―阿散井が私邸を持った…―



らしい、と言う事を修兵が聞いたのは、本人の口からではなく人伝に六番隊の三席からだった。

「…は?いつ?」

「確か…先月辺りだったと思いますが。阿散井副隊長は本日午前上がりの届けを出しておりますので、恐らく今はそちらにいらっしゃるかと思います」

「…そうか」

それだけ言って押し黙ると、当の恋次へ届けに来た書類を三席へ押しつけて踵を返した。


まさに寝耳に水とはこの事だ。
先程三席は先月辺りからだと言っていた、それを逆算して考えれば、恋次が私邸を持ってから一度は…少なくとも二週間前には修兵と二人で会っている。
それにも関わらず、恋次はそんな話を欠片も修兵に告げてはいないし、ましてや今日の早上がりだって今の今まで知らなかったのだ。
今まで貴重な非番や午前終業の時には、己の居住スペースである九番隊舎の離れに恋次が入り浸る形で時間を共有していた。
事前に知らされていた非番が潰れた時には必ずこちらへ連絡を寄越して来ていただけに、こんな肩透かしを食らうのは恐らく初めてだ。
そんな決まり事を互いに作っていた訳では無かったが、自然とそれが暗黙の了解になっていたのも事実で、修兵は胸の内で何やらもやもやとした違和感が生まれるのを覚えていた。




それから忙殺される日々が続いて、ろくに恋次と顔も合わせないままに半月が過ぎていた。
帰る間も寝る間も無く仕事に没頭しいている時には意識の外へ追いやってはいるが、変わらず例の件を自分へ切り出さない恋次にどうにも己の口から聞くタイミングを失って今に至る。
ほんの一言さらりと尋ねれば良いのだろうが、一度抱いてしまった小さな疑念にも似た不安要素はなかなか拭い去る事が出来ないでいた。
思えばここ二カ月の間で急激に減った逢瀬の回数、伝令神機への着信も履歴が足される事はなく、今やぱったりと、それが当たり前になりつつある日常。

(アイツに限って…まさか女囲うなんてこたぁ…)

どんどん飛躍していく己の思考を打ち消す様にかぶりを振る。
修兵が三席の口から飛び出た問題発言を聞いて以来、ちょうど1カ月が経過してしまった。
今日も変わらず恋次がここを訪れる気配は無く、膨らみ続ける違和感から目を逸らしながら無理矢理床へ入った。





半分ほど覚醒し始めた意識の隅で、がたがたと大きな物音がする。
勢い良く雨戸を開け放たれた途端射し込む陽射しに、閉じた瞼の内側で瞳孔がぎゅっと縮まった。
強制的に起こされて思い切り寄る眉間の皺。

「センパーイもうすぐ昼っスよ」

間延びした声の主を睨み上げようとした視線の先で、こちらの寝覚めとは正反対のやたら爽やかな真昼の陽射しを背負って見下ろしてくる赤髪と目が合った。

「…誰だてめぇ」

「アンタの愛する旦ブッ」

言い終わる前に修兵は突っ伏していた枕を恋次へとぶん投げた。
見事顔にめり込んだ枕が間抜けな音を立てて落下する。

「…なんでお前がここにいんだよ」

「だって、先輩今日非番っスよね」

「うるせぇ、帰れ」

ここの所の散々な悩みの種だった男があっさりと部屋へ侵入し目の前に姿を現している状況に苛立って、修兵は随分と険を含んだ物言いを返した。
ふ、と、頭上で恋次が苦笑いを漏らす気配がする。

「なに拗ねてんだよ」

「拗ねてねぇよ」

「拗ねてんじゃん。まぁいいや、目ぇ覚めただろ先輩、散歩行きましょう散歩」

「なんなのお前…お前が目を覚ませ」

「ちょっといいモンあるんスよ、だからほら」



それから無理矢理起こした罰だと言いながら恋次に遅い朝食を用意させてほんの少し機嫌を直した修兵は、目の前にある見慣れぬものに首を傾げている。

「この間阿近さんトコから貰って来たんスよ、技局の物置整理するっつんで駆り出されたんですけど、そん時に」

深緑の車体に茶色い革張りのサドルがついた、懐古趣味な風体の現世の自転車だ。

「へぇ…」

修兵は物珍しそうにそのハンドル部分に触れた。

「これで散歩行きましょうよ」

「一台しかねぇじゃん」

「いいんスよ一台で。近くふらっとするだけだから」

言いながら恋次はその車体を引いて歩き出してしまう。
チラリと、視界の隅に入った平たい金属の荷台が気になったけれどそれ以上は追求しない事にした。




天気は快晴で、風もそれ程強くはない。
いかにも散歩日和と言ったところだ。
手持ち無沙汰に修兵が手を帯へ引っかけると、それを見た恋次が
−両手塞がっちまってて残念−
などと軽口を叩いている。

「手なんざ繋ぐか馬鹿」

言いながら恋次の頭をはたく。
横目で盗み見た恋次は随分と穏やかに相好を崩していて、知らず修兵にもその表情が伝染する。
ついさっきまでむっすりと機嫌を損ねていた自分と、ここ数日間ずっともやもやとしたループにはまっていた自分が何だったのかと思う位の穏やかな時間だった。
のんびりと歩く修兵に、恋次が歩調を合わせる様にして自転車を引いている。
気付けば六番隊の隊舎裏辺りに差し掛かっていて、人通りもなくて、周囲の僅かな生活音と二人分の足音が耳に心地良く届いた。
他愛のない会話を交わしながらそのまま少し歩いて、恋次の進むまま二度ほど角を曲がる。
二つ目の角を曲がったその先の光景に驚いて、修兵は不意に足を止めてしまった。
その一歩先で、恋次が立ち止まり振り返る。
目を見開く修兵の視界いっぱいに飛び込んで来たのは、見事なまでに満開の桜並木だった。

「…こんな所、あったのか」

一直線に続く緩やかな坂道を、薄紅の花が囲う様に左右から伸びて陽の光を集めている。
瀞霊廷にこんな場所があったのかと、半ば呆然としながら驚く修兵はその光景を見上げた。

「綺麗だな…」

思わず感嘆の声を上げてしまう程、目を射る様に鮮やかな光景だ。
それを聞いた恋次が嬉しそうに笑う。

「だろ?」

二人並んで満開の桜を仰ぎ見た。

「これを先輩と一緒に見たかったんスよ」

−本当は去年から知ってたんだけどな−

彼独特の口端を上げた苦笑いを微かに浮かべながら、恋次は修兵へと視線を移した。

「今年こそ見せたいと思ってたんで」

言われてみれば、一年前は花など見ている余裕など無かったのかも知れない。
藍染、市丸、東仙の三隊長の離反事件から、思えばもう一年も経過していたのだ。
未だ瀞霊廷各所でも己の中でもあの事件がもたらした爪痕は消え去ってなどいなかったけれど、それでも、随分と穏やかな日常を送れる様にはなったのだと思う。
そう思えばなんだか急に、恋次が今隣に居る事に対する妙な安堵感が込み上げて来る。

修兵は敢えてそれは口にせずそのまま並木道へ数歩足を進めると、恋次がその隣に並んで顔を覗き込んで来た。

「で、もう一つ」

そのまま自転車の座席に跨って、

「どうぞ」

後ろの荷台を肩越しに指差した。
まさかとも思わずして当たった修兵の予想。

「…俺に乗れと?」

「俺の脚力ナメないで下さいよ」

「そういう問題じゃねぇよ、大概デカい男同士で二人乗りすんのかよ!?」

「いいじゃないっスか、ここ自転車で下ったら気持ち良さそうじゃん」

眉間に皺を寄せる修兵に構わず、恋次は並木から漏れる陽射しを背にして邪気の無い子供の様な顔を向ける。
なんやかんやと一悶着した後、木の芽時だからだなんだのと春の陽気のせいにして、結局折れた修兵は恋次に言われるまま荷台に跨った。




両手でブレーキを調節しながら適度な速度で坂道を下っていく。
陽の光を一杯に浴びて、重なり合う影ですらも淡い薄紅色に見えた。
穏やかな風に煽られた無数の花弁が、坂を下りる修兵と恋次の目の前をはらはらと遮ってはまた舞って。
恋次の鮮やかな赤い髪に、広い肩に背中に、ふわりと落ちては離れ修兵の頬を撫でて過ぎていく。

すげーだのきれーだの、餓鬼みたいに騒いでる恋次の背後で不意に沸いた好奇心。

修兵は目の前の腰にがっしりと腕を回して、横切る花弁を追う様に首を思い切り後ろに仰け反らせた。

途端、白くなる視界。

目を射抜いた鮮やかな薄紅の陽はそのまま修兵の瞼に焼き付いて、目の前を桜色で覆い尽くす。

「うおっあっぶね!!」

急に重心が後ろへ傾いだせいで恋次がバランスを崩す。
一瞬崩れた体勢を器用に戻して、冷や汗を拭った。

「落ちるっつの!」

「あんだよ、脚力信じろって言ったじゃねぇか」

「それとはまた別だろうが!」

「ふーん…」

「…じゃあ、ちょっと面白い事します?」

ぱっと、恋次の両手がブレーキから離れる。

「ちょ…っ」

しまったと思った。
負荷から解放された車輪は勢いを増して、あっと言う間にスピードが上がる。
二人分の重さのお陰でぐんぐんと速くなるそれは、細い綱の上を走っている様な不安定さだ。

横に流れる景色の色が混ざり始めた所で、思わず恋次の腰に回していた腕に力が入る。

ぎゅっと目を瞑りながらその背へ頭を押しつけた途端、響いたブレーキの金属音。

ぐっと車体ごと斜めに傾いで、最後の金切り声を上げた自転車がピタリと停止した。

はっと目を開いた景色で、坂を下り切ったのだと知れる。

「な、面白かっただろ?」

「…信じらんねぇ、お前」

「怖かったっスか?」

「うっせぇ!コケたらどうすんだよ馬鹿が」

「大丈夫ですって、俺が先輩に怪我させる訳ないでしょうよ」

恋次は笑いながら飄々とそんな台詞を吐く。
この男の持つこういう率直さは、時折年上である修兵が狼狽える程に強く投げられる。

「阿散井、ふざけやがった罰だ、俺乗せて坂道全部上れ」

「え、まじで…?」

先と変わらず咲き誇る満開の桜は、坂の下から見上げているせいか更にその降り注ぐ様な光を増していた。
自転車の向きを直して修兵を乗せた恋次が、

「うっし」

一つ呟いて気合いを入れる。
少々バランスを崩しかけながら、軌道に乗るまでペダルを力強く立ち漕ぎで踏み込んだ。





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