初めから私は今日一日を無事に過ごせるか不安になった。
まず降谷さんがいつものRX-7で迎えに来てくれて、そのスマートさだけでもう天にも昇る想いなのに着こなす服装がすごく格好良くて、私のことも可愛いと褒めてくれてポポッと簡単にリンゴになってしまった。
気付いている彼に笑われて私が慌てて話題を逸らして、そんな風に楽しく車内で会話をしていたらすぐに遊園地に到着してしまった。まずは仕事、と言い聞かせてチェックしてきた見取り図をこっそりと確認する。
覗き込んでくる影、至近距離に感じる体温が愛しい。仕事であるというのに、欲が出てしまう。

「あの、一つ我儘を言ってもいいですか」
「言ってみろ」
「外ですけど、いつものように呼びたいです」

危険な仕事であることは分かっている。でも私が過ごしてきて憧れの人は降谷さんだから。
安室さんとして接することが正しいのは百も承知だが、どうしでも降谷さんと仕事がしたかった。
私の申し出を意外だと言う彼に首を傾げる。

「てっきり、手でも繋ぎたいって言うのかと思ったよ」
「そ、そんな大胆なこと……!」

口が滑った。塞いでももう聞こえてしまったとドヤ顔をする降谷さんに手を取られた。温かい温度に包まれて人の波に攫われていく。

「あと今日は零って呼ぶこと。いいな?」
「零、さん」

安室さんの時に言われたことを思い出す。恋人役、まさに隠れるには最適であるがこんなに赤面している私が隣にいて大丈夫であろうか。零さん、零さん。くすぐったい響きに笑ってしまう。
すっかり舞い上がってしまっている私を連れてやっぱり上司らしく指導権を握る降谷さんがあっちへ行こうと言う。
まずは非常口の確認と言うことで、展望台まで向かうエスカレーターに乗り込んだ。押してくる人の力に抗えず私達はどんどん奥まで押しやられてしまって、気付いたらすぐ近くに降谷さんがいた。

「っ……!」
「では上へ参ります」

エレベーターガールに見送られて扉が閉まる。ぎゅうぎゅうになった箱の中、私の心臓の音がやけにうるさく響いていた。私の後ろは壁で、目の前には向き合った状態の降谷さんがいる。支えになるように壁についた手が私の顔のすぐ隣を通過していて、これは所謂壁ドンなんじゃないかと馬鹿なことを考えていた。
そっと降谷さんの様子を窺えば、視線をどこに置いていいか分からないような顔をしていた。その表情はあまり見たことがないぐらい戸惑っていて、ゆらりと赤が差している様。凝視しているのが恥ずかしくなって下を向けば、胸元が彼の胸板とくっ付きそうなほど近かった。
次の瞬間、降谷さんの後ろの人が動いたようで彼の身体が前に倒れこんだ。もちろん私の方にである。わっ、と小さい悲鳴。唇はくっ付きそうな寸止めだったが、身体は触れ合ってしまった。ドキドキ、伝わっているのだろうか。
空気に流されるようだ。降谷さんの手がゆっくりと落ちてきて私の腰を引き寄せた。恋人同士みたいなやり取り。
降谷さん、呼んでしまった名前をこんな時でも意地悪に諭す。

「……黙って」

軽快な音と共にエレベーターが最上階に到着する。ぞろぞろと降りていく人達を優先させ、私達は少しだけそのままの体勢でいた。誰にも聞かれていなかったといいな。彼の低音ボイスを堪能するのは私だけでいい。
彼も離れようとしないから、私は一つ勇気を振り絞る。

「このまま時間が止まればいいのに」

留まっていればずっと、なんて。俯く私に何か声を掛けようとしたのだろうか、降谷さんが息を吸い込む音と、外から掛けられた声が同時に聞こえる。

「お客様?」
「あ、すみません!下ります!」

ハッと我に返った私が先に逃げ出したなんて愚かな話だ。仕事中だと言うのに何を考えているのだろう。
降谷さんだってそういうことは嫌うはずなのに。改めて気合を入れ直して調査を開始しようと振り返れば、降谷さんが非常口を指差して歩き出すので私もそれに続く。公安だという証をスタッフに提示して冷たい空気が漂う薄暗い踊り場に並ぶ。

「零さん、では順番に」
「その前に、いいか」

返事は待っていなかった。降谷さんの意図が掴めなくて現実に頭がついていかない。
今まで避けてきた道、枷が外れてしまったみたいにきつく抱き締めらている。

「降谷さん……?」
「俺もだよ」

一旦離されて、しっかりと目を見ながら口説かれる。

「名字にずっと触れたいって思ってるから」

伸びてきた手が私の頭に添えられて、もう片方は先程みたいに腰に回されてぐっと寄せられる。
これは夢なのだろうか。ゆっくりと頬に下りてきた指が私の顎をくいっと上げた。
私達はいつも順番を間違ってばかりだと冷静に考えられたのは、少し下で非常口から入ってきた男達の声が聞こえたからだ。

「早くしろ!逃げられるぞ!」
「はい!」
「……様子、見てきましょうか」
「……そうだな」

仕事モードに無理矢理入った私達は慌てる彼らに話を聞き、追っていた万引き犯逮捕に貢献した。
そしてその後は順調に仕事を熟し、いつものように近い距離で遊園地デートを楽しんだ。
急ぎすぎたことは分かっていたから、私達は手も繋がないし抱き合うこともしなかった。
適切な距離を保って愛を飛ばしながら隣を歩く。ああ、これでも十分だ。幸せだ。

「楽しかったですね」
「ああ」

言及することもなく夜の道を走り続ける帰りの車の中。
忙しい中付き合ってくれたことにもう一度お礼を言えば、降谷さんはやっぱり優しく「今度は仕事じゃなく行けたらいいな」と希望を述べる。そうですね、と賛同する。
いつでもそう、直接的なことには触れられないから相手の出方を見るような卑怯な手しか使えない。
でも私には一つの予感があるんです。思っているだけでは伝わらない。
私の家の近くに差し掛かる。ちょうどいいタイミングを狙う私だっていつまで経っても憶病者。

「月が綺麗ですね、降谷さん」
「……えっ……ああ、そうだな」

さすがに降谷さんも知っていたのだろう。驚いた後に平静を保つ彼へ微笑みを一つ。
停車する車から降りて、最後を締めくくるお礼を言って、沈黙を飲み込む。
ここで言わないと、と絶妙な流れを紐解いていく。

「さよなら、降谷さん」

扉を閉めて去っていく。後ろは振り向けないから降谷さんがどんな顔をしているのかは分からない。
これでもう、私は大丈夫だ。明日は綿密に計画を練るしかないから、今日は早く寝るとしよう。

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