せっかく買ったコスプレ衣装の袋はぐしゃぐしゃだ。
苛立ちやもどかしさで握りしめた私の手が、もう戻れないぐらい強く跡をつける。
悪いのは明らかに私で、寂しさのあまりにした八つ当たりだということを分かっていた。
このままでいいわけがない、と自分の足に呼び掛けた。
私は立ち上がり、衣装を手に取る。あれから毎日避けていたんだから、今日だって会わずに済むことはできる。
でもそれじゃきっと後悔する。
意地は捨てて、真っ白になろう。今日に相応しい格好に着替えて、ちゃんと謝ろう。
だがしかし、これはちょっとやり過ぎたかもしれない。
今日はハロウィンパーティー。生徒や先生は好きな仮装をしてパーティーに参加できる。
皆それぞれ凝った格好をしていて面白い。
「可愛いですね」
くすりと笑みを溢しながら近付いてきた青空くんに向き合って、私はうつむく。
ああノリって怖いなぁとつくづく思う。
「また彼にやってもらったんですか?」
文化祭で私にヘアメイクをしてくれた髪結くんはちょっとした有名人になった。
うん、と私は声に出して頷く。
「器用だよね、相変わらず」
「名前さんのことをよく見てるんですよ」
それはどういうことだろう。単に友情が深まっているという意味で捉えればいいのかな。
一人で納得して、私はそれより、と問う。
「青空くん、月子ちゃんがどこにいるか分かる?」
「先程、先生達のところへ行くと言ってましたよ」
結局探すしかないのか。ありがとう、と私が言えば彼はまた柔らかく笑った。
私が去るまで見ていてくれる青空くんに手を振って、彼とは別れた。
暗い闇を切り裂くような白。
今日ばかりは指を差されても愛想笑いなんて浮かべる余裕はない。
クラスの人を見つけては尋ね、奔走し、ようやく見つけた彼らは固まって寝転んでいた。
私は足を止め、その様子を見つめる。
前の私だったら、きっと戻っていただろう。見なかったことにして、私なんてと自分の感情に蓋をして。
「月子ちゃん!」
この状態でも私は、彼の名は呼べない。
それはまだ弱い証拠だけど、それでも前進はしている。
「名前ちゃん!」
パッと起き上がった魔女の格好をした月子ちゃんが駆け寄ってきた。
「可愛い!やっぱり似合ってるよ」
「すごーく恥ずかしいんだけど、ね」
そんなことないよ、と強く言い切ってくれる月子ちゃんの手が、私の手を握りしめていた。
今から私がすべきことへ勇気を与えてくれるような温かさだった。
じゃあね、と言って私の横を通っていく。月子ちゃんの後ろ姿を見送ってから、私は前へ視線を戻す。
最初に私に声を掛けてくれたのは酔っ払った陽日先生だった。
「おお、名字ー!」
足を踏み出して、私は思わず脱力してしまった。
シリアスな場面なんか求めてないけど、これは少し気が抜けてしまう。
「酔っ払いってどうなんですか、陽日先生」
「俺は酔ってなんかないぞお」
ダメだこりゃ。
わはは!と笑いながら再び寝転んだご機嫌な陽日先生。
その隣に座っていた水嶋先生が私の姿を見上げてきた。
「兎さんって誰の趣味?」
「特に意味はありません」
ただ、月子ちゃんが黒だから私は対になった方が面白いなと思っただけだ。
兎耳、真っ白な服、簡素な尻尾。だけど髪結くんがまた頑張ってくれたから、まあ見られる仮装だと思う。
「うわ水嶋先生、尻尾を触らないでください」
スカートのお尻部分についているふわふわな尻尾。
水嶋先生の手は正直アウトラインっぽい。被害妄想かもしれないけど。
「ひどいなぁ、名前ちゃんは」
言葉とは裏腹に、それほど傷付いた様子のない水嶋先生は再び背中を地につける。
「君もおいで。星がきれいだよ」
確かに、瞬く星空を見るには最適の姿勢なのかもしれない。苦笑しながら私はそちらへ歩いて行く。
ああだけど水嶋先生は策士だな。
「じゃ、失礼します」
感情を込めずに言った声と同時に、空いたスペースにお邪魔する。水嶋先生と星月先生の間。
星月先生は、さっきから私を気にしているような目を向けていた。
遠くからはしゃぐ声と自然の音だけが耳に届く。
尻尾が潰れてしまうので、私は横向きにしか寝転べない。
背を向けるように、逃げるように。
水嶋先生に求めるような目を向ければ、彼は声に出さずに頷いた。
ただ、それだけ。
それっきり目を閉じてしまった水嶋先生。私は、反対側に姿勢を傾けた。
「……星月先生」
その端整な横顔に声を掛ければ、小さく私を見るように動いた瞳。星月先生は、身体ごと私に向き合ってくれた。
そして私が言うより先に口を開く。
「悪かったな、名字。この前はあんな乱暴な言い方して」
衝撃が走った。どうして星月先生が謝るの。
私が悪いのに、子どもの私がムキになってしまっただけなのに。
「私が、悪いんです。関係ないくせに、自分の感情だけで先走って」
「それは俺に対する当て付けか?」
そんなことないのに。
思わず涙ぐむ私を小さく笑い飛ばした星月先生。その笑顔に私は目をぱちくりさせた。
前みたいに笑ってくれてる、その時やっと気付いた。
「お前のおかげで、目が覚めたよ」
何かが変わったことは明らか。だけどどうなったのかは分からなくて、私は少し間を詰める。
擦り寄って、答えを求めるようにすがりつく。
「え、じゃあ……」
言いかけて、私の言葉はぴたりと止む。唇に人差し指、星月先生は勿体振るように見せつけた。
「まだ秘密だ」
何でですかと非難の声を上げようとして、私はようやくその距離感を意識し始めた。
星月先生は笑ってるけど、私はもう止まらない。
その直後「心臓の音、こっちまで聞こえてるよ」と水嶋先生に言われ「これも青春だよなあ」と陽日先生にからかわれた時には顔から火が出そうだった。