経費で落としたものなので不要になったそれの処分に困り、ひとまず上司の指示を仰ぐために持って来ていた服を徹夜明けの同僚に見つかってしまったのがまずかった。
おお、と高らかに掲げ感動の声を出す彼と周りに群がってくる企画課の男共。
現在の所有者である私へぐるりと向けられた目を、失礼ながら冷めた視線で返すしかなかった。
先程そんなものここに置いておけないので持って帰れと言われたばかりである。

「名字、メイド服なんて着てたのか?」
「一度だけですけど」

へえ、と深い声があちこちから漏れてくる。そんなに珍しいものではないでしょうに、強引に取り返すのは彼らの熱を上げてしまいそうで私は飽きるのを待とうと机に向かう。
領収証の申請と報告書の纏め、これが終わったら今日は帰ろう。

「……ちょっと今着て見せてくれない?」
「お断りします」
「なあ、頼むよー!お前もそう思うよな?」

一人、また一人と頷く人が増えてくる。冗談じゃないと私がどんなに苦痛な表情を浮かべても数で勝負してくる彼らは微動だにしなかった。
疲労が溜まっているから癒しを求めているのは分かる。今度何か差し入れをしようと誓い、もう一度嫌ですと笑顔で拒否をすれば分かりやすく崩れていくので今度は私が聞こえるように大きい溜め息を吐いた。

「何かあったのか」

姿を見せたのは降谷さんと、迎えに行っていた風見さんだった。
救世主だ。私は最近降谷さんと頻繁に会えることが嬉しくて笑顔で駆け寄った。
降谷さんと風見さんならこの妙な圧力に屈したりしない。ついでにそのカリスマ性で部下たちの士気も上げてくれるだろう。

「名字にこれ着てくれって頼んでたんですよ。お二人も気になるでしょう?」

降谷さんと風見さんにそこまで言える彼に合掌。風見さんは真面目で勤勉な姿勢が主だし私はこの前降谷さんに怒られたばかりだからよく分かる。これこそ警察庁には相応しくない服装だ。
チャラチャラして危機感のない格好で浮かれる姿なんて他の課に見られたらどんなバッシングを食らうか。

「名字、着換えて来い」
「……降谷さん?」
「聞こえなかったのか」

ほら早く、そう言って彼は私の机に腰掛けた。完全に逃げ場を失くされたこの状況。

「降谷さん、メイド服はこの場にはちょっと似つかわしくないと思うのですが……」
「俺がいるから何の問題もないだろ」

監督責任を果たすから他の男共が良からぬことを犯すことも考えにくい。
ぐぐぐ、と戸惑いが怒りに変わっていくのだが所詮降谷さんに勝つことは出来ないと自負している。
大人しくここから一番近いトイレに向かうことにした。背後で聞こえた「さすが俺たちの降谷さん!」とか「姫のツンデレメイド!」とか色々叫ばれたので、上下関係無視で現実はそう甘くないことを教えてあげようと思う。

「お気に召しましたか?」

へえ、と言ったのは品定めするかのようなポーズをしている降谷さんが筆頭だったか。そもそもメイドなんて空想上のものでしかなく、私がしているのはコスプレである。
本当この歳にもなってどうしてメイド服を着なくちゃいけないのだ。これっきりにしてもらいたいものであると頭を抱えれば、年上の男性から写真を撮りたいと言われたので私は絶対零度の笑みを浮かべる。

「撮ったらその携帯二度と使えなくします」
「いいじゃん一枚くらい。な?」

引き攣る表情を諸ともしないのはむしろ称賛である。娘との記念撮影ぐらいにしか思っていない忙しいパパさんに頼まれるとつい甘やかしてしまう。
とろけた顔を作ることも出来ず、肩を並べてカメラを見つめたら、携帯電話がひょいっと取り上げられた。皆の視線の先、降谷さんが「証拠は残せないな」と窘める。降谷さんに言われたら返された携帯は素直に仕舞うしかない。
代わりに穴が開くほど観察される目と質問攻めにあっていたら、やっぱり助け船を出してくれたのは降谷さんだった。他でもない私へ投げ掛ける問いかけが堪らなく嬉しくて足が自然とそちらへ向かう。腰掛ける降谷さんの上目遣いに悶えながら小さく作る微笑み。

「名字、そんな仏頂面で接客してたのか?」
「郷に入っては郷に従えです。ちゃんとやってました」

一日だけであったが中々貴重な体験をさせてもらった。お客さんと盛り上がったり客引きをしたりと好きじゃないと出来ない仕事であった。少なくとも私にはすべての人に優しく、喜んでもらえるように接するのは難しいことだ。

「今ここでやって見せて?」

降谷さんは自分の持ち味を分かっている。頬杖をついて上目に細められるのは有無を言わぬ口調。
唇から零れる色っぽい魅惑の声がちょうど私の胸辺りに刺さった気がして思わず身を捩る。
さすがの降谷さんに言われても、それに簡単に応えるほど私のノリは良くない。

「い、やです……」
「俺のバイト姿は見せたのに?」

それもサービスだと言いたげに。自身の首を絞める行いを降谷さん相手にしたことを本気で後悔する。わりと本気で根に持っている気がしてこんなことで済むなら安いものだろうと言われているようだ。
観念して習った言葉を紡ぐ。ただそれだけのことなのに、じっと降谷さんに見られているとすごく居心地が悪い。顔を寄せれば彼との距離が近くなって、特別だと少しだけ意地を張る。

「お帰りなさいませ、ご主人様」

ちゃんとお客様用スマイルを浮かべられたかな。
ぱちくりする大きな瞳、その下の褐色のほっぺたに人差し指を突き刺してこの空気から逃げたい。ふっと歪めた口から出た言葉。

「合格」
「うう、なんか違う気がします」

熱くなる顔を隠してそっぽを向けば、当たり前のようにこちらに注目していた課のメンバー一同。
先程のやり取りをすべて含めて彼らは口を揃えるのだ。

「お前らってまだ付き合ってないのか?」
「まだって何ですか」
「そんなことしたら降谷さんのファンに殺されます」

私達は互いの存在が特別だと分かっている。誰も近付かないでと周りにアピールしているように見えるのも自然なこと。盲目的に、お互いのことしか考えられない。久しぶりに会えば溝を埋めように近付くのに、その関係は相変わらず平行線。
ねえ、早く踏み出そうよ。怖いのは二人とも同じである。

「名字、ちょっといいか」

着換えを終えてまた談笑をしていたとき、上司から呼び出される。
彼を見て私の顔からスッと笑みが消えたのを降谷さんは気付いていたのだろう。

「名字?」
「降谷さん、お疲れ様でした。私は打ち合わせが終わったら直帰します」

時間は永遠ではない。
もしもの世界で生きている私達が後悔しない道は一体どこにあるのか。
全部君を守るためだよとエゴを押し付けているからきっと、お互いに自分の気持ちを告白しないのだ。

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