「…そうか」


たった一言、抑揚なく告げられたそれは十分過ぎる程に拒絶の色を孕んでいた。


まるでこの口から零れ出た声が己のものだと信じられない様な感覚だった。
あぁ、言ってしまったと、どうして今そのたった一言を舌に乗せてしまったのか耐え難い後悔に襲われる。

雑音になりたくはない。
彼の視界を塞ぐものになりたくはない。
その手を煩わせたくはない。

自らに科したそれらを忠実に保つ事と彼の傍らにただ居られると言う事は全くの同義だったのだ。


常として刀など握る事のない科学者の神経質そうな手が細やかに動いているのを眺めているのが好きだった。
"産み出す手"はとても魅力的で、自分の両の掌と彼のそれとを比べては酷く落胆して羨望もした。
死んでしまった右目に命を吹き込んでくれたそれに。
"奪う手"なのだと嘆いた自身を"守る手"だと称してくれた彼に。
だから例えば振り返ったその視線だとか端的にただ己を呼ぶ声や触れる細い指先が、阿近の持つ何もかもがいつだってこの距離を壊してしまえる引き金になっていた。
蓄積させていたものがいつか決壊してしまう事くらいは分かっていたのに。
だけれどそれは、その時には出来れば己の中だけでそっと消し去り葬ってしまうつもりだったのだ。
そのたった一言を告げてしまえば簡単に崩れてしまう距離だという事だって分かっていたのに。
こんな不格好で浅ましい想いを吐き出すべきではなかった。
この上なく潔癖で高尚な彼にそんなものは不要だったのだ。
告げた途端に冷たく表情を失くしてしまった阿近の薄い頬が瞼の裏側に貼り付いて膿んだ痛みが広がっていく。
歪んでいたのは軽蔑を浮かべた様に見えた彼の表情か、それともそう見えてしまったのは滲んだ視界の所為だったかは分からないけれど。
弱々しく謝罪の言葉を吐いて震える足を必死に立ち上がらせた時には、向けられる彼の背中から絶望的に修復の利かない距離を思い知らされて呼吸が危うくなる。

嗚呼、また自分はこの手の隙間から取り零してしまうのだ。

(好きだなんて…)

告げなければ良かった。

雑音になりたくはない。
彼の視界を塞ぐものになりたくはない。
その手を煩わせたくはない。

自ら全て壊してしまった。
薄暗い研究室の扉が酷く重い、消えてしまいたかった、最低限彼の視界からは、逃げる様にして外へ出る。
昼の白い陽光が瞼を焼く、足が竦む。
この数分間も、数ある喪失の中のほんの一欠片になって紛れていってしまうのだろうか。
いっそ心ごと失くしてしまえたら。

「……っ!」

浅くなる呼吸に耐えきれず壁に手をつきながら崩れていく膝、伴う耐え難い嘔吐感。
彼と己とを繋ぐ唯一の物だと自惚れていた造り物の右目に爪を立てた。
喉の奥深くからせり上がる、報われぬ想いの残滓。

真夏の陽に焼かれて死んでいく虫の様に、ひっそりと、日陰に死骸を転がしながら腐っていく。




(終わってしまった…)




たった独り、弔われずに風化する、青白い空虚の手触り。



















− 了 −




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