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作り物みたいにきれいなまま死んでいるのかと思って、俺は引き返すように隣のクラスを覗き込んだ。
天候が荒れるとかで少しだけ早目に切り上げた部活終わり。体育で使ったTシャツと、明日までに仕上げなければならない課題を忘れてきてしまった。どう考えても後者はついでなのだけれど、母さんも委員長も口煩いから、どうせなら頑張った姿勢だけは見せておこう。
雨が降るまで、少しぐらいなら坂を登って帰れそうだ。それで遅くなってまた怒られて、なんて。しょうがないよね、そこにあるんだから。
そんな俺の思考をあっさりと打ち破った存在は、一番後ろの席で瞳を閉じていた。彼女がそこにいるだけの空箱。椅子に凭れ掛かって自然な形をしている唇は遠目から見ても動くことはない。何となく気になって、俺はゆっくりとそちらに歩み寄っていった。ドアを開けても、足音を立てても、彼女が目を覚ますことはない。
まさか本当に、なんて可能性だけの好奇心。近付いてみて、わあと思わず声になった。間近で見た彼女のパーツ一つ一つが整っており人形のようだった。気温の上がった教室内でも透き通った肌はやけに涼しげで呼吸の乱れもない。むしろ、吐き出されていないようにも感じる。ゆっくりと近付いていき、心配が邪な感情に変わっていた時にはもう、彼女の目がぱっちりと開かれていた。


「……びっくりしたー」

「私も」


大人しい声音で頷く女の子と、あははと笑みを浮かべる俺。俺も肝が据わってるほどだと思うけど、彼女もだいぶ冷静すぎやしないか。


「何か用?」

「へっ?」

「起きたら目の前にいたから」


小さく首を捻る目の前の子に思わず危機感を問いたくなってしまった。別に手を出すつもりはなかったのだが、目の前に見知らぬ男がいて、第一声からの流れはこれでいいのだろうか。っていうかやっぱり寝てたのか。


「あーえっと……息してるのかなって」


正直すぎるとよく言われる。彼女だって不審がるに違いなくて、俺は早々に誤魔化す手段を用意していた。
笑い声で気を逸らす作戦をさっそく決行していたら、なぜか彼女が煌々とした目で見つめてきていた。大きな目がさらに輝きを増して、血の通ったただの女の子になる。その顔が焼き付いて離れないと、相手もそう思ってくれていたらどんなに幸福か。


「今ね、溺れている夢を見ていたの」

「夢?」

「そう。そこのペットボトルの水を見ていたらいつの間にか寝ちゃってて。私、深くて暗い底へどこまでも沈んでいった」


悪夢だったと彼女は言う。うなされているようにはとてもじゃないけど見えなかったが、生と死が紙一重だとすれば、あれはこの子の死に際だったのだろうか。
怖かったと語る彼女。水面が小さく揺れて、いずれ飲み込まれてしまいそうだ。儚くて美しい芽は少しの刺激で簡単に腐敗の道を辿るのならば、先に摘んでしまえばいい。
俺は机に置かれたペットボトルが彼女の物であり、飲めることを確認する。了解を得たところで中身をすべて飲み干して、不安要素を排除する。


「これでもう大丈夫」


彼女が不思議そうな顔をしていても俺は満足だった。この子のために俺がしたことに意味がある。
もっと彼女のことが知りたいな、そう持ち掛ける前に、彼女は笑った。


「ねえ、私あなたのこと知らない」


興味が湧いているのは自分だけではないと言われているようで嬉しかった。外からは雨の音がして、教室内だって薄暗い。お互いが灯す光が結びつける感覚に誘われるまま、俺は彼女の前の席に腰を下ろした。


「俺は真波山岳」

「山岳くん……じゃあ真波くん、よろしくね。私は名字名前」

「あれ、下の名前で呼んでくれないの?」

「だって真波くんの方が気に入ったんだもん。真波くんも好きな方で呼んでくれていいよ」


真波くん、真波くんかぁ。弾んだ声がひどく可愛らしくて眩暈がしそうだった。
もっと距離を縮めたいと思う中で温度差は大事だと思うからこそ、俺は彼女に言った。


「俺だけ名前って呼んだら不公平じゃない?」

「そんなことないと思うけど。でも変えないよ」


下の名前で呼びたいと言ったらいいよとあっさり許可が出る。仲良しみたいで嬉しいとご機嫌な名前は俺の気持ちを全然理解してくれていない。口癖か鳴き声みたいに繰り返すものだから、俺は今度は意識のある彼女に顔を寄せた。


「じゃあ真波って名字、いる?」


さっきみたいに見開かれた目からは驚きで星が飛んでいるようだった。チカチカ眩しい光ごと抱きしめてしまいたい俺の欲求の前でも彼女はどこまでも静かだ。


「……私達、まだ会って数分だと思うけど」

「そうだね。でも、」

「気に入ってくれたの?」


そのスイッチが切り替わる瞬間がとてつもない。笑顔の破壊力に俺は負けたんだ。
無音のSOSに気付けた俺の手を取る名前だってそう。短いやり取りでも十分、惹きつけられた。


「うん。どうかな?」

「実は私も、そうだったらいいなって思ってた」


恋人のスタートを切った俺達は、空っぽのペットボトルなんかに閉じ込められたりしないんだよ。



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