いっそのこと、消えてしまえればいいのに。途中で無音となった希望は私の胸の中で沈む。外にも出ていかない、つっかえている感じがひどくもどかしい。ひたひた、ぱしゃり、じりじり。重なる音は響かない。
「昨日ね、漫画で水も滴るいい男ってやつを見たの。だから折原ちょっと飛び込んでよ」
顔を上げて、裸足で飛び込み台辺りを歩いている彼へ。無造作に捲られた裾から見える足首は細く、白い肌がきれいだった。振り向いた顔が笑っている。
「へえ。そうすれば名字は俺に惚れちゃったりするの?」
「しちゃうしちゃう。もうメロメロ。大好き」
「はは、棒読みもいいところだね」
そう言ってまた、器用に携帯電話を弄りながら往復。
ふうと息を吐き出した私はもう一度足でプールに張られた水を蹴り上げた。重い水の感触。私のことを、離さなければいいのに。
ぺたぺた、こちらまで歩いてきた折原の手には未だに携帯電話が握られていた。つまらなさそうに睨みつける私に笑みを落として、腰を下ろす。
携帯電話はポケットではなく傍に置いた。そちらに目をやっていたら、伏せていた目を覗き込まれた。
ちょっとだけ持ち上げて、あまりの近さに驚く。
「水面みたいな瞳だね」
次の瞬間、私の手は届かなかった。外から加えられた力に負けて、水飛沫を巻き上げて中へ。
ばしゃばしゃ、今さら伸ばした手は、濡れたそれを乾かすように空気に触れた。
「ちょっと……!私じゃないっ」
「隠さなくていいよ。水に溶けてしまいたいのは君の方だろ?」
水を拭う手がぴたりと止まってしまった。頬杖をついて私のことを見る折原の目は観察するように鋭く、腹が立つものだった。だけどそれは図星で、私は甘く考えすぎていた。
一瞬のことでも本当にそう思っているなら、あんなにも必死になっていない。助けを乞うように伸ばした手を嘆くことなんてしない。
「つめたい」
冷静に考えてみたら、表情が先に出てしまった。濡れた髪をまとめながら口端だけで笑う。
「水も滴るいい女だね。惚れ直しちゃいそうだよ」
ああそうと言う前に、その音がした。ばしゃりとまた舞い上がる飛沫が私に当たるのに、今度はその様をじっと見つめてしまっていた。黒い髪がゆらゆらしているのも、折原が水面から顔を出すのも、這い上がる姿を全部全部。
「俺は、どう?」
掻きあげた前髪が元に戻って、細い髪から零れるそれに手を伸ばせば、体温を共有していた。
「水滴が、きれい」
「涙かもしれないよ」
仕返しだと言わんばかりに、折原が私の目元に舌を這わせてきた。じっくりと味わうように、水分を奪う。
これ以上好きになれないよ、と私が言う。ぐっと引き寄せられ、密着した身体からは触れた手とはまたちがった印象。濡れたシャツのその先の熱を感じたいと思ってしまった。手に入らないことがこんなにもどかしいなんて、知らなかった。
「誰にも邪魔させないから」
そして何より、唇のぬくもりが一番愛おしいなんて、最悪だよ。