「よ、お疲れサン」


「・・・は?」



午後十時過ぎ、粗方の仕込みと後片付けを済ませて店を出るのは仕事が残っていない限りこの位の時間だ。
身支度をして店の裏の扉を開けた途端掛けられた声に、視線をやって驚く。
出口のすぐ真下にしゃがみ込んで、缶ジュース片手にこちらを見上げながら笑っている男がいた。







夕食に付き合えと、唐突に誘われて半ば強引に連れて来られた。
落ち着いた空気が包んでいる静かな店の一番奥、隅の席に通されて、今俺の前には冷えたグラスに注がれたビールが二つと数点の料理と、檜佐木だ。
余所でもほんとに隅の席好きだなこいつ、ぼんやりとそんな事を考える。
それを遮るようにして、目の前へニョキッとグラスが出現した。

「飲まねーの?」

一言そう言って先にグラスに口を付けている。
勢い良く煽るそいつにならって、とりあえず俺もグラスを手に取りその後を追った。

「俺なら気にしてないから、アンタも気にすんなよ」

−とりあえずそれだけ言っとこうと思ってさー。
カラリと、良く見るいつものフラットな表情で話を振られる。
言いながら檜佐木は海老とアボガドのフリットに箸を付けた。
あんなことはなんでもないのだと言う様なその表情が、余計に俺の中で蟠っていた罪悪感を浮き彫りにしていく気がしてしまう。

昼間。

"悪かった、この間は言い過ぎた"

あの時、そう一言だけ書いてオーナーの目を盗んで忍ばせたグレーのコースターを、檜佐木はその手に持ってひらひらと翳している。

「悪かった…」

「いーって!満更間違いでもないんだし、ほんと気にしてないからさ」

「いや、無神経だっただろ」

「んーじゃあお互い様ってことにしねぇ?そのかわり飯付き合って貰ってる様なもんだし」

ここ美味いぜ?
檜佐木はニッと両の口角を上げて笑った。
やっぱり、ケーキに限らず食ってる時は幾分幼い顔になるな、もう何度も見ている表情を思い出す。
それなりの量をそれなりの速度で食べている割には、箸使いは完璧で随分と綺麗に食事をする奴だと思った。
食事の仕方にはもろに育ちが出るもんだ。
少々派手な見てくれとのギャップがありすぎだ。
そのまま俺も箸を進めながら、なんとなしに檜佐木を見ていてふとした疑問が過る。
店で付き合わされる時にはいつも他愛の無い話ばかりしていて、そう言えば俺はこいつの事を殆ど知らないのだ。
思い至った途端、急激に檜佐木への興味が沸いて来た。
仕事はなんなのか(寧ろしてんのか)だとか、どこのどいつなんだとか、列挙すれば際限無く出て来そうなそれらに自分自身で驚いた。
今まで付き合って来た女だって、何も知らずに終わったまま、知らないことに何を思う訳でも無かったのだ。
かつてここまで他人に興味を持った事があっただろうか。

俺は、オーナーに会いに来るこいつしか知らない。


酒を進めながら、少しずつ和み始めた空気に任せて話をした。
その間、俺がさり気なく投げかけた檜佐木自身への質問は、それこそさり気なくスルーされる。
こいつのスルースキルは相当だ、まるで聞いちゃいねぇ。
ほんの僅かでも身の上話をしたくない余程の理由でもあるのだろうか。
あればあったで俺もそう深く詮索する方では無い上、元より他人に対してこういった類の話題を振る事に慣れていないせいも手伝って、いつの間にか俺の方が答える一方になっていた。
あの時俺の頬に紅葉が叩き付けられるまでの過程を事細かく聞きたがる檜佐木にそれを嫌々説明して、それにこいつは腹を抱えて目尻に涙を浮かべる程に爆笑した。
他にもなんでパティシエになったのかとか、俺がどんなガキだったかとか家族の話だとかそれはもうランダムに。
ある程度の酔いも回って、普段口数の少ない俺が長話にエネルギー切れを起こしそうになった辺りで、少しの苦笑いを浮かべながら、檜佐木はぽつりぽつりとようやく自分の話をし始める。
今度は余計な事を言ってしまわない様に、些か意識をしながら身構えた。

「俺さー、家族っていねーんだわ」

俺が謝罪をした時とまるで変わらない、それこそなんでもない事の様に檜佐木はそう呟いた。




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