楽しい時間はあっという間に過ぎていき、私は珍しくそのことを忘れていた。

徐々に人足が去っていき、大盛況だったと盛り上がっていた時、それは私の頭に不意によぎった。


「そういえば、名字は誰かと約束してるの?」


こっそりと耳打ちしてきたクラスメートの顔は見たこともないぐらい穏やかだった。
抜けている言葉。野暮なことは聞き返さない。

答える前に、私の顔に出ていたらしい。
そっか、と頷く彼に私は顔を赤くしてそっぽを向く。


きっと彼は、最愛の人と歩くのだろう。
愛はきっと、あんな穏やかに笑えるんだろう。





制服に着替えて、私はその場に向かっていた。
メールの返信を眺めながら、人混みを掻き分けて進む。

すぐに行くから、と書かれたメールの受信相手は翼くん。
誘ってくれたのは彼だから、と言い訳じみた内容をずらずら、誰に言っているんだと叱咤する。

そんなことを思っていたからだろうか。前方を、スターロードがある方向に歩いて行く梓くんの姿。彼はまだ私に気付いていない。ぎゅっと、拳を作る。
それから、私は駆け出した。


「梓くんっ」

「あ、名前先輩」


走ったら危ないですよ、とどっちが先輩だか分からない言葉。
それを素直に飲み込むように私が躓いて、梓くんが慌てて駈け寄った。


「大丈夫ですか、名前先輩」


転びはしなかったものの、なんて格好悪いんだろう。
支えてくれるように伸ばされた手が、すんなりと触れられないことは分かっている。
梓くんが恐る恐るなのは空気で分かった。だからそれを受け入れるのは私が先。

だけど相応しくない私がその手を拒む。意識しすぎて、滑稽な様。


「ごめん、ね」

「大丈夫ですよ」


2人で泣きそうになるなんて、前途多難もいいところだ。


梓くんと並んで、スターロードの入り口までやってきた。

そこで当然浮かぶ疑問は翼くんの所在だ。
沈黙した空間に、当たり前のようにその疑問を投げ込めば、梓くんは少しばかり顔を曇らせた。
だけどすぐに表情を持ち直し、笑った。


「翼は少し遅れて来るみたいです。生徒会の片付けが終わってからとか」


そっか、とすぐに返答する。
じゃあこの空気は私が何とかするしかないのか、と思い翼くんのせいにするのはやめた。
いつまでもこのままじゃいられないのは分かっている。


「名前先輩、先に入っていませんか?」


誰かに宣言したい気分で、私は「うん」と先に進んだ。


スターロードは噂通りの輝きだった。
悩みを忘れてしまいそうなほど、その光に魅せられる。

タイミングが良いだけなのか、私達の他には誰もいなくて、私は安堵しながらイルミネーションを充分に堪能する。
会話なんていらない、しかしそんなわけにはいかなかった。

わあ、と無理に感嘆の声をあげても、逆に虚無感が私達を包むような気がしてならない。
無難な話題でやり過ごそうと、私はさっきまでの覚悟などすっかり消沈していた。


「名前先輩は、優しいですね」


振り向いた先の梓くんは、眩しさの中で哀しそうに笑っていた。


「分かっていて、変わらずに接してくれる。優しいですね」


もう一度くり返されたそのワードが、私の中に深く突き刺さる。

優しいわけがない。今もこうしてドロドロの中で藻掻いているというのに。
君の方がずっとずっと、やさしいよ。


「すみません、ひとつ嘘を吐きました」


いつの間にか俯いていた私は、パッと顔を上げた。
嘘?と口を動かすも、音にならずに消えていく。


「翼が遅れるって言ったんじゃなくて、僕が頼んだんです」


どうして。
梓くんは私の当然の疑問を遮って、先に答えを示した。


「名前先輩と2人で、ここを歩きたかったんです」


急に重くのし掛かってきたそれ。私はもしかしてひどいことをしているのではないか。
期待させておいて、答えが出ませんでした、じゃ酷な話だ。

もう限界かもしれない。この思いは、抱えるものが多すぎる。


「梓くん、私……」


いっそのこと、考えるのをやめてしまえば、
無理に答えを出してしまえば、
私も相手も、楽なのではないか。


「約束します」


梓くんの声は、私の邪念を吹き飛ばすにはぴったりの芯のある声だった。
びっくりして、私は言葉を飲む。


「今の名前先輩の答えは分かってます。けど、諦めるつもりもありませんから。だから名前先輩から言ってくれるのを待っています。ずっと」


これは嘘じゃありませんよ、と悪戯っ子のように笑う。
それでいいの?とは聞けなかった。
私は、自分が不器用なのかもしれないと初めて思った。


「だから、ゆっくり考えてください」


変わらない想いなんてあるわけがない。綺麗事なしで私はそう思う。
もし梓くんが他の子を好きになったら、そのとき私は後悔していたら。
嘘を言ってでも彼を引き止めなかった自分を、きっと恨むんだろう。


「はい、これで話はおしまいです」


ぱんっと両手を叩く手の音に目を見開いた。
そして梓くんが振り向き、居もしない彼の名を呼んだ。


「翼、いい加減出てこいよ」

「ぬーん。梓にはバレてたか……」


えっ、と驚いた私を盛大に笑い飛ばす翼くん。そんな翼くんの前で梓くんは溜め息混じりに呟いた。


「隠れるならもっと上手く隠れなよ」


なんで、いつから、どうして?
ぐるぐるする思考回路を解くように、翼くんの大きな手が私の頭に触れた。

見上げれば、すべて分かっているかのように翼くんが笑っていて、私は思わず縋りつきそうになった。
だけど、すべては自分で決めることだ。
話ぐらいなら聞いてくれるかもしれないけど、答えは今の私には出せない。


「名前先輩って結構思い詰めるタイプなんですね」

「そんなに悩んだって良いことないぞー!」


本人達はこの通りだ。
他人事のように笑って、呪縛に囚われることなく生き生きとしている。
ああ、最近の私に足りなかったのかこれかもしれない、と思った。


「翼みたいに思い当たりばったりで進んでみたらどうですか?」


梓くんがそんなことを言うものだから、「なんだとー!」と翼くんが子どものように怒った。
両手を広げて梓くんに襲いかかろうとする。それをひらりと避けて、私の手を取った。
逃げるように手を引いて、翼くんの前を走ろうとする。

そうだ、前はこんな風な関係だった。何も考えずに、それこそ無邪気に、恐れることなく。


「翼くんはちょっとマイペースすぎると思わない?」

「それもそうですね」


猶予は与えてもらったんだから、私はそれを自由に使えばいい。
後悔するかもしれないと恐れるよりも、思いっきり悩んで、彼のことを考えてあげたい。
私の不器用さも梓くんは知っている。だから、信じてみよう。

空いていた手にも温もりを感じて、そちらに目を向ける。
良かったな、って口には出さずに翼くんが笑っていた。


「今日の名前先輩、一段と可愛いですね」

「似合ってるぞー!ぬはは!」


変わり続けている毎日、同じ瞬間は巡ってはこない。

色々な感情が交ざっても、根本的なことは変わらないのだ。
懐かしい温度に触れて、私はようやく思い出せた。

うるさくて生意気で、大切な後輩。
大事なことを忘れていた私は、溜め息をついてから、叫んだ。


「もう、2人ともうるさい!」


だから私の照れ隠しも健在、それでいいよね。


「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -