる優しげな色を湛えた瞳を細めた。
 他人なんて普段は甘い言葉を吐き散らかす癖に、肝心な時にはあっさり相手を見捨てて自分だけ逃げ出すものだって相場が決まっているのだからそんな自己犠牲は草臥れ損でしかない。
 心の底から他人を、男を信じたりなどしたら馬鹿をみるのは結局自分なのだ。
 だから自分だって利用できるものは利用して、邪魔になれば頃合いを見て捨てる生き方を選んできた筈なのに。
「ねえヘンリー。あなたってさっきの私の話も全部鵜呑みにするタイプでしょ」
 さっきの?と首を傾げて聞き返すヘンリーにふうっと呆れたように溜息をついて、「私が呼べばいつだって高級車に乗った男達が送り迎えしてくれるって話」と
つい先程一方的に話した自慢話の事を示すと彼は思い出したようにアァ、と相槌を打った。案の定、疑いもせずに素直に呑み込んでいたらしい。
「そんな都合の良い話、本当だったらこんなもの持ち歩いてないわ」
 自嘲気味にそう言いハンドバッグの奥から引っ張り出してきた地下鉄の定期を見せつけるように振ってみせると、ヘンリーは何も言わず困り笑いのような表情を浮かべた。


「男なんて自分の立場が悪くなるような事があれば平気で女を見捨てるんだから。命にかかわるような事なら尚更、映画やドラマの中でもない限りこんな事はありえないの」
 だからあなたみたいなヘンテコな男が居るこの世界は夢に決まってる。そう断言する私にヘンリーはうーん、と困ったように唸り、喉に詰まった言葉を探すように視線を泳がせる。
「夢の中のあなただって、もし私が本当に危なくなったら真っ先に逃げるに決まってるんだから…」
「逃げないよ」
 私の言葉を突然遮った彼の声は、今までのぼんやりした雰囲気が嘘のように余りにも凛としていたものだから、思わず息を呑んで続けるべき言葉を忘れてしまった。
「何でそんな事言えるのよ」
「逃げないから、大丈夫。もしはぐれたとしても私は必ず君を見つけるから」
 だから安心して、と結ばれた言葉に、ただぱちぱちと瞬きを繰り返すことしか出来ない。

 若干噛み合わないやりとりだったが真っ直ぐにこちらを見つめてくる瞳は真摯なもので、例え夢でもその言葉を信じてみようかと思わせる不思議な力を持っていた。
「…そうならばいいけど」
 嫌味のようにそう吐き捨て、先にたってスタスタと歩き出す私にヘンリーが慌てたように傍らに立てかけていた鉄パイプを拾いもたもたついてくる。
「早く出口をみつけてあなたを私の夢から追い出さなくちゃいけないわね」
「…手厳しいなぁ」


 背後で困り顔のまま頭を掻いているであろう彼を想像しながら先をいく私の紅い口唇は、自然と笑みの形に弧を描いていた。



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