今でも、他人と触れ合うことが時々怖かったりする。何気なく交わされる会話の中でのリアクション、オーバーすぎて変な風に取られないか。気付かれなくて胸を撫で下ろす。
からかって、笑って、ぽんぽんと流れていくペースに上手く紛れ込むことが出来るようになったのは、私だけの力ではない。
「なあ、不思議体験ってしたことある?」
話題はいつだって突発的。被せてきた行動をいちいち咎めていたらキリがない。まあたまに、自分を中心に回したいときだってあるけれど。
輪の中にいた男子生徒が声を高々に、一人一人の顔を見回して問い掛けてくる。何それと呆れる者もいれば、真剣に考えている顔もそこにはある。それならと、私は頬杖をつきながら投げ入れる。
「私誘拐されたことがあるんだけど、その時の記憶がないの」
「え、マジで?」
にっこりと言い切る。興味津々な瞳が覗き込んできて、頷いて見せる。一度体勢を起こして、首を傾げながら思い出す素振り。その間も飛び交うのは様々な感想。
「一人でフラフラしてたからかな?何があったか、よく覚えてないの」
「誘拐犯の顔とか?」
「不思議だよね。でも平気だったよ。よくある知らないおじさんに連れ回された感覚」
「いや、よくはねぇよ。つーかそれ嘘っしょ!昨日テレビでそんなことやってたぜー」
「あはは。それなら頻繁に起こり得る体験なのよ」
ないない。笑い飛ばされて冗談として片付けられる。
一緒になって他人事みたいに振る舞えるようになるなんて、私も成長したな。前はこんなこと簡単に話せなかったのに。押し留めて、自分だけかわいそうだって悲観するなんて。他人にとっては、大したことじゃないのにね。
「えへへ、ちょーだい」
ひょこん、と覗かせた銀の色。無邪気に刻まれたそれに和む雰囲気。そこで話は止まり、おかずを求めて練り歩く少年に周りの人は次々と恵み始めた。ありがとー、と短いお礼と共にまた別の場所へ。見慣れた風景、私だけ手を止めているのも日常だ。
「あーあ。ほら名前、シロくん行っちゃったよ」
にやにやにと嫌な笑みを浮かべる少女。彼らの中で根付いている方程式はむしろ都合が良いのでそのままにしておいている。だめだなぁとからかう声を一蹴して立ち上がる。たまにはいいけれど、お弁当も、出来れば彼と一緒に食べたい。
「うん、追い掛ける」
「全く、恥ずかしがりすぎ。私達に遠慮なんてしてないでもっとアピールしたらいいのに」
「皆の前だと緊張しちゃうから、こっそりね」
行ってくると言い残して、私は彼を追い掛けた。向かう場所は知っていて、これが初めてのことではない。きっと今日もまた帰ってきたらしつこく聞かれるのだろうけど、そのときはそのときで誤魔化せばいい。
まあ彼は優しいから、私が本気で彼に恋をしていてもないがしろにはされないはずだ。
先回りしていた私はこんもりとおかずの乗ったお弁当を手にしている彼に向って言う。
「今日も一緒にいい?伊佐那くん」
「どうぞ」
やっぱりそうだ。伊佐那くんは笑い、その場に腰を下ろす。いただきますと重ねた声の直後は軽快。
「わあ、相変わらずだね」
友達が多い、中心の人物。それはどうしても表向きとしか思えなかった。伊佐那くんには壁がある。と言っても、そんなこと詮索してもしょうがないし、私みたいに引きこもり、内向的よりずっといいと思う。その社交性を分けてほしいぐらいだ。
彼が歩けば皆が引き止める。伊佐那くんは柔らかく笑って強請っていく。私だって伊佐那くんみたいになってみたい。歩いていたら皆が声を掛けてくれるような存在に。
ただ、おかずはいらない。だってちょっとだけ、怖いもの。
「人類皆友達とか思ってなきゃそんなこと出来ないよ」
「逆だよ」
見開いた目に、細められた目。なるほど、冗談か。捉えどころのない人だとは思っていたけれど、いつも引っ掛かってしまう。
彼の言葉の意味の真意、裏の裏。疑ってしまうぐらい、彼には危なげな空気がある。
たとえば、学校では穏やかな風を装っているけど本当はちがうとか。豹変してもおかしくないぐらいほわんとしている。どこか抜けているのは計算とか。
「にゃーん」
途切れた思考。伊佐那くんの傍から離れない猫は気持ちよさそうな声で鳴いた。お弁当も食べ終わり、休憩と言いたげに寝転ぶ伊佐那くん。和傘での影の下、彼はぐっと伸びをする。
こんなにも普通の人なのに。それが自分にも該当したらいいなと溜め息を吐く。
途端に「幸せが逃げちゃうよ」と言い聞かせるような声。ね、と続く愛おしさに今度は諦めの吐き出し。
こんなにも人を惹きつける、魅力のある伊佐那くん。私が夢で見るあの人とは似ているけども、違うようにも思える。ビルの屋上、狂ったように笑う姿。――手にしているのは、拳銃。
「思い出すまで、付き纏わせてね」
「僕は別に構わないよ」
濁った心、自分の都合しか考えていない私のことも受け入れてくれる彼。
その優しさのためにも、この曇った疑心を取り除くために。そして私自身を突き詰めるために、今日も私は彼に恋をしているフリをして隣に居座っている。