顔が酷く熱い。
恐らく酒の所為だけではないそれに、修兵は逸る鼓動を抑えながら先に部屋を辞した拳西のあとを追って広間の障子戸を擦り抜けた。
−部屋へ来い−
随分と色を含んで囁かれた声に、修兵は火照る頬を感じながら庭に面した廊下を歩いていた。
少しずつ広間の喧噪が遠ざかって行く。
(怒ってる、かな…)
強引に勧められたものも多々あるが、それでも少し調子に乗って飲み過ぎたかもしれない。
全く気付かないでいた訳ではないのだ。
幼い頃からずっと時を共にしている拳西の心の動きなど、酒に酔っていようが感じ取れてしまうのだから。
だからこそつい度を越してしまった。
拳西の視線がずっと自分へ向けられている事が堪らなかったのだ。
もうちょっとだけ…勿体なかったな、だとか、謝らないとだとか、そんな事をぼんやりと考えながら歩いていた修兵の腕を、柱の陰からぬっと伸びた人の手が強く引き寄せた。
「っ!?」
手首を捕まれたままドンと背中を柱に押し付けられて、衝撃に一瞬息が詰まる。
視界を暗く覆ったものに何事かと目を見開いた視線の先、とうに此処を出たと思っていた拳西が修兵を見下ろしていた。
「な、拳西さん!?」
「静かに」
修兵の顎にそっと手を添えて遮る。
そしてそのまま上向かせると、その口を己のそれで塞ぎにかかった。
「んぅっ」
始めから深くされる口付けに、修兵は酔いでなかなか上手く入らない力を込めて拳西の胸板を押した。
「はぁ…っ拳西さ、人来る…!」
「誰も気付きゃしねぇよ」
「駄目ですって!」
「静かにしろっつったろ」
ギリギリと柱へ押し付ける力を緩めずに、不機嫌を一面に張り付けた顔を向けてくる。
「飲み過ぎだ、お前」
「う…ごめんなさい、つい…」
チクリと刺される拳西の言葉を受けて、修兵は幾分かしゅんと項垂れた。
「お前のそのついが危ねぇんだ、もっと危機感持てって言ってんだろ。それに、なんでわざわざ言い直した、あんな席でまで"六車隊長"だなんざ呼ばなくていい」
「でも、他隊の隊士達の手前もありますし…」
生真面目に答える修兵に拳西は盛大な溜息を漏らす。
「よりにもよって吉良の野郎の前でまでそんな気使いやがって…」
「え、あ…」
目を余所へ逸らしながらがしがしと乱暴に頭の後ろ辺りを掻く拳西を見て、修兵はさっきまで宴会場で感じていたなんとも言えない感情が再び頭を擡げ始めるのを覚えていた。
あの時からずっと持て余していた感情がむずむずと胸を這い上がり、堪らなくなった修兵は拳西の両頬へ手を当ててそっと視線を合わせると、その広い胸板へしな垂れ掛かる様にぴたりと身を寄せる。
そうして拳西の口元へ手を当てながら、下からふわりと微笑んで未だ眉間に皺を寄せている顔を上目に見上げた。
「嫉妬、してくれました?」
先程までの萎れていた様子から一変し、薄く開いた唇の隙間から零れ出る、とろりと艶を帯びた声音。
(こいつ・・・!)
酔いも相俟ってのその壮絶な色気に、拳西の耳へかっと朱が走る。
頭の中で何かが弾け飛んだのを感じながら、拳西は自分のすぐ横にある何処とも分からぬ部屋の障子襖を足でスパンと蹴り開けた。
そのまま自分諸共雪崩れ込む様に修兵を中へ押しやり、畳へその肩を押し付けながら後ろ手に襖を閉めてしまう。
「け、拳西さん!急に…っ!」
「お前が悪い」
「ちょ、だからってこんなとこで…!」
「戸は閉めた」
「そうじゃなくって!」
薄暗い部屋で組み敷かれ、性急な仕草で死覇装を乱される。
幾ら一つの部屋に宴会の参加者達が集まって騒いでいるとは言え、耳を良く澄ませれば遠くともその喧噪がここまで届いてくるのだ。
広間の様子を考えるに可能性は低いだろうが、いつ誰がすぐ傍の廊下を通らぬとも限らない。
それにここは自室でも拳西の私邸でもないのだ。
だが抗おうにも体中へ回っている酒の所為で拳西の腕から逃れる事は難しく、修兵は自分へのし掛かっている肩や胸をバシバシと叩きながら必死の抵抗を示した。
だがその効力は全く持って無いに等しく、その間にも腰帯はするりと解かれ、修兵と同様酔いで火照った拳西の熱い掌が晒された滑らかな素肌を這っていく。
「あっ、ん…っほんと、駄目です!せめて戻って…っ」
「待てねぇ」
「!待っ、あ、あ…っ!」
乱された袷の襟元を掻き合わせようとする修兵に焦れて、拳西は投げ出されていた白い脚の膝裏へ手を回し、片方をぐいと持ち上げた。
びくりと強張ったその膝頭に一つ口付けを落としてから、柔らかい内股を辿る様にべろりと舌を這わせて舐め上げる。
「んあっ、や…っ」
腰を捩りながら声を上げる修兵の反応に口端を吊り上げ、本格的に愛撫を深くして行こうとした拳西の動きが不意に止まった。
(………)
はぁはぁと涙目で息を乱しながら、不思議そうな顔で見上げてくる修兵の上から身を起こす。
大きく開かされていた脚を慌てて閉じる修兵の頭を一撫でして、拳西は自分の隊長羽織を掛けてやると、そのまま立ち上がり背後の襖をガラリと勢い良く引き開けた。
途端、ばたばたとバランスを崩して重なる様に雪崩れ込んで来た数名の男達。
襖を外さんばかりの凄い物音に驚いて、仁王立ちで立ち塞がる拳西の影から顔を覗かせた修兵は、己の霰もない姿を見られた羞恥から一気に顔を真っ赤に染め上げて絶句する。
今、突き刺さる様な拳西の重い霊圧を浴びているのは、修兵から確認出来るだけでも恋次、阿近、イヅルを筆頭に一角、弓親、射場や荻堂以下数名。
イヅルは修兵に劣らぬ程顔を真っ赤に染めながら青くなると言う器用な芸当を披露し、阿近と荻堂は周到なものでカメラを片手に携え、恋次、一角、射場に至っては鮮血の滴る鼻や股間を押さえながら必死に拳西から目を逸らし、弓親は"僕よりも肌が白いだなんて…!"と見当違いの事を呟きながらギリギリと歯噛みしている始末だ。
全員の視線を一気に浴びて、余りの状況に言葉を失っている修兵はただ必死で拳西の羽織を引き寄せてその視線から逃れようとする。
「ブフッ!!」
その艶めかしい仕草に再び鼻血を吹き出した恋次に、本日数本目の堪忍袋の緒が切れた拳西はズゥンと部屋中の柱が軋むのではと言う程にまで霊圧を上げた。
人間ピラミッド状態で上部に重なっていたイヅル、弓親、阿近、荻堂らその他は命の危険を察すると、以下三名を踏み台にしてさっさと身を翻し逃げ出して行く。
「あ、テメェら置いてくな!オイィィイーー!!」
岩の様にずっしりとのし掛かる拳西の霊圧に身動きすら取れないまま、辛うじて首を捩りながら冷や汗を浮かべた一角が叫ぶ。
その見事なスキンヘッドをがしりと捕まれてぐりんと正面を向かされた一角の目前に、泣く子も白目を剥いて卒倒する拳西の鬼の形相が迫っていた。
「お前らぁ…!!!」
「「「ス…スンマセンでしたァァーッ!!!!」」」
「け、ちょ、拳西さん落ち着いてー!!」
瞬時にして修羅場と化した一室で、逃げ遅れた三名が断末魔の叫びを屋敷中へ轟かせた。
* * * * * *
温かな素肌を通して感じる規則的な寝息と鼓動に、自然拳西の口許が緩む。
己の腹に刻まれた数字へ自分の頬のそれを重ね合わせる様にして、修兵はぐったりと疲れ果てたせいか拳西へ身を預けて熟睡してしまっている。
それでも幸せそうに眠る修兵の髪を、拳西は労る様にして梳きながらその穏やかな寝顔を眺めた。
結局あれから、修兵が止めに入るのも構わず、三人纏めてこってりとのして畳んで庭先へ転がして来た。
その後それらを放置したまま自室へ戻り、思う存分修兵を構い倒して今に至る。
(それにしても…)
−嫉妬、してくれました?−
熱っぽい艶を含んだ声音と共に、壮絶な色香を纏った表情を見せた修兵を思い返して、拳西は再び顔が熱くなるのを感じながら頭を抱えたくなる思いでいた。
いつの間にあんな表情を見せる様になっていたのか。
うっとりと、しかし何処か挑発的な眼差しで甘い声音を伴って拳西を見上げて来たあの表情は、蠱惑的なものすらも孕んでいるかの様で。
惚れた欲目を差し引いても、魅き付けられるのには十分な艶めかしさを持ったものだった。
(危なっかしいったらねぇよ…)
自分の想像も及ばぬ所で修兵がどんどん綺麗になって行くのを傍らで見守るのを嬉しく思う反面、それに比例して要らぬ心配が増えていくのは困りものだ。
だからと言って手を出させるつもりなどは毛頭無いのだが。
それでも、自分の目の届かぬ所での深酒は控えるよう、拳西は半ば本気で"阿散井達との飲酒禁止例"でも出すかと考えながら、ふっと、とある事を思い出した。
いざ事に及ぼうとして邪魔に入られたあの時、阿近と荻堂の手にしていたものを今の今まで忘れていた。
さっさと逃げを打った二人を捕獲する事は叶わなかったが、このままあれを放置しておくなど以ての外だ。
(…明日、技局辺りにでも乗り込むか)
修兵のあらぬ姿が納められているであろうそれを回収に向かうべく、拳西は明日の朝一番の一仕事を決めて、自分の上で熟睡している修兵を起こしてしまわぬ様にゆっくりと抱き込みながら眠りに就いた。
* * * * * *
一方。
「チッ、多少ブレたか…仕方ねぇ。おい荻堂、そっちはどうだ」
拳西の仕置きから逃げ仰せた先。
そそくさと逃げ込んだ技局の一室で、男二人がひそひそと身を寄せ合っている。
「うーん…あ!コレ良いんじゃないですかね、檜佐木副隊長の生脚。ばっちりですよ」
ひらりと、現像を終えたばかりの一枚を阿近の前へ翳して見せた。
隠し撮りにしては上出来過ぎる。
拳西に抱え上げられて露わにされた修兵の白い太股が、絶妙なアングルで納められていた。
まさに、あの時あの場に居た全員が何かを噴き出しかけたそれである。
「な…おい、それ焼き増しして俺にも寄越せ」
「いいですけど…」
荻堂は飄々とした顔で写真を懐に仕舞うと、取り出した電卓を弾き出した。
阿漕な数字を示したそれを、阿近の顔の前へ掲げる。
「コレでどうです」
「てめぇ…人の足下見やがって…」
額に青筋を浮かべつつも、欲望に勝てる筈も無く、阿近は渋々懐から札入れを取り出した。
犯罪紛いのやり取りを続ける二人の元へ拳西が乗り込んで来るまで、あと数時間。
−END−
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