"うぅ"だの、"うーん"だの、すぐ横で唸りながらふらついている修兵を恋次は己の肩を貸して支えながら歩いていた。
幾ら起こして立たせたとは言え、脱力している男一人を抱えて歩くのはなかなか骨が折れる。
強くもないのに量は飲む。
修兵の酒の飲み方は、毎度の事ながら全く持って危うい。
こうして恋次が連れ帰る事も、一度や二度ではない。
出口までの角を二度程曲がった所で、ずるずると引きずる様にして歩いていた修兵の膝がかくんと折れた。

「うお!?」

そのまま後ろへとバランスを欠いた体を受け止め切る事が出来ず、恋次諸共床へ崩れる様にしてしゃがみ込んだ。

「イッテェ!この酔っ払いめ…」

「ゔ…痛ぇ…」

「それはこっちの台詞っスよ。ほら先輩、立てるっしょ」

先に立ち上がった恋次が、修兵の腕へ手を掛けた。

「あばらいー…」

「なんっスか」

どこか舌っ足らずな声で名を呼ばれる。
ぐたりと頭を垂れながら、修兵は何かを強請る様にしてその両腕を真っ直ぐに恋次へと伸ばして来た。

「・・・おんぶ」

「ブフゥッ!!!」

たった一言、修兵の口から飛び出た発言に、恋次は盛大に吹き出した。




* * * * * 




(クソ…鼻血吹いちまう所だったじゃねぇか…)

上目遣いでこちらへ手を伸ばす修兵を何度も脳内でリピートさせては打ち消しながら、己の背中へしがみついているものをずり落とさない様にゆっくりと歩いた。

「先輩…吐かないで下さいよ」

「吐かねぇよ…」

背後からくぐもった反論が届いた。
不意に、恋次の首へ回されている両腕に力がこめらる。
肩口にうずめた顔、すんと、恋次のその首元で細く息を吸い込む気配がした。

「お前…、いい匂いする…」

「!?」

小さな呟きと共に修兵の温かな吐息が首筋へ掛かり、恋次はぎょっとして言葉を失った。

「…こうしてっと、安心する…」

「な…に、言ってんスか」

ドクリと、恋次の心臓が一つ大きく脈打った。
ほうっと背後で息を吐く修兵はなんとも無防備だ。

"修兵だって絶対あんたの事好きよ"

宴会場で言われた乱菊の言葉が頭を過る、いっそ本当に自惚れてしまえたらどんなに良いか。
けれどもしかしたら、酒の力を借りてでも今なら或いは…今まで何度もへし折られている小さな望みを、再びじわじわと抱き始めてしまいそうになる。
そう浮つき始めた恋次の思考を、修兵の声が遮った。

「あの人みたいで…」

「な、に…?」

それを聞いた恋次の体から、持て余していた熱がすっと引いていく。
自分の背に背負われこんなにも強くしがみついておきながら、己の存在は今修兵の頭の中には無いのだろうか。
だとしたら、少しでも浮ついてしまった自分がなんとも滑稽で情けない。
あの人みたいだと、確かにそう言った。
今まで修兵の浮いた話など、これと言って聞いた事が無い。
ずっと近くで見ていたのだ、これには確証が持てる、筈だ。
それでも、恋次の知らぬ所でずっと想いを寄せていた特定の人物でも居たのだろうか。
ならば一層滑稽な話だ、告げる前から玉砕していては世話がない。
ぐるぐると色々な思いを巡らせて、一人勝手に落胆しかける恋次の首へ、より強く修兵がしがみついた。
冷えた体温に反して、激しさを増し脈打つ心臓に困惑する。

「なんか、懐かしい匂いって言うか…」

歩みを止めてしまった恋次に構わず、修兵は忘れ難い記憶を呼び起こすようにぽつぽつと話し始めた。

幼い頃流魂街で命を救われた事、その恩人である死神に引き取られて生活を共にしていた事、優しくて厳しくて幸せで、いつも守られてばかりで、温かくて広い大好きなあの背中をいつも追って歩いては笑われていた事、そうして突然、その人が自分の前から姿を消してしまった事。

何かを思い出してしまったのだろう、時折声を詰まらせながらも訥々と言葉を続けていく。

「お前の背中広いし温けぇし…ちょっと、似てるかもって…でも、」

修兵の言う嘗ての九番隊隊長を担っていた"恩人"の事は、以前も少し話しに聞いた事がある。
親の様な存在でありながら、ずっと修兵が焦がれる程の憧れと畏敬の念を抱き続けているのだと。
恋次はそれを聞いた時、当人が自覚すらしていない何処かとても深い感情が修兵の中へ巣くっているのを垣間見た様な気がした。
ならば尚更どうしようもないではないか。
修兵が彼の人を想う気持ちに、自分が入り込んでいける隙間など初めから無かったのだ。
例え何かを重ね合わせられた所で、それは己へ向けられたものではない。

「その人と俺を重ねたって、無駄っスよ」

思ったよりも冷えた声音が出てしまった。
突き放す様な言い方のそれに、背後の修兵が息を詰める気配がする。

「違う…っ」

「何がっスか、俺はその人じゃないですよ」

「そうじゃねぇって、最後まで聞けよ…!」

自分の体を下ろしてしまおうとする恋次の動きを、両腕でぐっと阻んだ。

「似てると思った、けど違ぇ、あの人と居る時の安心感とは違ぇんだよ。…安心するけど落ち着かねぇし、温かいなんてもんじゃねぇし、心臓だってこんな…っ!」

言われてはっとする。
自分の鼓動ばかりが煩くて気が付かなかった、ぴたりと背中に付けられた修兵の胸から伝わる早鐘。
一度は冷えた筈の体温がみるみる上昇して行く。

これではまるで、

「…先輩あんた、自分で何言ってるか分かってんのか!?」

「分かってる…」

「酔ってんだろ?」

「…酔ってねぇよ」

「嘘吐け」

「酔ってねぇって…」

「じゃあ、」

「っ!?」

途端、ぐっと下がって反転する視界。
背中から強引に下ろされて尻餅をついた修兵を廊下の隅の壁へ押しつけながら、恋次はその手首を捕らえ膝立ちでそれを見下ろした。

「俺の自惚れだったら、ぶん殴っていいから」

ふわりと上体を屈める。
反射的に身構えた修兵の唇を、自分のそれで塞いだ。
掴んでいる修兵の左手が僅かに震えている。
たったの数秒間が酷く長い。
抵抗を示される事もないまま、ただ重ね合わせただけの唇を離せば、こちらを真っ直ぐに見据えて目許を朱に染めた修兵の顔があった。

「まじかよ…」

有り得ないと思っていた状況に、思わず腑抜けた声が漏れる。

「これでも、テメェの自惚れだって言うのかよ…」

「言わねぇ…!好きだ、凄ぇ好きだっ!あんたの中にまだあの人が居てもいいから、」

「だからっ、違うって言ってんだろ!」

ここまで来てまだ情けない声を出している恋次の顔を、修兵はバッチンと音を立てながら両手で挟み込んだ。

「確かに、会えなくてもあの人は俺にとって大事な人に変わりはねぇ、今もこれから先もだ。でもなぁ…幾らビビリで甲斐性が無くて男の癖に女々しくなっげぇ片思いしてる情けない奴でも、お前はあの人とは違うんだよ。こんなになるのはお前にだけだって、どんだけ俺に言わせりゃいいんだ…」

「え…ビビリで甲斐性がって…、聞いてたんスか!?」

「まぁな」

「な、ひっでぇ!!」

まさか、宴会場でのあれは狸寝入りだったとでも言うのか。

「とんでもねぇよ…」

乱菊や吉良達と交わしていた会話をしっかり聞かれていた事に、恋次は火が出そうになる顔を片手で覆い隠しながらがっくりと項垂れた。
頭上で小さく笑う気配がして顔を上げた恋次のその胸倉を、修兵が思い切り強く掴んで引き寄せる。
カチリと、歯がぶつかってしまいそうな勢いで恋次のそれに食らいついた。
噛み付く様な口付け。
修兵はさも満足と言わんばかりに口端を吊り上げて見せた。

「だから、酔ってねぇって言ったじゃねぇか」

「こ…のっ、小悪魔…!」

どうにも調子を狂わされてばかりの恋次が悔しげに叫ぶ。

「やっと言ったな、お前…待たせやがって」

ぽろりと呟いた修兵の言葉に、恋次が目を見開いた。

「は…?やっと?待たせた…?」

「あ…、嘘今の無し、無し無し…っ!」

しまったと言わんばかりに、ぶんぶんと顔の前で手を振る。
途端、複雑にニヤつき始める恋次の顔。

「あぁーもう!なんだそれ、だったらなんでもっと早く言ってくれなかったんスか」

「お前だって人の事言えねぇだろうが!それに俺からなんざ言えるか馬鹿野郎、年上だぞ」

「は!?なんスかその無駄に高ぇプライド!」

不遜な物言いをする口に反して、己の襟元を掴んでいる修兵の手が微かに震えているのを恋次が見逃す筈もなく。
修兵の裏腹な態度にふと相好を崩しながら、強張るその手を取り上げ宥めて愛おしむ様な口付けを落とした。

「っ!柄にもねぇ癖に、気障な事してんじゃねぇ…」

「これからもっとしてやりますよ」

ぼんっと真っ赤に染まる修兵の頬へ手を滑らせた。
目を細めながら、控えめな仕草でそれに擦り寄ってくる。

「傍に、居てくれんだろ…阿散井…」

「居ますよ、ずっと。何年かかったと思ってんスか…頼まれたって放すもんかよ」

今度こそこの人の手が虚空に彷徨う事のない様に。
いつか自分の全部でこの人の中を埋め尽くせる様に。

漸く通じ合えたそれを確かめる様にして、恋次は修兵の唇へ己のそれを重ね合わせる。

離れる恋次をまた、修兵が追う様にしてもう一度ゆっくりと口付けた。





* * * * * 





翌日。


「ちょっと修兵、あれから上手く行ったんでしょう?聞かせなさいよ」

未だ隊務時間中であると言うのに、乱菊は九番隊舎内の修兵の執務室へひょっこりと顔を出した。

「えぇ!?ちょっ、何言ってるんですか乱菊さん!話せるような事なんて何も…」

「何よ、発破掛けてあげたんだから聞く権利ぐらいあんでしょ?今晩飲みに行くわよ」

「あの…それって…」

「勿論あんたのお・ご・り」

語尾にハートが飛びそうな程の声音でウィンクをする乱菊に、修兵が青褪める。

「乱菊さん…俺給料日前…」

既に部屋を出て行った乱菊に気付く間もなく、修兵はその肩をぐったりと落として項垂れた。




−END−


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