un cauchemar シン&ヘン(3)


 それにしても夢なのに肌寒いのが妙にリアルよね、出口の無い迷宮のように思えてくる駅構内を歩きながらそう言った私の言葉に前を往く彼、ヘンリーは眉を顰めて「だから私のシャツを貸そうと言ったのに」とぼやいた。
 御親切に、ありがとう。でもその後に続いた「ちゃんと洗濯はしてあるよ…洗濯機が動いてた5日前に」という謎の言葉は生憎聞き逃さなかったわ。
 ぱっとみたところ綺麗な白色なのだから5日前から毎日着ているわけではなさそうだけれども、そういう問題ではなく人の好意は無闇に受け取らないことにしているのだ。

 ヘンリー・タウンゼントと名乗った男は終始こちらの一方的な話に相槌を打つばかりで、だんだんオウムか何かと話をしているような気分になってくる。
 普通、男だったら自分がいかに良いポストに就いているか、将来を期待されているか素晴らしい車に乗っているかを聴いてもいないのにべらべら喋り掛けてくるものだと思っていたから
何だかずっと自分のペースを狂わされてばかり。
 一頻り話し終えて溜息を吐けば、私の話の節目を読んだのか遠慮がちに彼が口を開いてきた。
「その、シンシア、君はどうしてこれを夢だと思うんだい?」
「薬をやってセックスした事ない?その調子だとなさそうね、そういう時って可笑しな夢見ることもあるのよ」
 はぁ…となんだか間の抜けた声で相槌を打った後、ヘンリーは耳の後ろを掻きながら困ったような顔で「そういうのは良くないと思う」と遠慮がちに私を咎める言葉を紡いだ。
 誠実が服を着て歩いているような男、といえば聞こえはいいかもしれないが本当に生真面目すぎて面白味のない、ジュニアハイスクールの先生みたいだわ。
 こんなに魅力的な美女が隣を歩いているというのに相変わらず眉ひとつ動かさないなんて。あなたもしかしたら不感症なんじゃないの?そう皮肉を込めて言いながら挑発するようにずい、と顔を近付ける。
 そうしてはじめて私はそれに気付かされた。

「ちょっと…あなた、それ」
「はは…、本当に不感症ならこれも痛くないのかもしれないけどね」
 馬鹿言ってるんじゃないわよ、そういうのは不感症じゃなくて無痛無汗ナントカって言うのよ。
 予想していなかった出来事にヒステリックに声を荒げた私は、袖口から幾本もの赤い筋が伝っている彼のシャツを無理矢理肘まで捲り上げその下に隠されていた惨状にアァ、と思わず天を仰いだ。
「あの変な犬?それともどこかで引っ掻いたの?あぁもう、何で早く言わないのよ馬鹿ね、こんな所で破傷風にでもなったらどうするつもり?」
 噛み痕ではなさそうだが、それでも本当ならば一刻も早く傷口を洗うか消毒した方がいいに決まっている。
 赤い血を皮膚の内側からじゅくじゅく滲ませ続けているその痛々しい傷跡が夢だとはいえ余りにも見ていられなくて、ハンドバッグの中から絆創膏を引っ張り出して黙々と応急手当する私にはじめは渋っていた彼も
おとなしく腕を任せてくれた。


「…すまない」
 あら?
 地下鉄の駅、絆創膏、そして目に映る光景に幼い頃の自分自身がフラッシュバックして重なり思わず血を拭う手が止まった。
「…?」
「あ…何でもないわ。終わったわよ、お馬鹿さん」


 昏い地下鉄の駅、頬に酷くぶたれたような傷を負って俯いている金色の髪の幼い男の子、その子に絆創膏を差し出す幼い私。
 あれは確か夜の仕事に出かける親に連れられて、大人達でごった返すこの構内を人混みを縫うようにして歩いていた私が見つけた自分と同じぐらいの歳の子供だった。
 小さな頃から勝気な性格だった自分はむっ、と頬を膨らませたまま初めて会うその子に絆創膏を押し付けて「感謝しなさい、あんたにあげるわ」とだけ声をかけたような気がする。
 どうしたの、泣かないでなんて可愛らしい言葉は柄じゃなかった。
 そういえばあの後、どこかであの子と再び会ったような気がするけれども其処から先の記憶は一面霧がかかったように霞んでよく思い出せない。


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