カタン、がさり、ザザッ・・・。

キッチンから夕食の支度を始めた音がごそごそと聞こえて、拳西は見るともなしに流していたテレビの音量を少し落とした。
冷蔵庫や食糧棚から取り出した食材と調理器具を綺麗に並べて、頭の中にすっきりと入っているレシピ通りに手を動かす修兵の様子をちらりと見遣る。
無駄の無い動作で次々と材料の下拵えをしていく修兵の手元をぼんやりと眺めるのも、耳に届く軽快な作業音をBGM代わりに聞いているのも好きだ。
時折混じる、上手いのか下手なのか分からない鼻歌も可愛いので、リビングに居る時に修兵が料理を始めた時にはいつもこうしてテレビの音量を控えめにするのが常だった。
さて今日の献立は何かと、心地良い音に耳を澄ませながら空腹を訴え始めた腹をひと撫でして、拳西は穏やかな心持ちで手元の雑誌へ再び視線を落とす。






◇焼き枝豆


トントントン、と、包丁がまな板の上を叩く小気味良い音が響き始めた頃、ガチャリと阿近の部屋の扉が開いて主が顔を出した。
暫く引き籠って作業をしていたせいで酷使したであろう目をぱしぱしと瞬かせながら、リビングに座る拳西を一瞥しただけで目の前を横切り、ふらふらとキッチンへ向かう。
そうしてそのまま修兵が絶賛稼働しているキッチンのカウンターへストンと腰を落ち着かせた。
それと同時に、じっと手元へ熱い視線を送って来る阿近の口元へ、修兵が刻んでいる途中だったキュウリの薄切りを一切れ摘まんで差し出す。
口を開ける阿近へそれを放り込んでやれば、満足そうな顔でシャクシャクと咀嚼した後、再度パカリと口を開けて二切れ目を催促した。

「……、」

まるで雛鳥の餌付けだと、もう何度も見ている筈の光景なのだが、拳西は毎回その一連の流れに吹き出しそうになる笑いを噛み殺す。

近頃、拳西が密かに楽しんでいた”料理中の修兵を堪能する”時間に、別の楽しみを見つけた阿近がプラスされたのだ。
普段は絶対に自ら台所になど立とうともしない癖に、どうしてか修兵が忙しなく動き回っているキッチンには進んで足を踏み入れる。
構って欲しいのか気晴らしにちょっかいを出したいのか、恐らくその両方なのだろうが、作業する修兵の周りをうろちょろしては怒られるということを繰り返していた。
初めの方こそはいはいとあしらっていたものの、流石にしつこかったのか本気で怒った修兵にキッチンを叩き出されて説教を食らって以来、こうして大人しくカウンターにただ座って眺めるだけという状態に落ち着いている。
拳西と共にキッチンに立つことも良くあれど、存外修兵は一人で集中して調理に取り掛かる方が好きらしい。
故に、さっぱり役にも立たないくせに一丁前に邪魔だけはする阿近が青筋を立てられて追い出されるのは当然の報いで、ほれ見たことかと言ったところだ。

そんなこんなで、漸く大人しくなった阿近にご褒美を与えるかのように修兵がハムを一枚差し出したのを切っ掛けにして、今や阿近はすっかり摘まみ食い常習犯である。
修兵も修兵で何やら面白くなってきているのか、いつしか阿近を大人しくさせるための餌付けが段々と豪華なものになってきている、様な気がするのだ。

「修、今日の飯なに」

もぐもぐと咀嚼したキュウリを飲み込んだ阿近が修兵に問えば、

「秋刀魚の塩焼きにしようと思って、あと舞茸の炊き込みご飯とレンコンとオクラの炒り煮と…枝豆と…お豆腐どうしよっかなー…」

丸々とした秋刀魚をグリルへセットしながらポツポツと答える修兵の言葉に、拳西は心の中でガッツポーズを繰り出した。
毎度阿近がせっつくように聞くせいで、”キッチンから漂う匂いで献立を当てる”という密かな楽しみはここの所奪われ続けているが、何が出て来ても修兵の作るものは美味しいのでとりあえずは良しとする。
美味そうだだとか腹減っただとか、俺の分だけお焦げ多目にくれだとか、取り留めのない会話を続けながら相変わらずその手元を眺めている阿近の横へ、修兵がコトリと小鉢を一つ置いた。

「お、」

途端、短い声を上げた阿近の常から据わっている目の奥が分かり辛く輝く。

「焼き枝豆です」

それ食べて静かにしてて、そう言って箸を渡し再び調理に戻るべく背を向けた。
茹で上がって粗熱を取っていた枝豆を一掴み、バターと醤油で炒めただけのシンプルなものだが、ふっくらとした実を包む皮の中にまでバターの風味が染みて、芳ばしい醤油の香りがなんとも後を引く。

「…うめぇ」

そう言っていそいそと冷蔵庫からビールを一本取り出した阿近に、振り返った修兵が”しょうがないなぁ”とでも言うように呆れた笑みを向けた。

(……甘やかされてんなぁ)

広げていた雑誌を閉じて、羨ましいような呆れたような微妙な心持ちでしげしげと向こうのやり取りを観察していれば、そんな拳西の視線に気付いた修兵が”バレたか”と、そんな顔でヘラッと笑って見せるのがなんとも可愛らしい。
拳西は手にしていた雑誌をポイッとソファへ放り投げ、スタスタと阿近の背後へ周り後ろから修兵の即席焼き枝豆を掠め取ってやった。

「あ!テメッ!!」

今まさに箸で抓もうとしていた枝豆を横取りされた阿近に寄るな俺のだと喚かれながら、ハイハイとあしらって退散する。

横取りに成功した焼き枝豆は勿論、脂の乗った絶妙な塩加減の秋刀魚もキノコたっぷりの炊き込みご飯も、梅わさびを添えられた冷奴も今日も今日とて修兵の作る料理は絶品だった。








◇天かすおつまみ


こそっと、修兵の目を盗んでカウンター越しに手を伸ばす。
ボールに盛られている黄金色の山の天辺を摘まんで口の中へ放り込んだ阿近は、サクサクとそれを咀嚼した後、

「げ、味ねぇ」

そう言って眉根を寄せながら顔をしかめた。

「あ!!また勝手に食べてる!」

「これ味ねぇぞ」

「当たり前でしょうが!ただの天かすなんだからっ」

修兵の言う通り、そろそろ古くなる薄力粉があるからと、手っ取り早く消費するべくボウル一杯に盛られていたのは揚げたての天かすの山だ。
油ハネにびびりながらも、何本も束ねた菜箸で器用にタネを掬って落としていく修兵の手元を物珍しそうに見ていたので、

(出来上がったら絶対手ぇ出すぞあれ…)

そう思いながら傍目で観察していれば、案の定拳西の読み通り、出来上がった途端に手を付けて不満を垂れては早速叱られていた。

「目離すとすぐこれだ…」

ちょっと待てと、阿近の前からボウルを奪った修兵がぶつぶつと文句を言いつつ何やら手を動かしている。
深皿に大きなスプーン一杯程の天かすを移すと、そこへブラックペッパーと粉チーズを振り掛けて軽く掻き混ぜた。

「はい、即席お菓子」

「なんだこれウメェ」

どうやら止まらないらしい、ポイポイと口の中に放り込み続ける阿近に修兵がどうだと得意げな顔をする。
なんとなくそれをダイニングテーブル越しに眺めていた拳西も、少し羨ましくなって修兵をちょいちょいと手招きした。

「修、俺も」

「はいはーい」

そう言って軽くスパイスを振り掛けた深皿をもう一つ、拳西へ差し出せば、流石こちらも鼻が利くのか阿近が敏感に反応する。

「あ、ずりぃ、味違ぇじゃん」

「ふっ、やんねぇぞ」

阿近に渡したブラックペッパーの代わりに、どうやらこちらはハーブとチリペッパーらしい、いかにも修兵らしいマメさだ。
己の分の皿を抱えながらこちらの皿の中身も奪おうとする阿近の手をひらりと躱して、拳西はリビングのソファへ逃げる。
追い掛けて天かすスナックを奪い合う大の大人の男二人の姿に、修兵がキッチンの奥から呆れた溜息を吐いた。

「まったく、子供じゃないんだから」

なんだかんだと奪い合いながらも、いつの間にか少々早い晩酌を始めた二人を横目に、修兵は粛々と本日の夕飯を拵えていく。
天かす衣のチキンカツ、天かす入りの豚汁、温奴には麺つゆに漬けた天かすと葱をたっぷり掛けたたぬき豆腐に、トマトと貝割れの和風サラダにもサクサクの天かすを食感付けに少々。
ものの見事に天かすを使い切ったメニューに、二人から感嘆の声が漏れるまであともう一息だ。







◇ふわふわたまご


ジュワッと、均一に掻き混ぜられた綺麗な黄色い卵液がフライパンに広がって良い音を立てる。
相も変わらず阿近はキッチンのカウンターの真ん中へ陣取り、流れるように調理を進めて行く修兵の手元を飽きもせずに眺めていた。
絶妙な火加減で掻き混ぜられているフライパンの隣には、既に下拵えを終えたトマトとカニカマが待機している。

「イテェッ」

ほぐされたカニカマに伸びる魔の手を叩き落とすこと三回、トマトの湯剥きを興味深そうに眺めていたついさっきまでの大人しさはどこへやらだ。

「使うんだから食べちゃダメ!!」

「チッ」

「かわいくない…!!」

カッと目を見開いて阿近を窘めながらも、器用に形成したふわふわの卵を一度大皿へ取り出した修兵は、それをスプーンで一掬いしてケチャップとガーリックパウダーをたっぷり振り掛ける。
ん、と差し出されたそれを躊躇いもなくパクリと口に入れた阿近へ、空になった大きなスプーンを片手にニヤリと唇の端を吊り上げた。

「今、食べましたね?」

「…食った、ウメェ」

「じゃあ今日は阿近さんとチューしません」

「あ゛ぁ!?」

ガタガタッと、スツールから勢い良く立ち上がりながら身を乗り出す。
ゴクリと卵を飲み込んでから暫し、なんとも言えない芳しいにんにくの匂いに絶望的な顔をして眉を顰めた。

「ぶはっ!!」

そんな二人のしょうもないやり取りをリビングから眺めていた拳西が、いよいよ耐えられなくなって思い切り吹き出した。
くっくっと声を殺しながら笑い続ける拳西を、阿近が青筋を立てながら忌々しげにギロリと睨み付ける。

「笑ってんじゃねぇ、後で羽交い絞めにして思いっきり食らわせてやるからな!!」

「うわそれ絶っ対やだ!!!」

修兵にまでゲラゲラと笑われて、阿近はむすりと凶悪面を貼りつけて拗ねてしまった。
そんなこんなで、満足げな顔でフンフンと鼻歌を歌いながら修兵が作り上げたトマト入りのふわふわかに玉甘酢あん掛けは、拳西と阿近の好物の一つだ。





◇ミョウガとオクラの味噌焼き


「………」


じーっと、二人仲良く頬杖をついて並んでいる修兵と阿近から、カウンター越しに熱心な視線を送られる。

「…おい、見過ぎだろ。修兵も何やってんだ…」

「いや、俺も阿近さんの気持ち味わってみようかなって」

要は自分も摘まみ食いがしたいのだと、暗にそれを所望する修兵と相変わらずの定位置を陣取っている阿近との視線に晒されて、拳西はどことなく二人分の圧を感じながらも黙々と作業を開始した。
やっぱり何度見てもエプロン姿は修兵に限ると、そう失礼な野次を飛ばして来る阿近の額をベチンと叩けば、何やらうるさく喚いているが聞き流す。

「拳西さん、今日のご飯は?」

阿近の額についた赤い手形を一通り笑った修兵が、急かすように今日の献立を知りたがった。

「ミョウガの豚肉巻きと煮卵」

「なにそれ美味しそう!」

メインのおかずを聞いた途端目を輝かせた修兵に、茄子とオクラの肉味噌サラダに油揚げと長葱の味噌汁、そう付け加えてやれば感嘆の声が上がった。
自分で作って自分で食べる食事も勿論美味しいが、拳西が作るがっつりとした男の料理が大好きなのだと、いつか修兵が言っていた言葉を思い出して調理の手が捗る。
自分が修兵の作る食事を楽しみにしているのと同じように、やはり可愛い恋人に手放しで己の料理を賛辞されるのは単純に嬉しい上に作り甲斐もあるというものだ。
そうして拳西が軽快に調理を進めて行く一方で、本日のメニューを聞いた阿近がそそくさと冷蔵庫にある酒のストックを物色し始めた。
早速そこからひとまずの一本を選び出すと、二人分のグラスを片手にすっかり拳西作のおつまみ待機だ。

「お前ほんと自由だな」

呆れつつもなんだかんだで片手間に作った肴の皿を差し出してやれば、

「「おお」」

既にビールで乾杯を終えていた二人から同時に声が漏れて笑ってしまった。
半分に切ったミョウガとオクラに、味噌とみりんと醤油の併せダレを塗ってトースターで焼いただけの簡単なつまみだ。

「美味しい!」

「お前もなかなかやるな」

「偉そうなんだよお前は!お前もこれぐらい作れ!」






◇それから



「おい阿近、今なに食った!?」

「…食ってねぇ」

「減ってんだろ勝手に食うな!」




「っ!!辛ぇ…!なんっだこれ!!」

「ただのハバネロソースだ」

「いやがらせか!!!」

「いやがらせだ」

「あ゛ぁん!?」



キッチンでの摘まみ食い拳西バージョンにも味をしめた阿近が、なんだかんだと喧嘩をしながらもカウンターに貼り付いているのを、焚き付けたり面白がったりで修兵が動画に収めながら遊ぶ図が定番になったとか。




―END―




「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -