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わざと足音を立てて走っていく演出なんかを私がしても意味などないのだが、受け止めてくれるあの人がいるだけでここはメインステージになるような気がする。
私が彼の腰に抱き付いた瞬間にスポットライトが当たり、待っていましたと振り向くのだ。

「ゆっかりさーん!」

彼の黒いコートで視界がいっぱいになる幸せ。いつも良い匂いを漂わせ、妖艶な雰囲気にくらりとしてしまう。あら、と目が合った紫さんへ、特に用もないくせに彼の名前を呼び返す。
傍から見たら妹か幼児が甘えているようにしか見えないだろう。悔しいな、私は紫さんの恋人になりたいと言うのに。でもいまいち捉えどころのない紫さんには交わされてばかりだ。
好きですと毎日伝えてもありがとうで終わり。たまに機嫌が良ければ私も好きよと言ってはくれるけれど、そんな思い付きの言葉じゃ嬉しくない。ぎゅう、と腰にしがみつく力を強める。
こんなこと、彼にしか出来ない。オネエみたいなしゃべり方と、どうしようもない私の頭を撫でてくれる優しさに甘えきっている。中途半端な立ち位置で安心してしまうのは、あなたのせいでもあるんですよ。

「名前ちゃん、あんまり男にこういうことしちゃだめよ?勘違いされちゃうから」
「紫さんなら平気です!」
「男は狼って言うでしょ」
「私で良ければどうぞどうぞ!」

恋愛対象じゃないって分かってはいるからこその冗談の言い合いだと思っている。しょうがない子ねって困ったように笑うのはお決まりで、誤魔化しがいつか本当に意識してくれればいいって頼る私はずるいのだろうか。
少しはそういう風に見てくれればいいのにって冗談を本気で取ってくれる日を期待している。どこまでも紫さん任せだからきっと、反撃されたのだ。
薄く引かれた色の唇が歪められて、私をじっと見返す紫さんは何かを思案している顔付きだった。こうやって時間を置かれるのは珍しくて、とりあえず私も首を傾げながら眺めさせてもらった。
ところどころ跳ねた髪も切れ長の目も綺麗だなぁ。あと指も素敵なんだよね、と手袋の中身を透視していたら、まさにそのタイミングで動き始めた。人差し指が私の顎を掬い上げて、ぐっと至近距離で目を合わせられる。
うわ、と姿勢がぐらりと揺れた私を呼んでいたように支えてくれるから、彼の逆の手が私の身体に触れている。

「……ぱくっと食べられちゃってもいいのね?」

紫さんの口が大きく動く先で待ち構えている妄想は音を立てて崩れ去った。いつかそうなる日を夢見ていた瞬間だと言うのに、いざその時が来たとき上手い返しが思い付かない。いつもより低い声で脳内を刺激されて、食べられてしまうイメージが先行してしまった。どうぞどうぞと喜んで差し出すなんておこがましいこと出来るわけがない。かあっと沸騰しきった顔で立ち尽くす私を一通り楽しむように声を上げて笑う紫さんが、ゆっくりと離れていく。

「うふふ、そんな初心な反応が出来るなら安心ね。私の名前ちゃんは小悪魔になっちゃったのかと思ったわ」

そして今ならこう言える。是非とも勘違いしてください、こんなに積極的になれるのはあなた限定です、と。
必死の思いも届かない。鼻唄を刻みながら前を行く姿は舞台俳優みたいに様になっている。
いつまでも隣に並んでいたい私はまだその一言を伝えたことがない。触れ合いから芽生えればいいと思っていたけど、紫さんにはそんな小細工は不要なのかもしれない。

「紫さん、言っておきたいことがあるんですけど……!」
「何でも言って。私の可愛い名前ちゃん」

真っ向勝負。真剣に好きと言ったら絵になる彼はどんな顔をするだろうか。



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