あれから、海燕と都の為に設けられた宴席で修兵もそこかしこに引っ張り回され散々に祝いの言葉を貰ったり洗礼を受けたりした。
夜更けまでどんちゃん騒ぎが続いて畳と仲良くなる者が続出し始めた所で、長居は無用と拳西はまだ院生である修兵へ余り酒気が回らない内に腰を上げた。
海燕と都へ改めて祝いの言葉と帰宅の旨を告げると、修兵と連れ立って泥酔している輩を足で避けながら十三番隊舎を後にした。
「都さん、綺麗でしたね」
「あぁ、そうだな」
二人並んで拳西の私邸へ向かう帰路、先の騒ぎで火照った頬に当たるひんやりとした夜気が心地良い。
今日目にした都の艶やかな花嫁姿を思い出しながら、修兵はもう一度ほぅっと息を吐く。
「お前、都と何話し込んでたんだ」
「え…、…俺と都さんの秘密です…」
たっぷりと間を置いた末のそれに、拳西が呆れた様な苦笑いを見せる。
「そうかよ、いいけどな…」
ほら、と、徐に差し出された拳西の右手。
辺りは宵闇で、感じられる気配は草木の葉擦れの音だけで、久しぶりにこうして二人並んでいられて。
修兵は拳西の意図を汲み取り、差し出された掌へ己の左手を重ねてぎゅっと握った。
ふと口角を吊り上げた拳西の顔が、修兵のとても好きな表情だった。
−愛されてるんだもの−
今日都に言われた言葉が過ぎって、堪らなくなる。
(贅沢、だよなぁ…やっぱり…)
拳西に手を引かれながら、散歩を楽しむ様に静かな夜道をゆっくりと歩いた。
拳西が入浴を済ませている間、茶の準備でもと台所を借りて湯を沸かしながら、修兵は今日の事を思い起こしていた。
自分を幼い頃から大切にしてくれている二人が結ばれて、自分もあんなに沢山の人にお祝いして貰えて、拳西さんの傍に居る事が出来て――、
(十分だよなぁ…)
改めて思い返せば、どうして都にあんな事を言ってしまったんだろうと小さく後悔をする程に自分は恵まれていると思うのだ。
告げたからこそ気付かせて貰えた事もあるのだけれど。
都から貰った紅差しを掌の上で眺めながら、修兵は己の未熟さに少し肩を落としつつ苦笑いを漏らした。
その肩へ、ずっしりと何かがのし掛かる。
「何溜息吐いてやがんだ」
「うわっ!」
湯上がりの拳西が気配もなく修兵の背へ凭れ掛かかり、飛び上がって落としそうになった手の中の物を慌てて両手で握り締めた。
「びっくりした!気配消して来ないでくださいよ…」
「あぁ、悪ぃな。何持ってんだ?」
修兵の手に持つものを指差して尋ねる。
昼間の話題をうっかり口から滑らせぬよう、縁起物として都に貰った紅差しだと言う事だけを至極簡潔に答えた。
「へぇ、綺麗なモンだな」
言いながら拳西は、修兵の首元へ鼻先を埋めて背後から手を伸ばすと、湯を沸かしていた火を消してしまう。
「…拳西さん?」
「修兵、お前また余計な事でも考えてたんじゃねぇのか」
「そんなこと…!」
腰に回されていた腕にくるりと体を反転させられて向かい合う体勢にされれば、何もかもを見透かしている様な顔の拳西と目が合う。
修兵が気まずそうに視線を逸らすと、拳西は小さく笑いながらその前髪をさらりと掻き上げた。
「…まぁいいが」
「・・・」
「なぁ、修兵。まだほんの少し先だが…お前卒院して寮出たらここへ来い」
「え?」
「ちょうど一人じゃ持て余してんだ、そうすりゃ時間だって幾らでも取れる、今じゃ俺よりお前の方が料理も旨ぇ、それに、」
「ちょ、待って拳西さんそれって…!」
自分が卒院をして護廷に入ったら、配属先の隊舎へ住まおうと考えていた、まだ一隊士の立場では尚更これ以上拳西の世話になる訳にはいかないとも思っていたし、それが当然だと思っていたのだ。
拳西が次々言う台詞に頭がついて行かない、これではまるで…。
「何年も待ったんだ、もうそろそろ良いだろう?」
幼い修兵を引き取ってその成長を見守りながら、特別な感情を抱いて自覚をするまでに拳西とて葛藤が無かった訳ではない。
だけれどこれは晴れて想いを繋ぐ事が出来た日から、ずっと思っていた事だった。
一生涯修兵を手放すものかと、何があってもずっと隣を歩いていて欲しいのだと。
その想いをこういった形で伝えるのに、拳西も修兵の事を思い過ぎるが故にかなりの時間を費やしてしまった。
だけれど今日、その切欠を与えられた様な気がしたのだ。
「俺じゃ…拳西さんのお嫁さんになんて、なれないし、それに…まだ俺なんてまるで子供で、それに…っ」
探す様にまだ何かを言おうとする修兵の唇へ、拳西は自分のそれを軽く押しつけて先を遮る。
「俺はお前をもう子供だなんて見てねぇさ。確かに、花嫁衣装は着せてやれねぇかもしれねぇが…」
そう言って拳西は修兵の手から紅差しを取り上げると、その中身を小指で掬い取り、修兵の唇へ薄く丁寧に紅を引いた。
情けない顔で目を潤ませていた修兵の頬がさっと朱に染まる。
「傍に居ろ、修兵、この先もずっと。何があっても俺がお前を守ってやるから、俺もお前の傍に居るから」
じんわりと、拳西の発する一語一語が修兵の胸の内を一杯にしていく。
一つ小さく頷けば、ぽろぽろと修兵の双眸から雫の様な涙が零れ、頬を伝った。
まだ微かに少年の幼さを残す修兵の顔付きに、いつの間にか肩へ掛かるまで伸びていた艶やかな黒髪、白く滑らかな肌と整った薄い唇に鮮やかな紅が映えて、目を伏せ長い睫をしばたかせる度に雫が光りはらはらと落ちていく。
その様相はどんな花嫁よりも綺麗だと、拳西はその清廉な色香へ誘われる様にしてもう一度その唇の端へと口付けた。
「お、れも…っ、拳西さんの傍に居たいです、居させて下さい」
啄む様な口付けを受けて視線を上げた修兵は、ふんわりと、拳西にしか見せぬ柔らかな笑みを向けた。
「あぁ、ありがとう」
愛しさを滲ませた声音でそう答えた拳西は、修兵の頬へ手を添えて止め処なく流れる涙を拭った。
そのまま引き寄せて抱き締めると、修兵も拳西の背へ腕を回しぎゅうっと強くしがみついてくる。
拳西の胸元へ顔を埋めてその心音を聞きながら、ゆっくりと呼吸を落ち着けた。
暫くそうしてからふと互いの腕を緩めて身を離した途端、修兵の顔がかっと真っ赤に染まる。
「なんだ、どうした?」
「あ…っすみません…!拳西さん湯上がりなのに…」
緩く着崩した着流しの袷から覗く己の胸元へ視線を落とせば、さっき自分が引いてやった修兵の紅が晒されていた素肌へ赤く移ってしまっていた。
そのせいでほんのりと薄付きになった修兵の唇へ残る紅。
慌てた様に拳西の胸元へ手を伸ばしながら、眉尻を下げ潤みきった目で見上げて来る修兵に、抗い難い衝動が込み上げる。
「随分、色っぽいことになってんな…」
ニッと口の端を吊り上げた拳西が、ぐいと修兵の腕を引き腰を支えながらその場へ軽々と押し倒してしまう。
「!待っ、拳西さん俺まだ風呂も入ってな…!」
「後で入れてやる」
「それにお湯がっ」
「火は止めた」
「でも…っ」
「いいから、もう黙れ」
耳元で甘く囁かれて、全身の力がみるみる抜けていく。
「子供だなんて見てねぇって、さっきも言っただろ?」
「っ!」
この声に抗えた事など、ただの一度としてないのだ。
* * * * *
背中から伝わる規則的な寝息が心地良い。
あの場でなだれ込む様にして愛された挙げ句すっかり立ち上がれなくなってしまった修兵は、拳西に抱き上げられて寝室まで運んで貰うに至り、またそこでも再三甘やかされてくったりと疲れ果てそのまま眠りに落ちてしまった。
床の中で拳西に背後から抱き竦められながら、甘い倦怠感を味わう。
枕元へ置かれている紅差しが障子戸の隙間から漏れ入る月の光を反射して、胡蝶蘭の花を淡く浮かび上がらせていた。
ぴったりと隙間を埋める様にして自分の腰を抱いている拳西を起こさぬ様に、修兵はそっと腕を伸ばしてその紅差しを手に取った。
昼間、都に言われた言葉を思い出す。
昔から紅には、男性が意中の相手の想いを繋ぎ止めておく為のまじない事に使われていたという云われがあるのだと―。
(その通りかもしれない…)
たった一日で、一度にこんなに沢山の幸せを貰ってしまっても良いのかと、怖くなる位の幸福感に身を委ねながら、修兵はその"お守り"を大切そうに掌の中へ納めて、再び穏やかな眠りへと意識を手放していった。
− 了 −
後書きと言い訳
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