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向こう側はどんなに楽しい場所なのだろう。ぼんやりと外を眺めていた私に自由などないと言う、短く切るように呼ぶ声。完璧な笑みを浮かべ、駈け寄るテンプレは崩せない。
命令には絶対で、私に逃げるという選択肢は与えられていない。流すように注いだ透明な液体はご主人様の手を伝って地に落ちる。下町では水不足で皆が悩んでいるというのに、ここだけが別世界のようだ。包まれて、操る側の存在になりたい。羨ましげに見つめる視線を受け止めてご主人様が笑う。水は自由の象徴で、私の憧れだ。

「お前も浴びるか、名前」

首を振れる生活。私は全然マシな方なのだが、ここにいる限り、彼の傍に居る以上は、鳥籠の中から抜け出せない。ご主人様みたいにずっと座っているなんて冗談じゃない。
私の私のしたいことを。好きなときに舞って、型に囚われたくない。

「踊れ」

ご主人様専属の踊り子としてこの王宮に居させてもらっている私の待遇は他の子よりもずっと良い。奔放で自分勝手なご主人様、凛様は私に良くしてくれる。立場は違うが、まるで友人と接するような態度で向き合う。まあ、潤いが欲しいと零した私に何の悪気もなく水を掛けて笑うぐらいには無邪気で、憎めない人だ。
でも私には、ずっとやりたかったことがある。大事なものをそんな風に扱うなんてと非難されようとも。凛様のお傍を離れないという約束を、破ってでも。
だから私は今夜、決行することにした。どんな罰を受けることになろうとも、すべてを帳消しにしてしまうようなことを、この私が。

夜の水辺はひどく閑散としていて、恐怖心さえ煽るような温度だった。王宮近くのこの場所は私がずっと眺めていて、渇望していた光景。
顔を隠していた布を外せば、砂を運ぶ風が私の頬を撫で、髪を揺らす。薄らと光る月の輝きがより幻想的で、演出には十分すぎるほど魅力的だ。
胸を押さえながら沈めていく身体は、想像していたよりも私を深く咥えこんでいった。逸る身体を冷ましていく水の重さが心地良い。思い描いていたよりもずっと大変かもしれないが、やっとここまで来られたんだ。

腕を振り上げる、身体を捩る。コツを掴んできて、飛沫が舞う夜空を楽しむぐらいの余裕が出来た頃だった。
砂浜を踏む音がやけに響いて、私は弾かれたようにそちらを向いた。
ラクダを引きながら、じっとこちらを見る青年は、王宮の人間ではないようだった。だが、こんな時間に外をうろつく人など珍しい。抜け出してきた私に楽観的な妄想など築けない。
友好的な会話など築かれるはずはなく、相手の出方を伺うように無言で見つめ合う私達。やがて、彼はそっけなく言葉を放ったのだった。

「続けて」

言いながら、彼は自分の服を抜き始めた。ぎょっとした私を前に、顔色一つ変えずに泳ぐ体勢を作り出す彼。彼もまた、私と一緒。一つのことにか興味がなくて、それを前にしたら夢中になってしまって。
水と共に私は踊る。彼は泳ぐ。つまりはそういうことだ。
二人でいる意味など皆無で視線が交わることはない。それはお互いが相手を盗み見るようなことをしているからで、タイミングが合うこともない。
跳ねる音を聞きながら没頭している私達は、それでも一人ではないことだけは感じていた。

「俺は、遙」

立ち尽くして長い感嘆を吐き出した頃、またも彼は短く自分の名前を言った。クールな印象と垂れる水をそのままに、眼光を受け取ることは出来た。
返すことへの戸惑から守るように濡れる身体を抱きしめる。内緒の密会、共犯者。甘美なワードとシチュエーションに酔ってしまいそう。

「私は……」

でも知っている。人生はそんなに簡単なものではなくて、計画通りに進むものではない。約束の出来ない逢瀬では、もう二度と会えないかもしれない。
今夜のことをずっと覚えていたいのは私だけで、彼は泳げればそれでいいと思っているのではないだろうか。
水の音、匂い。魅了される君のすべてが私を離さない。

「次に会ったときに、教えて」

それでいいからと、いとも容易く取り付けてしまう。

「君の名前」

物語みたいな展開で、縛りつけない結末はフリー。
なのに、不思議だね。きっとまた会いにきてしまう。

「また会えることを祈って」
「ああ」

身体を拭く彼に頭を下げ、私は踵を返す。
重くなった衣服でも気分は良い。王宮に着くまでに乾くはずないのに、後先考えて不安になるのは馬鹿らしいと思えるほど堂々とした気分だった。
今度会ったときは、お互いをちゃんと見つめよう。私は彼の泳ぎを、彼には私の踊りを見てもらおう。盗み見ではなく、真正面から。そして拍手を送ろう。
遙、と彼の名前を呼んでみる。伝えらなかったことを残念がるシーンのはずなのに、私は嬉しかった。最後に彼が呟いた言葉が私を指しているとしたら。
反芻するそれはとてもきれいな響きで、私がずっと欲しかったものだった。






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