▲第二夜 ヲルヘン(3)


 涙交じりの声で叫ばれたヘンリーの糾弾に、眩暈を起こした時のように視覚が捉える景色が揺れ、暗転する錯覚を覚えて私は無意識に2、3歩と後ずさった。
 最低、顔も見たくないなどと彼に言われたのは初めてで、その一息で紡げるような短い言葉にこんなにも心臓を酷く締め付けてくる力があるなど思いもしなかった。
 幼い頃施設の大人に殴り付けられた時よりも何倍も酷い胸の痛みに私は唖然として、寝台の脇にがっくりと膝をつく。
 ああ、今回ばかりは完全に嫌われてしまったかもしれない。もうお仕舞いだと後悔に項垂れる己の耳に、今度は切羽詰まった最愛の人の声が響いた。
「うわぁぁぁッッ、ウォルター、ウォルター!ちょ、なんとかしてくれ!」
 ナントカ?ナントカとは一体どういうことだ。本音をいうと心に受けたダメージが深刻すぎて暫くこのまま蹲っていたい気分だったが、一刻を争うようなその声にだらだらと身を起こしてそこで目にしたものに自分の目を疑った。
 なんと、先程までは確かに胞子のままおとなしく土におさまっていた筈のトードストゥールが、今は白いシーツの上で四方八方触手の如く蔓延り、悠々侵食を広げているではないか。
 よくよく見てみれば脅しに使うだけのつもりだったコップ半分ほどの水、これでシーツの端に飛沫を飛ばしてしまったことがこの事態を引き起こした元凶らしい。
 先程よろめいた時にうっかり手を離してしまったのだろうが、まさかこれっぽっちの量でここまでの成長を遂げるとは…自分が作り出したとはいえ異界の生物恐るべし。
 生態を完全に把握していたと驕っていた自分をも驚かせる程の強靭な生命力に冷や汗を拭いながら未だ伸び続ける茎の一つを鷲掴みにした。
 瞬間、じゅ、と焼鏝を押し付けられたような痛みが掌全体を蝕んで、手の中のぐにゃりとしたトードストゥールの感触が一瞬で霧散する。
「ッ・・・」
 想像はしていたがやはり直接触れれば、私とて特別なわけではなく異界の生き物が持つ瘴気で傷つけられてしまうのだ。
 灼けた鉄塊を掴んだかのように薄皮を容赦無く焼いたそれを掌を翻して確かめ、その様子を見て青褪めるヘンリーにすまない、と力無い笑顔を無理矢理つくり見せて弁解の言葉は全て呑み込んだ。
 本気ではなかったとはいえ、脅しでもこんなものをけしかけようとした自分の愚かしい行動を深く悔い、残りの茎も全て素手で引き千切り寝台の外に放り出し終えた頃には、
私の両手は幼い頃凍傷になりかけた時のように赤紫に爛れ腫れ上がってしまっていた。

「ほ、解いてくれはやく。ウォルター、はやく!」
 ギシギシと寝台が軋む程に身体を激しく捩り悲鳴のような声をあげるヘンリーに、私はまた謝罪の言葉を紡ぐタイミングを遮られてしまったが、まずは彼の望むように拘束を解くのが先かと沈んだ表情のまま両手、両足の戒めを解いてやった。
 こんなことをしたのだ、殴られても仕方がないなと覚悟はしていたが、予想通りヘンリーが飛び起きて私との距離を一気に詰めてくるとやはり「怖い」という感情が先に来て反射的に目を瞑ってしまった。
 なにも暴力が怖いわけではない。そんなものは幼い頃から日常的にふるわれてきた事だし、それによって齎される痛みなど一時的なものでしかない事は今までの経験がそれを証明してくれる。
 正直、今自分が感じている怖さが一体どこから来るものなのか、未だ私には分からない。

 身を強張らせ瞳をぎゅ、と瞑ったまま暫く息を詰めていたが、覚悟していた頬の痛みはいつまで経っても襲っては来ず、そのかわりに痺れた己の両手を上から包むように被せられた、一回り小さな手の感触に私は恐る恐る瞼を開いた。
 そこには珍しく怒りを露にした表情でこちらを睨み上げてくるヘンリーの姿があり、しかし彼の両手が私の手を庇うように包み込んでいる様をみて漸く言えなかった謝罪の言葉を吐き出す事が出来た。
 すまなかった、もうこんな馬鹿なことはしないと言いながらも後ろめたさから彼の顔が直視できず、俯いたまま途切れ途切れ呟く私にヘンリーは無言で手当を施し、包帯でぐるぐる巻きになった両手をもう一度ぎゅ、と包んでくれた。
 不思議なことに彼の手が触れられる度に、その部分の痛みも痺れもひいていくような気がして私は子供のように首を傾げる。

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