悲劇のヒロインみたいでバッカみたい、と自分でも思っていた。だけどあの場で冷静になれなんて言われても無理だったし、涙は正直だった。
とりあえず走って、人がいない階までやってきた。授業は始まっているので廊下にいる生徒は一人もいなくて、私はその場に崩れ落ちた。情けなさと、疲労が私の足をその場で止めた。
「……っ……う、っ……」
思っていたよりも、私は傷付いているらしい。土萌の言葉が頭から離れなくて、私の涙は止まることを知らないように流れ続けた。嗚咽をもらしても誰にも咎められない。
私は静寂の中で一人泣き続けていた。
どれくらい経っただろう、と涙に濡れた目で時間を確認すればあと数秒で授業の終わりを示していた。そのタイミングでチャイムが響き渡る。午前の授業が終わった。
「…………あ?」
「……え……」
そろそろ人がやってくるだろうか。移動しようかと思ったその時、私のすぐ近くの扉が開き、そこから男の人が出てきた。
それからの私の瞬発力はすごかったと思う。顔を見た瞬間に身体が動いて、彼に背を向ける。
縺れながらも駆け出した、つもりだったのだが長い時間座り込んでいたせいでそれほど速くは動けなかった。
「待てっ!」
そして、呆気なく捕まってしまった。
よりにもよって、不知火会長に。
「は、離してくださいっ……!」
もがけばもがくほど、彼は私を逃がすまいと力を込めた。後ろから回された不知火会長の腕を解こうと力の入らない手で試みる。
「泣いてる女をほっとけるかよ」
「そ、そんなのは好きな人に言ってください!どうでもいい人のことなんて見なかったことにすればいいじゃないですか!」
「って、お前なぁ……少し捻くれすぎじゃないか?」
「だからほっといてください!あと近いですセクハラです!」
「お前が逃げるからだろ!あーこうなったら意地でも逃がさないからな。こっち来い!」
密着したまま、私を生徒会室に連れて行こうとする不知火会長。
抱きかかえられているようで、私は別の意味で泣きたくなった。
「何してるんですか、会長」
「お、颯斗!」
わーわー騒いでも不知火会長は許してくれそうになかった。
そんな騒ぎを聞きつけたのか、私達の前に現れた男の子。颯斗と呼ばれた彼は、同じ学年の青空くんだ。
「泣いてる女性にそのような振る舞いを……とにかく、まずは名字さんを離してください」
「そしたら逃げるぞ、こいつは」
「……仕方ありませんね。どうぞ」
紳士的な様子で不知火会長を空気で説教しているように思えたが、彼には伝わっていないかのように見えた。姿勢を変えずに、もっともらしく言う不知火会長に青空くんは溜め息をついていた。
「ほら」
強引ではあるけれど、彼らの笑顔を見ているとそこまで悪い人達じゃないのかな、と思えてくる。
もう涙は引っ込んでしまった。泣き腫らした瞳で彼らを見上げると、優しく私を見て微笑んでいた。
どっちにしろ逃げられそうもない。私は小さく頷いて、初めて足を踏み入れた。
生徒会室に入ってすぐ、青空くんは私をソファーに座って待っているように促してくれた。
「お茶、いれますね」
「ああ。……そうだ。颯斗、ちょっと出てきてもいいか?」
「構いませんよ」
給湯室に消えていった青空くんの声だけが聞こえてきて、不知火会長はそれを確認して今度は私に目を向けた。
ぼんやりとした私に笑いかけて、不知火会長は再び扉を開いた。
「すぐ戻る」
言い残して、出て行った。
私は一人、生徒会室を眺める。ここが、あの星月学園の生徒会が活動している場所。そんなところに私なんかが足を踏み入れてよかったのだろうか。
今さら不安になっている私の前に、かちゃりとカップが置かれた。
「お話しするのは初めてですよね。僕は神話科2年の青空颯斗です」
「……初めまして、西洋占星術科2年の名字名前です」
物静かに、そして柔らかな笑みを見せてくれた青空くん。「隣、いいですか」と一声掛けてくれ、私はそれに無言で頷いた。
「落ち着きますよ」
温かな湯気の立つカップからは良い匂いが立ちこめていた。笑みを絶やさない青空くんの優しさに感謝して、私はカップを持ち上げた。温かく、香しいそれは私の心を癒してくれるような気がした。
「待たせたな!」
そんな静かな雰囲気をぶち壊すかのように豪快に入ってきた不知火会長。青空くんは迷惑そうに「もっと静かに入ってきてください」と言っていた。実に正論。
「はっはっは!悪かった、そう怒るなよ。……ほら、やるよ名字」
いきなり視線が変わって、不知火会長は私の方に何かを投げた。円を描いて落ちてきたそれは、ぽすんと私の手の中に収まった。
目を丸くして、焼きそばパンと不知火会長を交互に見遣る。
「なんだ、腹減ってないのか?」
すると不知火会長はさも不思議そうに私を見るので、私は小さく目を逸らした。
お昼を逃すと午後に痛い目を見る。分かっていたので、好意に甘えることにした。
「……いただきます」