好きな人、かあ。
そう口には出さず、頭の中で悶々と思考を巡らせる。
そういえば恋なんてずいぶんご無沙汰だし、そういう感情も忘れちゃったかも。はは、女失格かもね私。
「名前ー」
恋に落ちるシチュエーションとか、少しそういうのが載ってる雑誌でも読もうかな。
それかあれだ、友達に電話して恋バナしよう。あ、月子ちゃんとしても楽しいかも。
「ぬーん!!」
「ぎゃあああ!いきなりなに!?」
生徒会室のソファーの背もたれに身体を預け、ボーッとしてた私のお腹に突如降ってきた物体。
その正体は翼くんで、拗ねたように私の顔を覗き込んできた。
「ぬー。さっきから呼んでるのに、名前は俺を無視してたんだぞ!」
そう言って姿勢を戻し、マグカップに入っていた中身を傾ける翼くん。
ああそうだ、そのマグカップは私が修学旅行で買ってきた翼くんへのお土産。それを眺めていたらつい水嶋先生と行ったコスモス畑のことを思い出して、それからさらに考え込んでいたんだ。
好きな人、もとい好きという感情について。
「ごめんね。翼くん、そのマグカップ使ってくれてるんだなぁって思って」
ぬ?、と言いながら翼くんは私が指で示したマグカップ全体を見回す。
そして良い笑顔でさらりと毒のあることを言った。
「うぬ!名前がせっかく買ってきてくれたやつだからな!この模様というかキャラクターを選択する名前のセンスは理解できないけど」
「そうかそうか、翼くんは良い子ですねー」
「ぬがっ!名前痛いぞ!なんで笑顔で頭ぐりぐりするんだぁっ」
「笑顔で悪意のあることを言う翼くんの真似をしただけ」
横暴だぁ、と嘘泣きを始める翼くん。あれ、本気で涙流しそうになった?そんなに強くやったつもりはないのに。
「俺は間違ってないぞ!梓ともよく言ってるんだ!」
「……へえ」
少しだけ顔に出してしまった。
気付いてないのか、フリをしているのか、翼くんは勢いを止めることなく話し続けた。
「このキャラクターがついたタオルをお土産にしたんだろ?喜んでたけど、梓もよくこのキャラクター見て俺と同じこと言ってる」
辛口なイトコ同士だな、と私は口には出さずに思う。
「可愛いと思って買ってきたのに」
「名前も何か買ってきたのか?」
「いいや、2人に似合うと思って買ってきたから」
「ぬぬぬ……複雑だ」
それでも大事にしてくれているなら嬉しいことで、私は小さく微笑んだ。
つられたようにぬへっとした笑みを見せてくれる翼くんと顔を見合わせ、和やかな時間を過ごす。
「お前ら、それは俺への当て付けか……?」
生徒会長の椅子に座って仕事を黙々とこなす、彼の存在には触れずに。
「どうした、ぬいぬい」
「言ってる意味がよく分からないんですが」
仕事をしている前で堂々と寛ぐことにも慣れてきた、というか遠慮がなくなってきた私。
今月子ちゃんと青空くんはコピーを取りに行っていて、私は言わば2人の監視役だった。
「名前、なんで俺には何も買ってきてくれなかったんだよ!?」
また始まった、と私は大きな溜め息を吐いた。
何度行われたか分からないやり取りにいい加減疲れてきたので、失礼を承知で突き放すような声音を出してしまう。
「だから言ったじゃないですか。生徒会の皆には月子ちゃんが買うからいいかなって思ったって。それに不知火会長は去年行ったんでしょう?だから私は可愛い後輩2人に買ってきたんです」
それでも納得しないのがこの俺様生徒会長である。すくっ、と立ち上がった彼はまっすぐこちらに向かってきて、私は思わず立ち上がる。
逃げようか逃げまいか考えていたら、不知火会長に羽交い締めにされた。
「横暴だぁ!」
翼くんが言っていたことをまさか自分が言うことになるなんて。
何とかして彼を落ち着かせようと「買ってこなかった私が悪かったです!」とついに自分を下げてしまう。
にやり、不知火会長の口元が歪んだ。
「よし、分かった。俺も鬼じゃない」
ホッと胸を撫で下ろしたのも束の間。彼と向き合わされ、肩に乗る両手。
込められた力には、やっぱり恐ろしい念を感じた。
「お前の身体で払え」
「はっ……?」
呆れ返った声が思わず出てしまう。え、どういうこと全然意味が分からないんですが!
あの、と言いかけたところで生徒会室のドアが開き、月子ちゃんと青空くんが戻ってきた。
ただならぬ雰囲気を感じ取った2人がこちらを見つめていて、青空くんが「どうしたんですか?」と口を開く。
私を引き寄せ、満足げな様子の不知火会長。
ああやっぱり逃げればよかった、と私は思うのだった。