「あー…いよいよか…」

ふっと何の前触れもなくブラックアウトした小さな液晶を見て肩を落とした。
少しずつ増える不具合を誤魔化しながら長年愛用してきた折り畳み式のガラケーも、とうとう寿命を迎えたようだ。
いつの間にか早々にスマートフォンへ切り替えていた平子に散々馬鹿にされながらも、機械の類に疎いのと仕事はノートPCとオフィスのデスクトップ一台で事足りていたので、携帯と言えばこの旧型のガラケーで充分だったのだ。
所々塗装が剥がれていたり見た目にもなかなかの年季が入っていたが、それなりに愛着もあるし使い慣れていた機械がいざ駄目となるとやはり残念な気持ちになってしまう。
そうは言っても、仕事に支障を来す訳にも行かず、拳西は「いい加減スマホにせぇや」と言う平子の言葉に渋々了承してショップへ足を運んだ。











ドカリと、帰宅して早々リビングのソファへ腰を下ろした拳西は、大きな溜息を吐いて手にしていた小さな紙袋をローテーブルへ放り投げた。
定時で仕事を切り上げて向かった店舗で無事に機種変更を済ませたはいいものの、どうにもあの手の店は拘束時間が長くて困る。
それなりに重要な契約上の話もあるのだろうが、アプリがどうのオプションがどうのセットがなんだアレがなんだと、途中からもうどうにでもしてくれと投げ出したくなってしまう。
どうにか無事に機種変更やらデータ移行やらを遂行出来たものの、一日の終わりに無駄な体力を使ってしまった気分だ。
拳西は緩慢な動きでネクタイを緩めると、先程新調したばかりの新品まっさらなスマートフォンをジャケットの胸ポケットから取り出した。

「スマホか…」

ツルリと手に馴染む黒いボディを眺めて、ひっくり返してみたり液晶を点けたり消したり、不慣れながら画面に指先を滑らせてみたり。
今まで手応えのあるキーを押していた分なんだか妙な感覚だと、平子が聞いたら笑いものにされそうなことを思いながらも、使っていればそれなりにすぐ慣れるだろうと高を括って早々に放り出してしまった。
それよりともかく、湯船に浸かって疲れを取りたいし風呂上りのビールも煽りたい。
まずはそちらの欲求を解消することが優先だと、拳西は手にしていたスマートフォンをソファの上へポンと置いて入浴の準備をするべく立ち上がった。












「………!!?」


ゆっくりと熱い湯に浸かって、常備してあるキンキンに冷えたビールを喉に流し込みながらリビングに戻った先で飛び込んできた光景に、拳西はピシリと固まった。

「は……な…んだ……!?」

ついさっきまで己が腰掛けていたソファの上で、人間が…それも恐らく大人の男が一人横たわっている。
突如現れた見知らぬ人間に、拳西は思わずぐるりと部屋中へ視線を巡らせた。

見紛うこともなく、己の家であることには間違いない。

合鍵を渡しているような人物も記憶にない辺り、他に思い当たることと言えば不法侵入か…それにしては誰かが押し入るような物音にも気が付かなかった上にここはマンションの上階だ。
窓から侵入しようにもほぼ不可能な上、玄関の鍵は内側のチェーンまでしっかりと施錠されている。
わけの分からない事態に背筋へすっと冷たい汗が流れるのを感じながら、すっかりぬるくなってしまった飲み掛けの缶ビールをテーブルの上に置くと、ゴクリと喉を鳴らして恐る恐る近付いた。

それなりに上背はあるのだろう、横たわっているソファから白い足先が少しだけはみ出している。
こちらに背中を向けていて良く分からないものの、骨格からして男であることに間違いはなさそうだ。
どうしてか上から下から髪までも黒ずくめで、年齢やその他の情報は読み取りにくい。
足音と気配を殺して傍らまで近づき、上からそっとその顔を覗き込む。

「……」

髪の隙間からほんの少しだけ横顔を確認することしか出来ないが、まだ年若い青年のようで、閉じられている涼しげな眦と白い肌が窺えた。
それなりに整った容姿をしているのだろう、良く良く見れば小さな頭に長い手足の持ち主だ。
それはともかく、そもそもどうして他人が突然己の家に居るのか、その理由を含めこの男の正体を確かめなければ。
事と次第によっては警察沙汰だ。
なにがどうなっているのかと混乱している頭で”面倒なことになった”と苛立ち気味に目の前の男を揺り起こそうとするより先、風呂上りでおざなりにしか拭っていなかった襟足の水滴が、ポトリとその男の顔に落ちてしまう。

(やべ…)

目元に落ちた水滴の感触に、パチリと開いた男の目が拳西を捉えてパチクリと瞬きをした後、

「拳西さん!」

そう言ってふにゃりと笑って見せた。
瞬間、ぎょっと目を見開いた拳西は反射的に思い切り後ずさってローテーブルに踵をぶつけ、危うく引っくり返りそうになるのをどうにか堪えた。

「なんだお前!なんで俺の名前知ってんだ!!」

「え!?…だって拳西さんですよね?」

キョトンと、まるで何もオカシイことなどないかのように目を丸くして、男はゆっくりと起き上がりソファの上へぺたりと座り込む。
それから居住まいを但しその場で器用に正座をすると、深々とその頭を下げて見せた。

「檜佐木修兵です、これからよろしくお願いします」

馬鹿丁寧に三つ指をついてお辞儀をする男に、拳西の頭の中のパニックがピークに達する。

「は!?よろしくってなんだお前誰だよ!!どこから入った!?」

元よりいかつい顔を一層険しくして声を荒げる拳西に、にこやかだった男の顔が不安げに歪んで両の眉尻が情けなく下がった。

「誰って…スマホです…」

「……あ?」

「だから…スマホ…です…」

「……」

己はスマホだと、そう答える男の言葉にぽかんと空いた口が塞がらなくなる。

(…すまほ…スマホ…ってあれか…?スマートフォン…!?)

真っ白になりかけた頭の回路が繋がった瞬間、拳西はがばっと振り返りテーブルに放置していたままの紙袋を両手で鷲掴んだ。
そのまま引っくり返して中身をぶち撒けると、入っていた空箱を手に取ってサイドにラベリングされている認識票を凝視する。


「嘘だろオイ…」


【High spec人型化機能搭載
 ―MULTI-FUNCTION MOBILE PHONE SH-69+】


『こないだ人型スマホ買ってん、今度紹介したるわー』


信じがたいラベルを認識したのと同時、いつか平子が自慢げに語っていた時の話を思い出して思わず額に手を当てた。

「まじかよ…」

思い返してみれば、昨今で最も革新的な技術だと話題になっていた人型化機能付きのスマートフォンなるものが巷に出回っているなどと言うニュースで、一時期メディアがもちきりになっていたのだ。
特段新しいもの好きでもなければその手のニュースに関心を持つ方でもなかったせいで、すっかり頭の隅に追いやられていた。
言うまでもなく、今日だってそんなものを購入するためにわざわざ店まで足を運んだわけではない、ごく一般的なスマートフォンへの機種変更が目的だったのだ。
店頭にズラリと並ぶ商品の中、各々の特色の違いなどに然程興味もなく一番手に馴染みそうなものを直感でパッと選んでしまったことを今更ながら後悔する。
失礼ながら店員の話を事細かに聞くのも面倒になってしまっていて、まさに流れと勢いで購入してしまった。
まさかそれが、人型化が可能な話題の機種だったとは微塵も思うはずもなく。

(やっちまった…)

「あの…」

額に手を当てたまま難しい顔をしている拳西の不穏な空気を感じ取ったのか、スマホ、もとい檜佐木修兵だと名乗る男の声が曇る。
拳西は何かを言い掛けたそれに片手を上げて制すると、一つ大きな溜息を吐いて空箱やら散らばった契約書やらを紙袋の中へ戻し始めた。

「悪い、間違いだ。普通のスマホを購入したつもりだったんだがな…」

今なら返品も間に合うだろうと、ともかく店舗へ連絡を入れようと手元を探すもそう言えば機種変更したスマホは目の前の男だったと思い至ってハッとする。
なかなかに混乱している己を自覚しながら、リビングの隅に据えてある固定電話を使おうと立ち上がりかけた拳西の足元へ慌てて飛んできた男が縋り付いた。

「ま、待って…!!」

拳西のスウェットの裾をぎゅうっと握り締めて、今にも泣きそうな顔で見上げて来るのに狼狽える。

「お、俺、返品されるんですか!?」

必死にそう訴えて来る男の勢いに押され、拳西は困ったように視線を逸らしながら後ろ髪をがしがしと掻いた。

「さっき買ってきたばっかりだからな、まだ間に合うだろ。それに、扱い切れる気がしねぇよ」

「それなら…!」

それならば、操作は指示一つでなんでも出来るし、スペックも容量も普通のスマホとは段違いだし、持ち主の手を煩わせるようなことなど一切ない。
だから返品だけはしないで欲しいと、捲し立てるように懇願されてますます困惑する。

「そんなこと言ってもな、返品されてもまた違う持ち主が買ってくれるだろ?だから」

「いやです!!!」

どうしてか頑なに拒む様子に、何がそんなに嫌なのかと、理由を訊ねつつひとまず落ち着くように促してスウェットを握り締めている手を離させた。
それへ渋々頷いて、俯きながらもぽつりぽつりと話し始める。
店頭に並べられるようになってからこれまで、何人か持ち主が入れ替わっていったが、どの持ち主も大切に扱ってはくれなかったのだ。
八つ当たりのように壁や床に投げつけられたり、中身を改造されて転売されそうになったり、物珍しさから勝手に又貸しされて如何わしい行為を強要されそうになったり、散々辛い扱いをされて来たのだと言う。
ずっと一人の主の元で大切にされる者もあれば、主が転々と変わっても乱暴に扱われることなく過ごしている者もある、その反面己のように運の悪い機種も少なからずあるのだと、思い出すだけでも苦しいのかどんどんその表情がくしゃりと歪んで声音も涙まじりになってきた。
拳西はそんな経験談を聞きながら、技術の進歩は良いがそれに伴う弊害を皮肉に思って複雑な心持ちになる。
世の中が便利になればなるほど、イタチゴッコでそれらを悪用しようという不逞の輩は後から後から沸いて出るものだ。
いくらスマートフォンとは言えど、こうして人間となんら変わりない感情を持ち合わせる修兵にとっては辛いものだったのだろうとは思うし素直に哀れみを覚える。
だけれど、

「…俺がお前を大事に扱う保証なんてねぇだろうが」

そう言えば、ガバッと顔を上げた涙目の修兵が拳西の手を両手できゅっと握り締めて来た。

「そんなことないです!!」

拳西ならば…それに、きっと存分に役に立てるとそう断言する口振りに頭を抱えたくなる。

「お前なぁ…なんだよその根拠のない自信」

「え、と…、直感です…」

首を傾げつつもそう言って困ったように笑ってみせるのに、拳西はがくりとこうべを垂れた。
勢いと押しの強さに呆れつつも、直感と言うのならば己とて目の前のこの男を責めるわけにも行かない。
こちらだってなんの考えも無しにただただ直感で手に取ってしまったのだ、純粋に間違えたとは言えどそれをまたこちらの勝手でなかったことにするには些か拳西の中の良心が痛む。
これだけ必死に縋り付かれてしまえば尚更だ、絆されているような気がしないでもないが、一度は納得して購入したことに違いはない。
しょうがねぇかと、そう呟いて、拳西は未だに己の右手を握り締めている修兵の頭を空いている方の手でぐしゃぐしゃと撫でてやった。

「分かったよ、返品はしねぇ。これからよろしくな修兵」

「!!」

拳西の言葉にパッと目を輝かせた修兵が思い切り抱き着いて来るのに、勢い余ってもろとも倒れ込んでしまう。

「おい…!」

「ありがとうございます!!俺頑張りますね!!!」

尻尾があればブンブンと振っているであろうその喜びように、打ち付けて痛む後頭部を擦りながらも思わずふっと笑いが漏れる。
己の軽率な買い物のせいで予想外のとんでもない事態になってしまったが、ここまで来るとなんだか面白くなってきてしまって、観念したとでも言うように今度こそ声を上げて笑ってしまった。

「ところで修兵、お前元に戻れんのか?」

さすがに四六時中その形態ではないだろうと言う拳西に勿論と答えるものの、修兵は拳西を押し潰したまま暫し沈黙して首を傾げた。

「…どうした」

「いやあの…興奮するとたまに戻れなくなっちゃって…」

へらりと、悪びれもなくそう言いつつ笑って誤魔化そうとする修兵に眩暈がしそうになる。

「お前…手は煩わせないんじゃなかったのかよ…!!」

「ごめんなさーーーーい!!!」














ソファに腰掛ける拳西に正面からぺったりと貼り付きながら、頬を押し当てているその胸元がふっと笑って震えた気配がして修兵は視線を上げて覗き込んだ。

「何笑ってるんですか?」

「ああいや…ちょっとな…」

そう言って、拳西は抱き着いている修兵の背中に添えていた手を下の方へ下ろすと、腰元を擦りながらまたくつくつと笑った。
尾てい骨の近くをくすぐられて、常より敏感になっているそこにこそばゆさから逃れようと身動ぎをする。
と言うのも、電子機器(と括るには些か特殊だが)には必要不可欠な電力を確保するための充電口が背中側のウェスト付近に作られているせいで、充電中は妙にそこが過敏になってしまうのだ。
日頃は内蔵して隠されている部分へ小さなUSBをセットして電力供給をしている間どうしても熱を持ってしまう体を持て余して、拳西の逞しい胸板に抱き着きながら気を紛らわせてやり過ごす。
これが修兵の習慣なのだが、拳西にとっては気が紛れるどころかあらぬ気を起こしてしまいそうで毎回別の所へ意識を逸らせながら耐えてやるのが常だった。
今日も今日とて自制心を働かせながら修兵の好きなようにさせてやっている中で、なんの気も無しに何年か前のことを思い出して思わず笑ってしまっていた。

「お前と初めて会った時のこと思い出してた」

「え、うわ…懐かしい」

時折、拳西がこうして昔の話をする度に、修兵はその時の己の必死さを思い出して少し気まずそうな表情で恥ずかしげに目尻を染めるのだ。
まさか、その当時はそんな仕草までも可愛いなどと思う日が来ようとは思いもしなかったが、人生どんな転機があるか分からない。
紆余曲折あったものの、今となってはあの時に勢い余って返品してしまわなくて良かったと、心底そう思う程には修兵が大切だしこの先もそうしたいと思っている。
熱っぽい体を己に預けて色んな意味で充電に勤しんでいる修兵へきゅっと両腕を回して、あやすようにぽんぽんと背中を叩いてやれば、それが嬉しかったのかますますひっついて来てだらしなく口元が緩んだ。

「俺、拳西さんでほんとに良かったー」

そうしみじみと噛み締める修兵に、とびきり甘やかした声音で呟いてやる。

「俺の台詞だ」












「そう言えば、拳西さんどうして俺のこと選んだの?」


「あぁー…手触りだな」


「……なんかヤラシイ」


「なんでだよ!!」



―END―



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