ビリビリとした痺れが、冷や汗と共に背筋を伝う。
部屋の中に居ても外からのそれが十分に感じ取れる程、常よりも格段に荒れた霊圧にぎょっとして、修兵はその人物がこの家の扉を開ける前から息を潜めて身構えた。
どんどん近付いてくるそれが乱暴に鍵を差し込んでがらりと扉を開けた途端、ズゥンと、家中の空気が重く垂れ込める。
家主の帰りを待ちながら座椅子でゆったりと時間を潰していた修兵が何事かと出迎えようとその腰を上げかけた時、物凄い音を立てて障子戸が左右に開かれた。

「おかえ、り…」

チラリと、無表情で修兵の姿を一瞥した阿近はそれ以上視線を合わせる事も無く、羽織っていた白衣を畳の上へ乱暴に脱ぎ捨てた。
無言のまま修兵の傍らまで大股で歩み寄り、口にくわえていた煙管の雁首を煙草盆の縁にカンッと叩き付ける。
強かに打ち付けられて消えた火種と舞い上がった灰。
機嫌が悪い、などと言うものではない。
触らぬ神になんとやらと言う言葉が過ぎったものの、日頃ほとんど感じ取る事のない程の乱れた重々しい霊圧と挙動に驚いて、修兵は恐る恐る下からその顔を覗き込んだ。
不機嫌を通り越して一切の表情を排除したその目の奥は、御し切れぬ怒りが沸々としている様でぎらりとその紅色を濃く映している様に見える。
それと同様、その目の下を縁取る青白い隈もほんの数日で随分と色濃くなってしまっていた。
ここの所難儀な研究を進めているとは聞いていた、先週から格段に増えた激務に己などよりも余程休息を取れていないのではないかと思う程だ。
何か余程納得の行かない事でもあったのだろうか、それとも蓄積された疲労諸々故か、恐らくその両方なのだろうと見当を付けるものの、驚異的に高いプライドを持ち併せているこの鬼へ容易にそれを訪ねる事など出来る筈も無い。
それは過去に何度か地雷を踏んでしまっている経験から思い知っている。
膨れる一方の不穏な霊圧の中へ、僅かに混ざる弱々しい疲弊感。
それを感じ取った修兵は、今日はこれ以上自分が居ても邪魔になるだけで休めないのではないかと思い至る。
今夜はなんとか定時で上がれた為、時間に余裕があった事が幸いだった。
風呂の準備も終わっているし、食事の支度も済んでいる旨を出来るだけ簡潔に伝える。
そうして立ち上がり部屋を出ようとした修兵の腕を、阿近は強く掴んで引き寄せた。
返事もせず視線も合わせずだった阿近の急な行動に驚いた修兵はバランスを崩し、そのまま乱暴に座椅子へと再び投げ戻されてしまう。
強かに尻餅をついた修兵は、ギリリと腕を掴んだままでいる阿近の表情の失せた目に上から射竦められながら肩を強張らせた。

数秒の沈黙。

突如こちらへ身を屈めた阿近にびくりとおののいたのも束の間、ぼすんと、膝の上へ感じる重み。

「阿近、さん…?」

強引に座り込む形になった修兵の膝の上へ、阿近がごろりと頭を乗せて畳へその長身を横たえていた。
突然の事に狼狽する修兵を余所に、阿近は据わりの良い角度を探しながら暫く頭を動かしてぴたりと落ち着くと、片手で両の瞼を揉む様に覆いながら、もう片方の腕を修兵の腰へ巻き付けた。

「あの…」

「黙れ」

随分と大胆に甘える様な仕草を見せておきながらも、ひやりとした冷たい声で遮られて修兵は今の状況へより一層困惑の表情を浮かべた。
今まで幾度と無く不機嫌な阿近を目にして来たが、この状況は前例が無い。
大抵こちらが介入する隙も与えずいつの間にか一人で完結させてしまっていて、ここまで修兵に対して感情を露わに向ける様な事など無かったのだ。
今回は余程の事があったのだろう。
尋ねられない代わりにその髪へ触れようかと躊躇っている修兵の耳へ、阿近の声が静かに流れ込む。

「お前の、何処が好きかっつーとだな」

「………は…?」

発せられた突拍子もない一言に、修兵はたっぷりと間を置いてから間抜けな声を出した。

「やたら器用で飯が旨ぇ、それに尽くすタイプだろお前」

「…え」

「この太股の感触と、身長の割に華奢な腰と」

「な…」

「噛みついてやりたくなる項と鎖骨と、俺を呼ぶ時にやたら甘くなりやがる声と」

「ちょっ、な、なに言ってんの阿近さ…!」

「俺に呼ばれただけでだらしなく緩んじまう目と、その黒髪と、俺に心底ベタ惚れしてやがる所と」

「!!ま、待て、ちょ、なに、無理!無理無理ストップっ!」

一連の流れと全く脈絡無く発せられていく阿近の科白に、修兵はみるみる顔を真っ赤に染め上げながらその口を塞ぎに掛かった。
瞼を覆っていた掌を外して、阿近は自分の口を塞ごうとする修兵の手を絡め取り、ニヤリとその口角を吊り上げる。

「テメェの何もかも余す所なく、全部だ。だから今から俺を構い倒して労れ、死ぬ程な」

「あ、んたって人は…!!」

ついさっきまで恐ろしい程の不機嫌とドロドロとした霊圧を露呈していた人物とは、とても同じと思えない程の表情と台詞との差に、こちらが羞恥で死んでしまいそうだと、修兵は空いている方の手ですっかり血の昇ってしまった顔を覆い隠した。
それでも、振り回されている事へ対する怒りなど微塵も沸いて来る事など無く。
寧ろ滅多に聞く事が出来ない阿近のとんでもない告白と、ぶっきらぼうにもこうして甘えてくれている貴重過ぎるこの状況を、不敵な笑みを浮かべながらもやはり隠せない疲労を滲ませた阿近の顔を見下ろしながら、不謹慎にも酷く嬉しいと思ってしまう。

ころころと変わる修兵の表情を面白気に眺めていた阿近が、合図をする様に修兵の頬へ手を伸ばした。

−何もかも−

−全部だ−

頭の中でループする阿近の台詞。
なんとも言えぬむず痒さをやり過ごそうと、修兵は伸ばされた阿近の腕を取りその掌へ口付けた。
それから手首、肘へとゆっくり下降させて行きながら、青白いその頬に手を添えて、髪、額、閉じられている瞼、鼻先へ啄む様に労る様に唇を落としていく。
身動き一つせず大人しく修兵の口付けを甘受している阿近が妙に可愛く思えてしまって、何処と無く立場が逆転している様な状況に気を良くした修兵は少しずつ行為を大胆なものにさせていった。
喉元や鎖骨にまで柔らかく唇を押しつけながら、再び口端へ差し掛かった途端、ぐいと引き寄せられる後頭部。
ぶつける様に押しつけられて、油断をしていた唇の隙間から阿近の舌先が入り込んで来る。

「んぅ…っ!」

驚いて身を引こうとするも適わず、ぬるりと侵入して来た柔らかくて熱いそれに歯列をなぞられ、舌を絡め取られる。
裏側を撫で上げられて舌先を甘噛みされた修兵は、苦しげに吐息を漏らした。

「んんっ・・・ふ・・ぅ」

再び角度を変えて噛み付く様に施されながら、口蓋をなぞらえ舌の根から絡め取る様に吸い付かれた後、下唇を幾度か悪戯に食まれてようやく解放される。

「は、ぁ・・・っ」

息を整えながら見下ろせば、随分と満足そうな表情を浮かべる阿近と目が合った。

「ごちそーさん」

「…さっきまで凄ぇ不機嫌だった癖に」

「うるせぇ」

「なんでこう、いつも無茶苦茶な…」

「慣れろ」

「横暴」

修兵の抗議を鼻で一笑しながら、こちら側へごろりと向き直った阿近が修兵の腰に腕を回してその薄い腹へ顔を埋める様な体勢を取った。

「一時間経ったら起こせ…。続きして貰わねぇとなぁ」

「な…っ、絶対ぇ起こさねぇ!!」

反論虚しく落ちる様に規則的な寝息を立て始めた阿近を見下ろしながら、修兵はなかなか引かぬ頬の熱を自覚して深く息を吐いた。
既に静かな寝息を立てている阿近の髪を、柔らかく撫でる。
なんだかんだで、きっと一時間後にはしっかり起こしてしまうのだろう。
随分などさくさだったが、それこそ一生分を貰ってしまった様な阿近の直球過ぎる大告白へ相応のお返し、もとい仕返しでもしてやろうと顔を緩ませながら考えてしまう自分も救えない程にはこの男の事が相当、

「好きだなぁ…」

「知ってる」

「っ!?起きてたのかよ!」

再び不意を突かれた修兵は、自分の膝を占拠しているこの食えない男の頭を思わずぱしりとひっぱたいた。



−END−



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