「梓くん」


花火に気を取られているからか、暗がりになればなるほど人が減っていく。

誰もいない場所さえ通り過ぎようとしているので、私は彼を呼び止めた。
どこまで行っても楽な場所などない。その場で、私達は立ち止まった。


「浴衣、梓くんが着付けしたんでしょ?すごいね、私なんて不器用だから到底無理だよ」

「名前、先輩」

「なんか引率みたいだね、梓くん。陽日先生なんて、先生なのに一番はしゃいでるみたいだし」


もう一度、今度は強く名前を呼ばれた。私は黙って、彼を見る。
どうやら梓くんも限界らしい。


「聞かないんですか?」

「……私を、避けていた理由?」


グッと押し黙った梓くんが下を向く。私もどうしていいか分からない。あの保健室の出来事のせいなのか、それはただの原因の一つに過ぎないのか。
だけど、気になるのはたった一つだけ。


「私のこと嫌いになった……?」

「ちがいますっ!!」


顔を上げた梓くんは、泣きそうだった。


「僕は、怖いんです。先輩に夢中になればなるほど、代わりに何かを無くしそうで……」


語尾が弱々しく消えていく。私より背が高い彼が、小さく見える。
自信満々に笑って見せるいつもの彼がそこにはいなくて、どうしてそんなに思い悩んでいるのだろうと思ってしまった。


「梓くん、らしくないよ」


気付けば、私はそんなことを言っていた。
そう、らしくない。


「私、そんな梓くんなんて」


言葉を遮るように、泣くのを見られまいとするかのように。


「言わないでください」


持っていた巾着がぽとりと落ちた。
強く、梓くんの手が力を込める。


「自分でも、格好悪いって分かってますから。だから、言わないでください」


小さく震えているのが分かって、私は抱きしめられている梓くんの腕にそっと触れた。
この人は、どうしてこんなに怖がっているのだろう。


「弱気な梓くんも、たまには良いと思う」


見たことがない一面を見れて、そうした相手が私で。
だけどそれをはねのけてくれる梓くんだって私は知ってるから。


「でも、それで大切なものを手に入れられなかったとき、後悔するのは梓くんだよ」


会って間もない私がこんなこと言うのはおかしいのかもしれない。
だけど本当にそう思う。嘘は言っていない。
きっと、一番悔やむのは後の梓くんだから。

ゆっくりと腕が解かれて、梓くんは私から離れた。


「名前先輩……」


泣きそうに歪んだ顔。私だって色々考えていたけど、きっと彼よりは呑気に過ごしてたんだろうな。
彼の浴衣の裾を、きゅっと掴んだ。


「いつもの、強気で生意気な梓くん。私はそんなあなたが」

「……言わないで、ください」


触れるか触れないかの距離。
私の唇の前で、梓くんの人差し指が止まる。
彼はそのまま俯いてしまったので、私も慌てて自分のしようとしていたことを考え直す。

きっと、その先続く言葉は分かっていた。だけど、それに乗せられた言葉の意味。
好きですって、どういう意味で言おうとしたの?


「名前先輩、覚悟しててくださいね」


しっかりとした梓くんの声音が表すように、それは表情にも戻っていた。
さっきまでのへにゃりとした梓くんはそこにはもういなくて、私の考えなんてよそに彼は変わっていく。


「手に入れてみせます。僕の欲しいもの、全部」


そんな宣言を、私の前で、私を見て、してみせる彼。
顔が赤くなるのを必死に見られないように、絞り出したかのような声で私は答えた。


「傍で、見守ってます」


それに対して、梓くんはくすりと笑った。
眉を下げて、優しく。


「名前先輩のことだって、分かってるくせに」

「なに?」


これも生殺し状態って言うのだろうか。
だから私は、聞こえてるけど聞こえないふりをするしかなかった。


「いつか、聞いてください。僕の本音を」


首を縦に振ることしか出来ず、何も言えない私だけど梓くんが吹っ切れたのならそれでいい。
戻る合図であろう、私の巾着を拾ってくれた。

そして踵を返し、「行きましょうか」と言う。
気にしていなかったけど、花火はとっくに始まっていた。


「それまでは、まだ」


小さく呟いた梓くんの言葉。
私には届いていたけど、それは彼のひとりごとだと分かっていたので何も言わなかった。

私だって黙ってるよ。
あのキスのことも、あなたが言ってくれるその日まで。



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