さあ、ゆっくりしている暇はない。まだ何か言い足そうな二人を急かしながら、私は星月先生を見た。


「星月先生、ありがとうございました」


それだけ言って、背を向けている二人の後に続こうとする。
すると、やんわりと怪我をしてない方の腕を取られた。
私が振り向く前に、星月先生が近付く感覚。研ぎ澄まされた空気を肌で感じながら、星月先生の低い声が耳元で聞こえた。


「放課後、保健室に来い」


返事はいらないと言ったようだった。すぐに離れて、星月先生もくるりと背を向けて歩いて行ってしまう。何事もないような振る舞いに、私はついていけない。

そんなことがあったなんて知らず、保健室を出た途端にこちらを見た翼くんと梓くんは私を疑いの目で見ていた。


「ぬ、なんで顔赤いんだ?」

「今、何かあったんですか?」

「なんでも、ないよ!」


心臓がうるさい。









星月先生の行動にドキドキしただけであって、呼び出しに淡い思いなんて抱いていない。たぶん心配の延長線なんだろう。
放課後、そんな思いを抱えながら私は保健室の扉を開けた。


「失礼しまーす」


保健室は無人だった。いやいや、どうなってるの。不審に思いながら私は一歩ずつベッドの方へ近付いていく。いや、まさか。


「……星月先生……」


がっくりと項垂れた私を前に、気持ち良く寝ている星月先生。呼び出しておいてどういうこと、とも思うが一番は教師が何やってるんだ、だろう。
散らかった机の上にはやりかけの書類がいくつも眠っていた。この人、仕事しないのだろうか。

あとで陽日先生に告げ口しておこう、と思いながら私はまた星月先生に視線を移す。

しかしまあ、きれいな人だよな。
まじまじと見つめながらしみじみと思う。艶やかな髪も、薄く呼吸する唇も。飲み込まれそうなほど、美しい。……人間って、どうしてこうもちがうんだろう。

これ以上見ていてもしかたないし、私はソファーにでも座っていよう。
歩き出すと、足音で目が覚めたのか、星月先生が小さく呻いた。


「星月先生?」

「ん……名字?……ああ、もう放課後か」


ちょっと星月先生、それはないですよ。さすがに突っ込みきれませんって。
大きな欠伸をしながら星月先生がベッドから下りて、汚い机まで歩いて行く。私がその後を追っていると、唐突に星月先生が白衣を脱ぎながら「行くか」と言った。


「どこにですか……?」


私は何も聞いてない。説明プリーズですよ、星月先生。


「お前の怪我を診てもらいに」


しれっと言ってのける星月先生に、私は「えっ!」と大きな声を上げた。


「そんな、星月先生に迷惑かけられません!」

「遠慮するな。俺が好きで連れていくんだから」


どうしてこんなところで教師面するんですか!さっきまで転た寝してた星月先生のままでいいのに!


「それに、お前一人じゃ面倒くさがって行かなそうだからな」

「……バレたか」

「行くぞ」


連れられて、私は私服の星月先生と病院に向かった。










「やっぱりすぐに治るみたいですねー。星月先生の言ったとおり」

「俺だけじゃなく、ちゃんと診てもらった方が安心できるだろ?今更言うな」

「はいはい。行って良かったですよー」


意外とお金取られて私はすっかりむくれていた。ああ、せっかく食べようと思っていた食堂のスペシャルデザート……来月まで持ち越しだな。うう、楽しみにしてたのに。


「もう夜ですね」

「時間かかったな」


また星月先生が眠そうに欠伸をして、それが私にも移ってしまった。二人の目尻に涙が光って、顔を見合わせて笑い合った。
なんだろう。すごく穏やかなんだけど、


「名字、笑うようになったな」

「先生達のおかげですよ」

「郁のおかげの間違いじゃないのか?直獅はともかく、俺は何もしていないぞ」


星月先生が謙遜しているのがおかしくて、私は押し殺すように笑った。すると面白くなかったのか、星月先生が私の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
乱れる髪に抗議をあげていたら、星月先生の顔に笑みが刻まれる。ああ、謙遜しているんじゃない。この人は、本当に分かっていないんだ。


「きっかけをくれたのは、陽日先生。気付かせてくれたのは、水嶋先生です。そして笑顔でいた方がいいと言ってくれた、星月先生。すべてを踏まえて、今の私になったんです」


何一つ、いらないものなんてなかった。私が少しでもみんなに近付くために、みんなが少しでも私に近付いてくれるように。
笑っていること、それは意外と難しいけど、とても大事だと教えてくれた。


「だから、星月先生にも感謝しているんです」


笑って見上げたか、星月先生の反応はいまいちだった。「そんなものか」と首を傾げる先生を見て「単純なことなんですよ」と頷く。

当人はそうでもないかもしれないが、この人は周りに影響を与える力があると思った。


「俺は、お前の笑顔が嫌いじゃない」

「あはは、どうして好きだって言ってくれないんですか?」


茶化すようにそう言えば、星月先生が歩みを止めた。学校までもう少しだが、辺りは変わらず夜の星明かりに照らされていた。見慣れた風景なのに、どこか寂しげ。
まっすぐに見つめられた瞳に、私は何も言えなかった。


「言ってほしいのか?」


星月先生が、ちがう人みたいに見える。

どうしてそんなに真剣な目で見るの、どうして私の答えを待っているの。
だって、その言葉に深い意味はないでしょう?


「星月、先生」


見つめられて、頭が混乱していた私の思考回路はショート寸前だった。
そんな時、私の目に入ったのは夜空を駆けていく星。


「な、流れ星……」


見上げた私に倣うように星月先生が上を見るも、その時にはすでに消えていた。
感動、安心。沈黙を破らないように「わぁー!」と無駄にはしゃいだ声を上げていたら、星月先生が小さく息を吐き出した。


「寮まで送る」


ぽん、と私の頭に手を置いて、すぐにまた歩き出す。その背中はいつもの星月先生で、私は困惑しながら彼を追いかけた。

さっきの星月先生は、求めるような目をしていた。


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