(俺…何かしたかな…)




ほんの半刻程前まで、自分を囲い和やかに(もとい鼻の下を伸ばしながら)酒を酌み交わす隊士達の酌を受けて平和に宴を楽しんでいた筈だったのだ。
それが今や、修兵を囲う九番隊士らの周辺はなんとも言えない熱気に包まれていた。
その熱源である阿近と恋次が、傍から見れば珍しくも仲良く酌をし合いながら、妙な口論を繰り広げている。

「くそ…良い思いしやがって」

「当たり前だ、誰のモンだと思ってやがる」

「はっ、あんま束縛してっと愛想尽かされますよ」

「それはねぇな、逆だ。なんだかんだ甘えた声出して擦り寄って来やがる」

「な、そこんとこ詳しく…!」

「そう言やこの間もなぁ…」

語り合っているのか喧嘩をしているのか分からない。
先程から肩を寄せ合って惚気や妬みの応酬をしながら妙な張り合いを続けているのだ。
酔っ払いに"小声で話す"などと言う芸当は出来る筈もなく、その内容は修兵の耳にもばっちりと届いていた。
幸い会話中に個人名は登場していないにしろ、明らかにそれは自分を指すだろう内容で。
他人には、ましてや隊士達などには絶対に知られたくない様な己の赤裸々な色恋事情を、第三者に公衆の面前で暴露されるという新手の嫌がらせを受けている思いだ。

(なんの羞恥プレイだよおい…!)

杯を持ち上げた手元がピシリと固まる。
恐る恐る視線を向けた先の光景に頭を抱えたくなった。
二人の横へ転がっているのは空になった一升瓶で、まさかあれをこの半刻程で飲み干してしまったのだろうか。
ただでさえ、あれ程饒舌な阿近は酷く珍しい。
今までの経験からして、修兵が思うにあれは相当酔っている。
二人の会話を含めて止めに入りたい気持ちで一杯だが、今ここで自分が割り入っては状況が余計に末恐ろしくなるのは目に見えている。
それに、隊士達の手前、自らそんな痴話喧嘩を繰り広げる事だけは御免だった。
しかし、そうこうしている内にも会話の内容はどんどんエスカレートして行くだけで。

「はぁ…可愛いっスね檜佐木さん。エロ過ぎる、見てぇ…」

「馬鹿野郎見せるかよ、俺の前限定だ。修兵は俺にベタ惚れだからな」

「あ゙ぁーなんっでアンタなんだよ分っかんねぇなぁ…」

「フン。精々悔しがれ、ついでに諦めろ」

(!!!こいつら俺の名前言いやがったァーッ!)
(て言うか、え、何、阿散井って俺の事好きなの?なんなの!?)
(俺…もう…逃げてもいいかな…)

何かを色々と諦めた修兵が固まったまま遠くを見つめ始めた所で、隣に居た隊士が"あ"と短く声を上げる。

「副隊長、お酒が!」

「え・・・?」

急に引き戻された意識。
違和感に気付いてふと視線を下げれば、手に持っていた筈の杯が傾きすっかりこぼれてしまった酒が死覇装の胸元へ染み込んでいた。

「今手拭いを…」

「あ、わ、悪い…」

素早く懐から取り出した手拭いを修兵の着物へ押し当てた隊士が、ある一点を凝視して動きを止めた。

ほんのりと赤く染まった鎖骨の辺りから、素肌を伝い共襟の狭間へと酒が滴り落ちている。

垣間見えるしっとりと濡れた肌にゴクリと喉が鳴った。

(我に一片の悔い無し…!)

思わず、とでも言った風に手拭いを持つ手がそれへと伸びて、

「し、失礼します…」

修兵の胸元へ差し入れられようとした瞬間。



メリッ。



「「よぉ…ドコ触ろうとしてやがんだ、あぁ?」」



背後から、酒焼けのした地を這う様な二人の男の声が重なった。
先の修兵と同様、隊士の動きもピシリと固まっている。
その肩へ手を掛けた阿近が、べりりと音がしそうな勢いで修兵の元から隊士を引き剥がしていた。
赤い目をギラつかせている阿近の横から、恋次がぬっと顔を出している。
技局の鬼と六番隊副隊長に睨み据えられて、冷や汗と脂汗が同時に噴き出した。
だが次の瞬間には、

「おい阿散井、テメェは引っ込んでろ」

「なんスか、意外とちっせぇんスね、阿近さん」

「なんだと…?」

青褪める隊士の存在を放置して、酔っ払い二人の喧嘩が再開される。
ぺいと、肩を掴んでいた隊士を背後へ放り捨てる様に押し退けて、阿近と恋次は己の額同士が付きそうな程の距離でじりじりと睨み合っていた。

「聞き分けのねぇ駄犬だ」

「その駄犬にムキになってんのは誰っスかねぇ」

「ほう、言うじゃねぇか。だったら…」

唖然とした顔で事の成り行きを見ていた修兵の二の腕を、阿近はぐいと掴んだ。
何事かと抵抗するより早く、もう片方の手に後頭部を捕らえられて引き寄せられる。

「見とけ阿散井、こいつは俺のモンだ」

途端暗くなる視界。

え、と修兵が思うのも束の間、噛み付く様な勢いで阿近が己の唇へ食らい付いていた。

「!?…っ!」

呼吸ごと飲み込む程の激しい口付け。
状況を把握し損ねているのを良い事に、阿近から与えられるそれはどんどんと深さを増していて。
漸く働き始めた頭が渾身の力で押し返そうとした頃には時既に遅し。
酸欠状態の体で、ましてやがっちり後頭部と腰をホールドされた体勢では満足な抵抗など出来ず、阿近から漂う強烈な酒の匂いと濃密な口付けに、酔いが一層全身へ回る様な気さえして来る。

「ん…ぅっ、ふ、ぁ…っ」

角度を変えながら存分に口腔内を蹂躙され、口蓋をなぞられて自然漏れ出てしまった声。
今まで耳にした事のない修兵のその掠れた声音に、

「ひ、檜佐木さ…」

「「「「「副隊長ーーーっ!!!!!」」」」」

目を見開いていた恋次の情けない声を遮って、隊士達の絶叫が宴会場へ轟いた。

「は・・ぁ・・・っ」

ようやく解放された修兵は、呆然とした顔で阿近を見上げている。
阿近はそれへニヤリと口角を上げると、なんとも凶悪な顔で周囲を睨みつけた。

「お前ぇら…コイツに手ぇ出してぇってんなら、テメェの臓物の一つでも俺に差し出す覚悟で来やがれ、新鮮なサンプルは歓迎するぜぇ?まぁ、その前に命の保証は出来ねぇが、とにかく…」

「誰だろうが手なんざ出させる気は無ぇ。分かったらコイツ相手にもう変な気なんか起こさねぇこった」

技局の鬼の恐ろしい脅迫と威圧感に立ち向かって行ける猛者など居る筈もなく。
修兵らを囲う一辺の空気は水を打った様に静まり返っていた。

嘗てこの男がこれ程までに自分の前で独占欲を露わにした事があっただろうか。
ざっと記憶を辿ってみても有り得ないこの状況に、修兵は迂闊にも胸を高鳴らせてしまった。

「修・・・、」

やんわりと掌で頬に触れてくる。
眉間に微かな皺を寄せている阿近の顔は、正に情事の時に見せるそれで、ゾクリと震える修兵の背。
低音で囁かれたその続きを、阿近の口元を見つめながら待つ事数秒。

不意に視線を逸らした阿近が、がくんと項垂れた。

「気・・持ち悪ぃ・・・」

「・・・・・・・は?」

ずるずると修兵へ覆い被さりながら畳へ沈んで行く阿近を必死で押し返す。

「な…っ、えぇ!?だ、誰かコレ剥がせ!ハッ!駄目だ揺らすな!いや、ちょ、どうすんだよもう起きろぉぉおっ!!」

「ゔ・・・」

「「「「「え゙…」」」」」

「ちょ、待て待てここで吐くな!!駄目!!待、うぎゃーっ!!」

「「「「「ふ、副隊長ォォーっ!!」」」」」





* * * * * 






「信っじらんねぇ!」


あの後、騒ぎの中なんとか阿近を引き擦りながら、逃げる様にして宴会場を出てから四半刻。
自室に運び込んだ阿近へ水を与えたり寝かせたり云々、なんだかんだと世話をしている内に酔いなどすっかり醒めてしまった。
珍しく正体を無くしかける程深酒をした阿近の"俺様"度合いは常の三割増しで、修兵に持たせた団扇で扇がせながらその膝を独占して畳にぐったりと体を投げ出している。

「うるせぇ…頭に響くだろうが…」

いくら非難と説教を繰り返そうが反省の色など微塵も見せない阿近の態度に、修兵の片眉がひくりと震えた。

「…俺、明日からどんな顔して隊士達に会えばいいんですか!!よりにもよってあんな公衆の面前で…!」

「丁度良かったじゃねぇか、手っ取り早ぇ方がいいだろ」

「何がだ!!あぁぁもうどうしてくれんだ!!無理!!」

「おい!痛ぇだろうが!」

喚きながらばしばしと団扇を叩き付けてくる右手を掴む。
阿近は取り上げた団扇をそこらへ放り、真っ直ぐに修兵を見上げた。

「俺が独占欲晒すのは、嫌か?」

「…な、んだそれ…滅多にそんな事言わないくせに…」

「お前は俺だけ見て、俺にだけ触らせてりゃいいんだよ」

酔いなどとうに醒めた筈の頬が熱い。
絆されている事など分かっているのだが、惚れた弱味のなんとやら。
いつだって負けを自覚させられる己に、本日幾度目かの大きな溜息が漏れた。

「だったら…あんな俺知ってんの、阿近さんだけでいいだろ…」

拗ねた様に呟かれた修兵の言葉に、阿近が満足気に口端を上げる。

「違いねぇ」

言いながら、修兵の腹へ顔を埋める様にして横向きに体勢を変えた。

「あんな事しなくたって、俺はとっくに…って…あの…阿近さん…?」

着物越しに感じる規則正しい呼吸。

(寝やがった…!)

(くっそ…朝んなって"覚えてねぇ"とか言ったらぶん殴ってやる!!)

散々に自分を振り回した挙げ句、寝落ちをした質の悪い酔っ払いの背中を、修兵は力の限りバシリと引っ叩いた。




−END−


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