夏期の長期休暇を目前とした、終業式当日の放課後。
教員室の壁に張り出された一覧表を前に、院生達は食い入る様な視線を送っていた。
鈴生りになりながら皆が注目しているのは、『第一期末成績上位者一覧』だ。
歓喜の声を上げる者、落胆する者、互いを揶揄する者。
皆各々の反応を見せる中、修兵もその中へと混じり、じっと黙したまま今にも唸り出しそうな表情でその紙切れ一枚を凝視している。

「なんだよ檜佐木、嬉しくねぇの?」

「お前一番じゃねぇか、何湿っぽい面してやがんだよ」

背後から声を掛けた同級生の一人が、修兵の後頭部へ手を置きわしゃわしゃと撫でつける。

「ちょ、いや、そういう訳じゃねぇけど…」

「だったらもっと喜べ、俺なんか欄外だぞ」

「いやお前はもっと頑張れよ」

自分を挟んで軽口を叩き合う二人のやり取りに笑いながらも、修兵の頭の中は靄々としたもので一杯だった。

(これじゃ駄目なんだけどなぁ…)

式の直前、個別に手渡された総合評価付の中身を思い返して、小さく溜息を吐く。
そんな修兵の胸中もいざ知らず、明日からの休暇に少々浮かれている二人は早速これから遊びにでも繰り出そうかどうかの話し合いを始めていた。
当然の如く掛けられた誘いへやんわりと断りを入れて、修兵は早々に荷物を纏めると、そのまま帰宅の途を急いだ。


















「修兵です。ただいま帰りました」

「おう、入れ」

室内から届く落ち着いた声に、修兵はゆっくりと扉を開いて中へと身を滑り込ませた。

急ぎ足で修兵が帰り着いた先は、拳西の待つ九番隊の隊首室だ。
日頃霊術院の院生寮で生活しながら、年に三度ある長期休暇の度にこちらへ帰って来る事が修兵にとっての一番の楽しみであり、九番隊にとってもそれが恒例になっていた。
そしてもう一つ、拳西と修兵の間で自然と取り交わされている恒例行事がある。

「今期も、無事終業致しました」

「あぁ、お疲れさん」

ぺこりと、一つ頭を下げながら二つ折りの厚紙を差し出す。
拳西はそんな修兵へ労いの言葉を掛けながらそれを受け取った。

(うう…緊張する…)

何処となく苦い思いのままに修兵が差し出したのは、『前期総合評価付』と銘打たれた、いわゆる成績表だ。
育ての親でもある拳西へまず最初にこれを手渡す事が、院へ入学した当初からの決まり事の様なものになっている。
順位表の最上段に名前が乗っているのだから、それ相応の評価が記されているにも関わらず、修兵は神妙な面持ちで拳西の反応を待った。
拳西は紙面へ目を通しながら、そんな修兵の様子に苦笑いを零す。

(自分に厳しいのは良い事だがな…)

修兵が今期の最優秀成績者だと言う事は、白からの情報で耳にしていた。
見れば、成る程殆どの項目で十段階評価中『十』の文字が並んでいる。
斬拳走鬼の均衡はほぼ完璧と言って良い。
だがその中で唯一『斬術及実戦』欄に記された評価値が、二つ程低い数字を示していた。
それでも、総合的に見れば上位に変わりはないのだが。

「あの…拳西さ」

「なぁ、修兵」

変わらず難しい面持ちで口を開いた修兵の言葉を遮る。
拳西は何も言わずに成績表を閉じると、ニヤリと口端を上げて両手で構える仕草を見せた。

「久々にやるか?」

「!!」

それだけで拳西の意図を汲み取った修兵の顔が、途端にぱっと明るさを取り戻す。

「はいっ!」

まだ少年の面影が僅かに残る笑顔を見せながら、拳西と連れ立って隊首室を後にした。











あともう一刻も経たぬ内に日も暮れ始めようかと言う時分。
夕刻に差し掛かっているとは言え、真昼の陽射しを受けて熱を溜め込んだ地面は未だ冷めず、茹だる様な温度を呈している。
時折吹き込む涼やかな風が、竹刀の打ち合う乾いた音を乗せて開け放たれたままの引き戸の外へ抜けて行った。

九番隊修練場。
その道場の中央、各々竹刀を構え、拳西と修兵は額からじわりと汗を滴らせながら対峙していた。
既に二本の組太刀を終えている。
本格的に仕合う構えで竹刀を握り直した修兵の額から、新たな汗が浮かんだ。

こうして拳西に稽古をつけて貰うのは何時振りか。
久しくして叶ったそれに、修兵は嬉しさで気持ちを高揚させつつも、その胸の内にあるのは僅かな焦りだった。
自分に足りないものを見極めたい。
"見極めたい"と言う事とは少し違うのかも知れないが。
全てに於いて自分には未だ足りているものなど無いのだ。
一覧表に自分の名前を見付けた時、修兵の胸の内に沸いたのは喜びよりもまず焦燥感だった。
これだけの評価を貰える実力を、自分は本当に持っているのか。
焦りと同時に、素直にその評価を受け入れる事の出来ない己へのもどかしさも感じていた。

剣先がぶれる。

「集中しろ!」

修兵の内にある雑念を見透かしている拳西から怒声が飛んだ。
唇を真一文字にぎゅっと引き結ぶ。
拳西の上段に対し、修兵は青眼。
じりじりと迫る様な拳西の重い霊圧に気圧されそうになる足を胸中で叱咤しながら、修兵はじりと右へ摺り足を出した。
途端、ぐんっと拳西の剣が修兵の頭上へ伸び上がる。
すっと右に重心を預けながらかわそうとした修兵の額を、流れる様にしなる剣先が捉えた。

「っ!」

打ち込まれる直前、横一文字に構えた竹刀でそれを受け止める。
乾いた打撃音と共に、びいんとした痺れが修兵の腕から全身に走った。
一見力押しで勝負を掛けて来そうな拳西の剣捌きは、風に揺れる草木の様にしなやかで無駄が無く俊敏だ。
修兵は腕の痺れに耐えつつ、拳西の竹刀を右へ打ち下げながら強引に間合いを取った。
両者共に青眼。
剣先を僅かばかりゆらりと揺らすものの仕掛けぬ拳西に焦れて、修兵は竹刀を高く構えながらつつと間合いを詰めていく。
拳西も擦り下がりながら合わせて上段の構えを取った。

(右か…いや、左小手なら…)

修兵の足が床板を蹴る。
同時に拳西も僅か体を右に引き己の間合いへ誘い込んだ。
相手の死地へ飛び込む。
瞬間、打ち込みの速度をほんの僅かに遅らせ旋回させた竹刀を左袈裟に斬り下げた。

(打てる!)

剣先へ手応えを感じたのも束の間、同時に間合いを零にした拳西が修兵の竹刀を巻き取り鍔迫り合いの形になった。

(浅慮…)

ぎりぎりと竹刀を交えながら、拳西は胸中で呟く。
再度、すっと身を引いた拳西に誘われる様に、修兵は僅か重心を崩した。
そのまま修兵の小手を打ち払い、真横へ一文字に斬り付ける。
胴に打ち込まれる寸出、修兵は地に着いた左手で身を支えそのまま飛び下がった。

(敏捷性はまぁまぁか…)

途端、激しく床板を蹴る音が響く。
構え直すかと読んでいた拳西が瞠目した。
己のバネを最大限に生かして跳躍し、修兵は拳西の頭上から捨て身とも思われる一打を斬り下ろす。
真正面から受け止めた拳西の腕に鋭い衝撃が走り、それを反動にして真上からの斬撃を薙ぎ払った。
横へと払われた修兵は地に足を着けると同時、重心を低く移しながら拳西の面へ向かって右に斬り上げた。

(捉えた…!)

そう手応えを待った修兵の視界から拳西が消えたのと同時、左の脇腹に抉られる様な一打を浴びて、そのまま後方へと弾き飛ばされる。

「っ!?」

ダァンッと、強かに背中を壁へ打ち付けて修兵は仰向けに倒れた。

「かは…っ」

左脇腹から突き抜ける様な熱さを全身へ感じながら、修兵は呆然と天井を仰いだ。
自分がどう打ち込まれたのかも分からなかった。
立ち上がれないまま肩で息を乱す修兵の顔の真横へ、ダンッと竹刀の剣先が振り下ろされる。

「甘ぇ」

そう低く発した拳西が、息一つ乱さず厳しい顔付きで己を見下ろしていた。

「だが敏捷性と反応速度は悪くねぇ」

拳西からの評価に、乱れる息で出せない声の代わりに大きく頷いた。

「修兵、どうして負けたか、何が不足してるのか分かるか?」

大の字に倒れる修兵の横へ胡座になると、拳西は汗でしっとりと湿り気を帯びたその髪をくしゃくしゃと撫ぜる。

「今のお前は短兵急、それにまだまだ浅慮だ。ただ勝ちゃいい、ただ無鉄砲に斬り込めればいいってもんじゃねぇ、お前はいずれ何十人もの隊士達をその背に預からなきゃならねぇ時が来る、この意味が分かるな?」

ぐっと唇を引き結び、弱く頷く。

「自分で自分を守れる剣を使えなけりゃ意味が無ぇ、てめぇが真っ先に倒れちまったら、守るもんも守れねぇだろう」

厳しくも真摯な拳西の視線が真っ直ぐに向けられた。

「はい…」

荒く息を吐きながらもようやく絞り出した声は酷く掠れている。
それに情けなさを覚えながらも、修兵は晴れやかな顔で今度はしっかりと大きく頷いた。







人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -