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この人の前を歩くのは私の最大級の意地だった。襲撃されたらすぐに息絶えてしまうほど非力な私が遅れを取っている間にも、紫さんはステップを踏むかのごとく軽く片付けてしまう。彼の長身ぶりを促す足が、身丈程の剣が、震えの収まらない私の隣を風の如く過ぎ去っていく。
はあっ、と緊張の呼吸を整える時間は終了を意味している。後ろにいたはずの彼がいつの間にか私の仕事を終えていて、強張ったままの私を眺めて笑い掛ける。

「ごめんなさいね、またやっちゃったわ」

そう言って、私の自己満足を続けさせてくれるように歩みを止める。ぎゅっと剣を握りしめた私は気を取り直して再び彼の前に立つ。盾にさえなれやしない弱い私の精一杯を披露できる日はいつ来るのだろうか。次こそは、を繰り返してもう呆れられているかもしれない。

「名前ちゃん、私のことは気にしないで楽しんでいいからね」
「は、はい」

それはつまり戦闘を意味していて、準備体操ぐらいに相手をしている紫さんより先にどうぞ、と譲ってくれているのだ。1対1でやっとの私は、集団相手に攻め込まれたらジ・エンドだ。
競り合っている時に背後を取られたら、なんて、何度もシミュレーションしているのにいざ実戦になったら目の前の相手を倒すだけで一苦労。そういうときに後ろから助けてくれるのはやっぱり紫さんで、大丈夫の代わりに笑い掛けてくれて、また同じようなチャンスを与えてくれる。
出来の悪い弟子の面倒を見てくれる優しい人。私が命を懸けても守りたい人。ただし、私よりもずっとずっと強いこの人は、私がのんびり戦闘をしている間にアジトを壊滅させているぐらい一人で何でも出来てしまう人なのだけれど。

「少しずつ良くなってきてるから。ね?」
「……紫さん」

いつも通りに降り注ぐ優しくて甘い声音がいつの日からか、恐怖の対象になってしまった。捨てられるのは嫌だ。傍にいさせてくださいと出掛かった言葉を飲み込む。
紫さんはきっと、こんな弱い私なんて美しくないと言うだろう。せめて気丈に振る舞って死んでいく方がずっとずっと彼の理念に合っている気がする。

「もしものとき、私を置いて行ってください」

それは初めて零した弱音だった。これまで頑張ってきたけど報われない自分は足手纏いにしかならないと、言われないだけで紫さんはずっと我慢してきたはずだ。いつまでも弱いままの弟子を愛してくれてありがとうございます。最後ぐらい、私も精一杯散りますから。

「あなたの盾にもなれない弱い私じゃ、何にもなれません」

出来ることなら貴方と背中合わせで敵と対峙してみたかった。夢見るシチュエーションは用意されているのに配役が相応しくない。所詮主役になれないからしがみついてもいられない。
紫さんを見据えれば、ほんの一瞬だけ呆けたような顔をしていた。すぐにフッと浮かべた妖艶さのまま近付いてきて、私の前で腰を折る。近くなった目線に攻められるのが怖くて、伏せている間にそれは起こった。

「大切にしてるのよ」
「……え?え?」

直接的に見ていなくとも当事者だから分かってしまった。額を押さえる私と、唇の前で人差し指を立てる紫さん。
言わなくとも、お互いが自分で触れている箇所が答えだった。顔全体が熱くなる私を静めるように、彼はまた爆弾を落として、私の前に出た。

「さあ、もうひと頑張りよ。ちゃんと出来たら、さっきの続きをしてあげるわ」

額にキスをされて、それの続きってもしかして。
妄想が止まらなくて上手く歩けないし汽車みたいに蒸気が上がるみたいで、こんな格好悪いところ見られたくなかった。恋愛にうつつを抜かすなんて以ての外だから蓋をしていたと言うのに。
私が紫さんを思う気持ちは、単なる師弟関係の延長のつもりだった。

「ほら、行くわよ」

差し出された手を取ったとき、心臓がナイフに刺されているように痛かった。
これはもう間違いない。教えてくれた理由は内緒だなんて嫌ですよ、紫さん。



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