その場で、私は色々な事実を知ることとなった。
琥春さんはなんとこの星月学園の理事長を務めている。
それだけでも驚きなのに、辞任するという言葉を聞いて私はさらに声をあげてしまった。
「琥太郎に引き継ぎをしているところなの」
あの開かずの間と噂されている部屋は理事長室で、最近星月先生はそこで作業しているという。
そう、新しい理事長は、星月先生。
なんだ、と小さく安堵してしまった。月子ちゃん、星月先生はわざと避けていたわけじゃなさそうだよ。
けれど、星月先生の顔は浮かなかった。琥春さんの言葉に良い返事はしているものの、心ここに在らずと言った風に見える。
どうしたんだろう、と私が聞いてみようとしたとき、後ろから肩に手を置かれ、制された。水嶋先生だ。
「じゃあ琥太郎、また来るわね」
「ああ、待ってるぞ」
最後まで笑みを絶やさず、私にまで手を振って帰って行く琥春さん。
保健室に残された沈黙に、私は戸惑いを隠せなかった。
「郁、直獅が探してたぞ。今日も会議があるんだろう?」
あれ、星月先生ってこんなに冷たい声でしゃべるんだっけ?
乱雑に散らかった机の上を探りながら、こちらに背を向ける姿はまるで拒絶しているよう。
水嶋先生がアイコンタクトをしながら肩を竦める仕種。今は何を言っても無駄だよ、そう言っているような気がした。
「じゃあ、僕は行くよ。あんまり無理しちゃだめだよ、琥太にぃ」
「分かってる」
星月先生は振り向きもせず、今だその目線は机に向けている。
どうしてだろう、この温度が、ひどく冷たい。
立ち尽くし、出て行かない私に痺れを切らしたのだろうか。数枚の書類を手に、星月先生がようやく振り返った。
「名字、お前も帰れ。俺にはまだ仕事が残っている」
白衣を着ていて、いつもの星月先生なのに。
「星月先生、ちょっと働き過ぎなんじゃないですか……?」
出過ぎた真似かもしれない。星月先生相手に何てこと言ってるんだろう。
承知の上で、私は震えながらしっかりと星月先生の目を見据える。
「何を言ってるんだ、当たり前だろう」
ぴりぴりした空気が肌を刺すような気がして、私は無理矢理明るい声を振り絞った。
「そうだ、今日の夜って空いてませんか?気晴らしにまた星を見に行きましょうよ!」
「名字」
はね除ける、音。
私は息を飲んだ。
「俺は教師で、お前は生徒だ。そう何度も外で会うわけにはいかない」
ぐっと唇を噛みしめて、手を握り締めて必死に堪える。
涙声にならないように低く小さく、唸るように声を出す。
「聞いて良いですか、星月先生」
確かに、さっきの誘いは特別扱いになってしまうのかもしれない。
だけどそれがどうした。今の星月先生は無理に突っぱねているようにしか感じない。
そんなことで、私が諦めるわけがない。
「星月先生が理事長になったら、保健室の先生はどうなるんですか」
今まではそうはいかなかったけど、今度は変えてみせる。
暇な休み時間には会いに行って、放課後も月子ちゃんと一緒に星月先生の仕事を手伝ってみせる。
「それは、お前には関係ないことだ」
だからそんなこと言わないでください、星月先生。
私の思いを、笑ったまま心に留めさせてください。
「関係なくないです!」
顔を上げれば、星月先生の私を見る目が変わっていた。
次第に視界がぼやける瞳、確かに星月先生は私の涙を見ていた。ああ、だめだな私は。どうして泣いてしまうのだろう。
「私、もっと星月先生とお話したいです。星月先生の立場が変わっても、そのままでも、星月先生であることに何も変わりはありません」
今までの距離は、それは少しは遠くなるかもしれない。だけど憧れは、尊敬は、決して衰えることはない。
何を躊躇しているか分からないけど、いきなり態度を変えるのはひどいと思う。これは私に限ってのことではなく。
きっと水嶋先生は分かっていた。知っていてなお、そっとしておこうという大人な考え。
だけど私は我慢できなかった。この涙を見られた恥ずかしさも伴って、星月先生をキッと睨みつけた。
「先生は先生なんだから!」
そして、言い終え、逃げ去った。
星月先生の気持ちなんて考えず、自分の思いだけ押しつけて。