『…もう、いいです。分かりました、隊舎に顔を出さなきゃいいんでしょう』
『俺が言いたいのはそんなことじゃねぇ!!』
『…っなんですか、じゃあ!俺はどうしたらいいんですか!?』
『体調管理すらできない副官なんざ必要ねえって言ってんだ!!大人しく養生してろ!!』
『幸せの在り処』
修兵side
そんな言い合いをして、数日が経った。
もう何杯目か分からないお酒を口に運んで、つい先日のことを思い出す。
お酒の味が分からない。
甘いのか辛いのか、苦いのかそもそも味が無いのか、分からない。
何が肴なのかも分からない。
それぐらい、自分は酔っていた。酔いたかった。
そもそも何がきっかけでこうなったのかと言ったら、甘味処で乱菊さんから拳西さんがお見合いをしたらしいっていう話を聞いたことだった。
拳西さんが、お見合い。
そう乱菊さんから聞かされて驚きはしたけど、嫉妬の念はなかった。
ただ、言葉が出なかった。
ただ、泣きたかった。
ただ、寂しかった。
あの人は俺に何も言ってくれなかったからだ。
どうして、言ってくれなかったんだろう。
俺はもう、ガキじゃないのに。
あの人にとってはいつまでも俺はガキなんだろうけど、拳西さんがお見合いをすることに口出しなんてしないのに。
お見合いするんだと言われても笑顔で送り出す自信があった。
うんざりした顔で帰ってくる拳西さんを労ることが出来る自信があった。
それは、拳西さんなら俺のことを選んでくれることを分かっていたから、だけど。
なんで、拳西さんは言ってくれなかったんだろう。
それだけが、ただ脳内を埋め尽くしてしまった。
案の定、拳西さんは会うだけ会って婚約は断ったらしい。
それで、ようやく俺の心も落ち着くと思った。
でも、そうはいかなかった。
お見合い相手の女性が、俺のもとに訪ねてきたからだった。
『貴方、檜佐木修兵様ですか?』
『そう…ですけど…あの、失礼ですが貴女は…?』
『先日六車様とお見合いさせて頂いたものです。六車様は?』
『…申し訳ありません、ただいま出払っておりましていつ帰ってくるかは…』
『いいの、用があるのは貴方だから』
『…俺に、ですか?』
綺麗な人だ。着ている着物はいかにも高級そうな代物で、貴族の出の人なんだと分かる。
黒髪は艶やかで、唇に引いた紅は赤い。
白粉か香水特有の甘ったるい香りがして、ああこの人は女性なんだとつくづく思わせた。
『六車様に言われました。自分は婚姻するつもりは今もこれからもないと。…檜佐木様、貴方が居るからです』
『…え…?』
何を、言ってるんだこの人。
『聞けば貴方は六車様の養子だとか…こんなことを申しますのも難なんですが、六車様には幸せになって頂きたいんです。貴方だってそう思うでしょう?』
『そう…ですけど…』
『考えてみてください。結婚し、家庭を持ち、子が産まれ、育て、共に生きていく人が居る…それがいわゆる幸せというものでは?』
『そう…でしょうね』
他にも何か言われた気がしたけど、よく覚えていなかった。
ただ、一つの疑問がぐるぐると俺の頭を支配する。
俺と居るせいで、拳西さんの幸せを奪ってしまう?
拳西さんの幸せって?
拳西さんの幸せって、なんなんだろう。
俺と拳西さんが思い願うことは同じだと思っていたけど、もしかしたら違うのかな?
でも、女の人が語るものは確かにありふれてはいるけどちゃんとした人並みの幸せだ。
俺では、決して叶えさせてあげられないもの。
そう思うと、俺は何も言えなかった。
気がついた時には、女の人の姿はなくて、知らないうちに帰ったんだと悟った。
でも彼女が去った後も、俺はしばらくその場に立ち尽くしていた。
もし、俺が女だったなら。
拳西さんと結婚できたし、拳西さんの子供も産めただろうし、周囲から関係を認められて、祝福もされたことだろう。
でもそれは、俺が男である限り叶わないことだ。
俺がもし女だったら、拳西さんは幸せになれただろうか。
思えば思うほど、考えれば考えるほど、わからなくなってしまった。
だから、仕事に没頭した。
身体を休ませる暇がないくらいに、何かに打ち込めばいい。
そうすれば、弱虫で泣き虫で臆病な、誰にも見せたくない弱い自分が出てきてしまうことはなくなる。
そうでもしなければ、泣いて泣いて泣き疲れて、情けないところを皆に見せてしまうと思った。
そうだ、そうしよう。
心を失くしてしまうくらい忙しくすればいいと、お見合いのことなんて忘れるぐらい仕事に没頭すればいいと思った。
勿論、分かってる。
徹夜を繰り返す。
虚討伐に積極的に応じる。
何もなくなってしまったら自分で自分を痛めつけるように剣を降って、鬼道を放って、限界まで瞬歩で駆ける。
そんなことをしていたら、自分の体がもたないって。
でも、そうせずにはいられなかった。
認めたくない現実から、必死で逃げようとしていた。
そんなことをしていたら、さすがに俺の身体は限界を迎えたらしい。
副隊長会議が終わって、副官室に戻って、さぁ仕事に取りかかろうとしたら急に意識が無くなった。
そして、気がついたら四番隊の総合詰所のベッドの上だった。
栄養失調に、寝不足に、貧血に、過労。あと何か言われたけど、だいたいそんな感じだった気がする。
第一発見者である三席に泣きつかれ、倒れたことを聞かされて病室に駆け込んできた阿散井達に心配され、阿近さんや七緒姉ちゃんは俺が目を覚ましたことにほっとした様子だった。
ただ、現世任務から帰って来たばかりの拳西さんだけが。
険しい表情をしていた。
「なんで無茶した」
忘れたいことから逃げるためです、とは言えない。
だから俺は曖昧に笑って、ただごめんなさいと呟いた。
「謝れと言ったか?俺はなんで無茶したんだと聞いてるんだ」
「別に無茶なんて…」
「寝不足で貧血で過労で倒れてもか。ろくに飯も食わずに仕事やら無茶苦茶な稽古してもか」
「それ…は…」
なんで俺は女じゃなかったんだろうと思ったからです。
どうして拳西さんがお見合いの話をしてくれなかったのかについて考えていたからです。
拳西さんにとっての幸せってなんだろうと思ったからです。
俺が居たら、拳西さんにとっての幸せの妨げになるんじゃないかと思ったからです。
なんて、絶対に言えるわけない。
「け……六車、隊長には、関係、ない、ですから」
その一言を言ってしまったことに、俺は物凄く後悔した。
一瞬、本当に偶然に拳西さんの悲しそうな顔が見えてしまったから。次の瞬間に怒った表情になったけど。
そして言われた言葉に俺も傷ついてしまった。
拳西さん、怒ってた。
俺が無茶して倒れたから?
関係ないなんて言ったから?
いろんな人に心配や迷惑かけたから?
フラッシュバックする、あの時の拳西さんの言葉。
『体調管理すらできない副官なんざ必要ねえって言ってんだ!!』
必要、ない。
ぽた、と水滴が落ちて、畳がじわりと滲んだ。
その様子を見て、初めて自分が泣いているんだと気がついた。
一旦零れ始めた涙は止まらなくなってしまって、俺は慌ててテーブルに突っ伏して顔を見られないようにした。
目から水滴がどんどん溢れてきて、頬を伝ってぽたりとテーブルに落ちていく。
テーブルにはいくつもの小さな小さな水たまりが出来た。
少し遠くの方で、少し近くの方で、乱菊さんや阿近さんが俺を呼ぶ声が聞こえる。
酔って寝たふりを、してしまおう。
今日は変だ。いつもの自分らしくなく、変な飲み方をしてしまってお酒を飲みすぎた。
暑くて、頭がふわふわする。
…このまま寝てしまって、起きたら家で拳西さんが横で寝てて、今までのこと全部が夢だったなら。
どんなに、いいだろう。
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