廊下を歩いていたら、悪寒がした。一度立ち止まり振り返ってみても、怪しい人影はない。
首を傾げながら再び向き直れば、そこには鮮やかな髪を揺らしながら私にピースしている先輩の姿。懐かしの再会。素直に顔が引き攣る。
「あらら、名字ちゃんってば相変わらず辛辣な表情〜」
一枚頂き、なんて言いながら向けられたカメラに背を向ける。またこのやり取り、一年の頃を思い出す。そして駄々をこねるように続くのだ。
「いいじゃん一枚くらい」
「嫌!です」
「なんで〜」
「どうしても!」
息が切れるまでエンドレス。私もこんな変態に譲れまいと必死。こんな子どもじみたことでも白銀先輩は楽しそうで、私はいつも変な人だと思っていた。いや、今も校舎で見かけるたびに思っている。
「まったく。一樹会長と金久保先輩にお説教されたんじゃないんですか?」
「うん、されたよ。そりゃあもうこってりと」
いて〜、と名残の残るように頭を押さえて見せる白銀先輩。殴ったのは絶対一樹会長だ。容赦なさそうだし。
眼鏡の奥の見えない瞳を睨み付け、形の変わらない唇に問い掛ける。「で」
「それで俺も懐かしくなって、来ちゃった!」
よしこれはもう無視で良いだろう。寛大な心を見せたほうだ。短い時間でも付き合ってあげたんだし、実際に話してみてもやっぱり白銀先輩は苦手だ、そう結論付けていいだろう。
「久しぶりだね、名字ちゃん」
「そうですね。それではさようなら」
「ま、待ってよ!もう、俺には相変わらず冷たいんだから」
さっきまでのは冗談だよ。振り向いた先ではカメラを下ろし、やけに真剣な目元でこちらを見ている白銀先輩。
思わず目を見開いたが、そんなこと気にせず、警戒心を解くように彼は言う。
「いきなり撮ったりしないからさ。ね、ちょっとお話しない?」
「世間話ですか」
「もちろん。何なら恋バナでもいいよ〜!くひひ」
ころころ変化する表情と声音。今の白銀先輩はあの時のように追い掛けてきたりしないだろう。
そう確信はあったのに、少しだけ恐怖を感じているのに、私は逃げられなかった。
廊下の壁に背を預け、しっかりと向き合う。
「君は一樹のことどう思っているの?」
「な、何ですか突然……」
すぐに本題を語り始めた白銀先輩に動揺を隠せない。最初からこの話をするつもりだったのだろう。
迷いはなく、逸らせない瞳から茶化すのは無理だと悟った。口の中で咀嚼するように考えて、黙り込む。形になったはずなのに、どうしても、今ここで言葉に出来ない。
「気付いてなかっただろうけど、何回か君がいるときに生徒会室を覗かせてもらったんだ」
「……」
「え、何その目!?俺なりの配慮だよ?気遣ってあげたんだよ?」
「続けてください」
脱線しそうだったので、そのまま冷たく言い放つ。
泣き真似なんかしながら白銀先輩が私の前に立ったので、無意識のうちに睨み付けていた。
「……ぐすん。ああ、それでね、名字ちゃん一樹を見る目がどんどん変わっていくから」
いつから見ていたのか、聞いてみたいぐらいだった。カラカラに渇いた口の中を潤すように唾を飲み込んで、それでも吐き出せない。あんなに鬱陶しく思っていた一樹会長。
一樹会長にははぐらかされたような気もするが、出来ることならその隣を歩きたいと思って、感情を否定されたくなくて。なのに、言えない。
「親友の俺としては気になってね」
これだけで十分だと一人のときは思っていたのに、誰かに伝えようとするにはまだ、不明瞭なままだから。そして一番の理由は、たぶん
「一樹の力のこととか、どこまで聞いてる?」
「何、ですか」
このぴりぴりした雰囲気。私は一樹会長のことを知らない部分の方が多い。
白銀先輩は変な人だけど、たまに、纏う空気が異なる。そう今みたいに。
「生半可な気持ちで近付いてほしくないんだ」
突きつけられたような言葉が、意外とすんなり私の中に埋め込まれていく。
そうだ、すぐに答えを出せないもどかしさを抱える私が胸を張って言えない理由はそれだ。
「俺の用事は終わり。じゃあまたね、名字ちゃん」
立ち竦む私の前から消えていく白銀先輩を責めることは出来ない。彼は本当に一樹会長のことを心配しているんだなぁと分かったから、こんなにふわふわした気持ちを抱えた私が愛を伝えることをよく思っていないんだろう。
白銀先輩が言っていた一樹会長の秘密。私が知らない内緒話。
「その場限りの恋愛事に巻き込むなって、そう言うことだよね」
抱え直した教科書を抱きしめて、私はとぼとぼ歩き始めた。