夜久さんはおそらく土萌といるから、こちらに来ることはないだろう。
土萌としても、私に会いたくないだろうし、夜久さんに会わせたくないとも思っているはずだ。
さて、そんな私に一体何の用があるというのだろうか。
「お前、月子の悪口言ってたんだってな」
やはり話は通っているのか。当たり前だけど。
喧嘩っ早そうな七海を前に、私はなぜか冷静だった。隣にいる東月くんが抑えてくれるだろうという思いもあったけど、彼らが怒るのは当然だと私は分かっていたからだ。
「……土萌に聞いたんなら、否定はできない」
「テメェ!」
「落ち着け、哉太」
今にも殴りかかってきそうな七海を制して、東月くんが私に笑みを見せた。眉を下げた、話を聞いてほしいというようなその表情。偽りではないと思って、私はとりあえず黙った。
「名字さん、俺達は別にそのことを責めにきたわけじゃないんだ」
彼の言葉に、視線を泳がす。でも避けては通れない道なのだろう。
正直、こんな展開になるとは思っていなかったので、動揺している。
「確かに、羊に聞いたよ。だけどそれは君が月子と関わってないからだろう?」
「それはどうだろうね」
やってしまった、と反射的に出てしまった口元を押さえる。だけどそれはもう遅くて、七海が今にもキレそうだった。必死に押さえ込む東月くんに今ばかりは謝罪したかった。
「それについては、俺達が原因かもしれない」
はい?と思わず呆れ返った声が出そうになった。言わずには済んだけど、顔には出ていたらしい。七海の目が鋭くなった。
「月子は何度も君と話したいって言ってた」
東月くんの言葉に、私はなんて返していいのか分からなくなった。彼女は優しいから、こんな私のことも気に掛けてくれる。身の程を知れとでも言いたいのだろうか。
「俺は月子がそうしたいならいいと思ってた。だけど哉太が……」
「おい!俺だけのせいにするんじゃねぇよ!」
ごめん、と七海に笑いかける東月くん。七海は照れたようにふて腐れていた。
一目で仲が良いと分かる関係。それはきっと、二人の間に夜久さんが入っても変わらない、むしろもっと深く強い絆を見ることができるのだろう。
「まあ、機会があればって言ってたんだ。だけど羊が来てから、俺達はさらに一緒にいる時間が多くなったし……それに二人とも、寮が同じでも会わなかったんだろ?」
優しい声音は、私のことを思ってのものなのだろうか。それなら彼の思いやりは私にはとても勿体ないものだ。
私は、自分から彼女を避けていた。
「羊は許せないって言ってたけど、名字さんにも何か事情があったんじゃないかと思ってね」
それは妄想だよ、言いかけた言葉を飲み込んだ。自分がとても小さくて卑しい人間だと思い知らされる。私はただ嫉妬していたの。そんなどうしようもない理由なんてないの。
それを分かって言ってるの?なんて、聞けるわけがない。
「どうせあいつが羨ましかっただけなんだろ」
だから、七海のその言葉に安堵した。その指摘は正しいから、分かっているから、もう少し待ってほしい。
「そう、だね」
「あ?何か言ったか?」
私の顔を覗きこむ七海は柄の悪い高校生そのものだった。私は顔を上げて、精一杯強がった顔を作る。
「話は終わり?日直だから教室戻りたいんだけど」
七海はもう我慢ならないって顔をしたけど、それをさりげなく東月くんが止めていた。
彼には伝わったらしい。私は無言で彼らに背を向けた。
「おいっ」
「呼び止めてごめんね、名字さん」
振り向かなかった。
彼らの言葉を反芻して、私は教室へ戻った。
「おい、錫也!」
「お前も分かってるんだろ、哉太」
名前の姿が見えなくなったところで、七海が乱暴な声音で言った。だがそれを笑顔で諭す東月。
舌打ちをして、七海は彼らの元へ戻ろうと踵を返す。
「早く二人が話すようになればいいのにな」
「……あいつ次第だろ!」
そうだな、と頷いて東月は七海の後を追った。