拳西side
かつて溜息をこれほど吐いた日があっただろうか。
そして、書類を幾多も台無しにした日があっただろうか。
(言い過ぎた…だろうな…やはり)
思い出すのは、あいつの泣き顔。
辛そうな、悲しそうな、諦めたような、諦めきれないような、苦しいような、そんな顔をしていた。
(また泣かしちまったか…)
ただその真実に溜息が止まらない。
白や真子やラブには辛気臭いだのなんだのと言われ、ひよ里やリサには散々嫌味を言われた。
どうやら自分は随分酷い顔をしているらしかった。
理由は分かっている。
あの見合いだ。
いや、あれは見合いとは言わないだろう。
どっかの料亭に無理やり連れてこられ、勝手に惚れただ何だ抜かす女にいろいろ言われ、挙句には結婚してくれと迫ってきた。
絶句した。こんな奴が世の中に居るのか、と。
俺は結婚する気はさらさらない、まあ相手が修兵だったら話は別だが。
とにかく散々言って帰り、果てしなくどうでもいい話だったために修兵には話さないでいた。
そして、そのまま前々から入っていた現世への任務に赴いた。
…今思えば、なんであの時の時点であの女の息の根を止めなかったのだろうと思い、舌打ちする。
「あの、隊長」
「…ああ?どうした」
三席がおそるおそるという風に尋ねてきた。
「あの、檜佐木副隊長とは…」
「…ああ。全く顔を合わしてくれねぇ」
あの後、修兵はしばらく四番隊で養生していた。
幸い怪我は酷いものじゃなかったし、点滴を受けてしばらく入院していたら数日で退院した。
その間、何度も顔を見には行ったが修兵と直接顔を合わしていない。
修兵が深く眠っている時を見計らって訪れるか、阿散井たちと談笑している様をそっと見たり聞いたりするぐらいだった。
卯ノ花に修兵を興奮させるような真似をさせるわけにはいかない、と言われたからだった。
体調が元に戻ってからも修兵は俺と生活していた家に戻らず、阿近や阿散井など親交のある人物の所に厄介になっていた。
幾度も修兵が厄介になっている人物の元へ行ったが、大方の連中が苦笑いして俺を見ていた。
修兵の意思で、俺に相当会いたくなかったらしい。
その事実に、若干………いや、かなりショックを受けた。
そもそもの元凶のあの女だが、あの言い合いの後で家に押し掛けてきた。
あの女の言い草から、修兵にも何か言ったんだろうということは分かった。
問い詰めたらぼそぼそと事の経緯を話したもんで、それを知った時は本当にあの女をぶん殴ってやろうかとも考えた。
三席が居なかったら、おそらく俺は本当に殴っていただろう。貴族だろうが女だろうが容赦しねぇ。
その女なんだが、実は夫が居た。それも上級貴族の男。(ちなみにこれらは全部白と真子情報だ)
そんな男が居たのにも関わらず、俺に結婚しろと迫った。
あの女の思考回路がどうなってんのか甚だ不明だった。知りたくもなかったが。
ちなみにだが、あの女にはまあそれなりの処置をこちらでさせて貰った。
…改めて修兵が多くの連中から好かれているというのをしみじみ実感した。
「何もかも、あの女のせいですよね…」
「そうだな、そうなるな」
「あの人やばかったですよね、白粉だか香水だかキツイし、品ないし…絶対に副隊長の方が美人ですって、あれ」
「お前でもそう思うのか」
「好みかもしれませんけどね。少なくともあの女性よりは檜佐木副隊長の方が魅力的ですよ、と皆言ってます」
おそらく九番隊の連中だけじゃないんだろうな、と心の中で呟いた。
修兵は本当にいろんな奴、それこそ老若男女問わず誰にでも好かれる。
それは親代わりである自分からしてみれば誇らしく自慢だが、恋人の自分からしてみれば悩みの種であるというのは、自分だけの秘密だ。
そんなことを思っていると、小さく伝令神機が振動し、着信音が執務室に鳴り響いた。
画面を見れば、修兵の口からよく聞く後輩の名前だった。
伝令神機を手に取り、カチカチと弄って確認すれば、短く適切な文章のメールが送られたことを知る。
「…悪い、後を頼めるか」
「副隊長ですか?」
「いや、阿散井たちだ」
三席がどこか納得したような声を漏らす。
あとは提出するだけの書類の束を手渡すと、三席は苦笑してそれを受け取った。
「飲み過ぎてないといいのですね」
「さぁ…どうだろうな」
「はは…さ、あとは任せてください」
三席の言葉に、すまんと短く詫びを入れて隊首室を出ようとした。
隊長、と呼ばれて顔だけをそちらに向けると、書類に目を通している三席の姿があった。
「…早く仲直りして、いつものお二人に戻ってください」
「…ああ、悪い」
「いいえ。檜佐木副隊長が心から笑顔で過ごされているのを見ているのが、我々の幸せですから」
まったくもって、俺も修兵もいい部下を持った。
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