大の男が媚びるように上目遣いをしてきても効果なんてない、そう思っていた時期が私にもありました。
わざと低い姿勢、絶対的な態度が憎いのに油断したらつい頷いてしまいそうになる。
分かってやってるから性質が悪い。諦めの溜め息に「どう?」と駄目押し。後ろから羽交い絞めにされて、耳に吹きかける低音ボイス。払ったら、掌が彼の顔に当たったらしい。ざまーみろ及川。
「何度言わせるの?嫌なものは嫌!」
「そればっかりじゃん。何ならいいんですか、名前チャンは」
「まず学校ってところが論外だわ」
どこで仕入れてきたのか、お前はそのために見ているのかと言いたいぐらいだ。
ドラマ、映画、漫画に到るまで、所謂恋人同士のシーンを実行したいと言い張る及川に彼女の私はつくづく脱力する。えー、ともう何度聞いたか分からない不満と拗ねる表情。だから、可愛くないって言ってるでしょ。嘘です、本当は今すぐに抱きしめたい。
でも公衆の面前でキスとか、だめでしょ。色々と。私の命が危ない。
「じゃあ自転車二人乗りとか。後ろからぎゅーっとしてOK?」
「校則違反だから」
「昼休み屋上で膝枕……」
「ないね、ない」
それにしても今日はしつこい。あれその要望は一昨日も聞いた気がする。
覚えているというか、気になったものは私もメモをしているなんて彼が知ったらますます調子に乗るだろうか。興味がないわけじゃない。ただ実行する気にはなれない。
夢を抱く気持ちは分かるが、見世物にされるのは嫌だ。そうでなくても、この男はモテるのだから。
「及川、」
あんまり冷たくするとどこか行っちゃうかもよ。
どこかで聞いたことのある台詞を思い出す。安心しているのは私なのだろう。
女の子に歓声を送られて笑顔で手を振り返す及川。ぎゅっと締めつけられる痛みを無視して早歩き。気付いたらしい及川がいつも通りに追い掛けてきた。
「あの子達いつも応援に来てくれててさぁ」
「そうなんだ」
もっと私に自信があったら、及川は私だけのものだって牽制出来るのだろうか。
及川は他の子と付き合ったらきっと満たされる。ああしたいこうしたい望みを叶えてくれる。本当は私だって、だけど言えない。だって人前で手を繋ぐだけでいっぱいいっぱいだもの。
教室に入って席に着くまで私のもやもやは続いた。それまで及川との会話はなし。
同じクラスであるから当然のように同じドアから入って、自分の机に向かう。友人に声を掛けられて、楽しそうにしているのが見なくても分かった。
及川はキラキラ輝く華やかな世界が似合う。私みたいに隠れたがる人間じゃないんだ。
「あのさ、名前」
だけど、及川は私を見つけてくれた。彼自身が放つ光で私を引っ張ってくれて、スポットライトの照らす場所で抱きしめてくれる。そんな彼が私は、大好き。
劈くような甲高い声が聞こえた。及川の整った顔を前にしても、私の耳にはしっかりと入り込んできた。肩に手を置く場面から、唇を離すタイミングまで、彼が演じるから絵になるのだ。
「俺の世界の中心は、お前だけだよ」
相手が私なら、及川が紡ぐ言葉は嘘ではない。
自分の思い通りにして、私の不安を取り除いて、やってやったと微笑む。
まったく、すべてが計算し尽くされていて降参です。