「拳西さん見て!!」
あれから二日程して無事に自宅へ届けられたスマホカバーを身に纏い、まずは小型化のままスクショと言う名の自撮り、そして人型化してから姿見の前でくるくると回りつつ満足げに己の姿を映している。
黒いコットンシャツに、深い紫色をした細身のニットタイ、黒地のスキニーだけは以前のものと然程変わりはないものの、カバーを変えるだけで人型化仕様の様相がこうまで変化するものかと感心した。
黒地のシャツの裾、背中側にこれまた黒い刺繍で小さな蝙蝠が二匹浮かび上がっていてなかなか凝っている上、イヤホンジャックがこうなるかと拳西を驚かせたのは左の耳に控えめに光る燻しの蝙蝠のピアスだ。
黒ずくめのそれは露出度こそないものの修兵のしなやかな体のラインをぴったりと浮かび上がらせていて、なんと言うか非常に、
(エロいな・・・)
そんな拳西の邪な胸の内などいざ知らず、修兵は余程新しい装いが気に入ったのか、拳西へ披露しながらひたすら楽しげに眺めている。
「良かったな、似合うじゃねぇか」
「ありがとうございます!」
締まりのない顔で飽きもせず鏡と対峙している修兵を見て、これだけ喜んで貰えるのならもっと早く買ってやれば良かったとも思う。
「明日、それで会社行くか?」
「はい!」
新品で出掛けるのが楽しみだと手放しで喜ぶ修兵に、拳西は早朝から出勤のちょっとした憂鬱さが晴れていくような気がした。
で、勇んでお気に入りの新調カバーを装着して初出勤を終えた修兵はと言えば、
「…おい…いつまで拗ねてんだ」
「……」
拳西とお勤めを共にして帰宅の途についてからというもの、昨日からの上機嫌は嘘だったのかと思う程見るからに落ち込んだ、もとい拗ねた修兵が部屋の隅で膝を抱えて蹲っている。
「おい修、」
呼び掛けにも返事を寄越さない頑なさに拳西がはぁっと溜息を零せば、それに反応した修兵の肩が怯えたようにびくりと跳ねた。
それでもなお顔を上げようとしない修兵に、拳西はどうしたものかと後ろ髪をがりがりと掻き混ぜながら再度重い息を吐く。
そもそも、どうしてこうなったかと言えばだ。
いつもの如く主の胸ポケットに滑り込んで出勤した先、拳西がデスクの定位置へ修兵を置いた途端、目敏く見つけた女性社員に声を掛けられたのが最初だった。
”可愛いー!六車部長もこういうのつけるんですねぇ”
その一言を皮切りに、わらわらと集まって来た女性社員達が口々に新調されたスマホのカバーを見てやいのやいのお喋りを始めたのだ。
日頃拳西へ小さくも大きくも好意を持っている女性達からしてみれば、絶好の切っ掛けを得たと言うところだったのだろう。
寡黙で精悍な出で立ちの上司が持つにはギャップのあるそれは、とっつき難い印象のある拳西へどうしたらより距離を縮められるか、虎視眈々とその機会を窺っている女性達の格好の材料だ。
修兵からしてみれば、新しいカバーを褒められるのは嬉しくなくはないけれど、この状況が非常に頂けない。
修兵の苦手な香水と化粧の入り混じった匂いが拳西を囲んで、さり気なくその肩へ手を置いている者もいれば、馴れ馴れしく修兵を手に持って眺める者も居た。
”可愛い”とか”意外ですねー”とか”誰かからのプレゼントですか?”とか、甘ったるい声がそこかしこから降って来て、胸の内のもやもやが増していく。
そんな女性達の取り留めの無いお喋りが続く中、悪気なく言われた一言に修兵の中のもやもやがぶわりと増大した。
「部長、結構前の機種ですよねそれ」
物持ちいいんですねぇ、新しいの今いっぱい出てますよ、などと、止まらないお喋りが益々修兵へ追い打ちを掛けて行く。
初めの方こそただのいつものヤキモチだと自覚していたのだけれど、修兵の中で燻る嫉妬とモヤモヤを自己嫌悪へ変えさせるには充分だった。
そこからだ、仕事中に指示された必要な業務は熟すものの一言も口を利かず、帰りの車中でも最低限ナビだけを起動してだんまりを決め込んでしまう程修兵の機嫌が下降してしまったのは。
唯一の救いは、それを見た平子が修兵のカバーを褒めて「喜助」と呼ぶかなり年季の入った己のスマートフォンを自慢しながら拳西と互いの愛機談義に昂じていたことだが、そんな中ではっきり宣言された拳西の言葉も、自主的にスリープモードにしていた修兵には届いていなかった。
帰って来るなりカバーを元に戻してくれと言う修兵に渋々元のものを装着してやれば、お気に入りだった新品をテーブルの隅に追いやり、膝を抱えて今に至る。
やっぱりダメだったのだ、外見だけでも新しくなれば少しは新鮮な印象を持てるかもしれないだなんて考え方は浅はかで、仕事が出来てキャリアのある拳西が持つにはこんな古い機種では相応しくないのかもしれない。
嫉妬から自己嫌悪を完全に拗らせた修兵は、どんどんと沈んでいく思考に歯止めを掛けられないままそんな女々しい己に更に落ち込んで膝に埋めた顔をくしゃりと歪めた。
そんな修兵を暫く困ったように見下ろしていた拳西は、スーツが皺になるのも構わず目の前にどっかりと座り込むと、丸くなっている修兵を抱え込むように正面からぐいと引き寄せる。
「修兵、何をそんなに気にしてるのかは知らねぇが、お前が心配してるようなことなんざこれっぽっちもねぇんだぞ」
逞しい両腕ですっぽりと抱えてやりながら、拳西は修兵の胸の内に渦巻くモヤモヤの正体に大方の予想をつけて出来得る限り優しい声音で言い聞かせてやる。
機種が古いだの新しいだのそんな事は拳西にとって問題ではない、これだけ相性の良い修兵を手放すなどそんなもの一度だって考えたことなどない、要はお前が俺の為に働き続けたいと思ってくれているかどうかが己にとって重要なのだ。
その為にはどんなメンテナンスもしてやりたいし、どれだけ大切に扱っても際限なんてない。
根気良くそう伝えてやれば、強張っていた修兵の全身から少しずつ力が抜けて行く。
「だからそう勝手に落ち込むな、お前がそうだと俺の調子まで狂うだろうが」
そう言えば、腕の中でぐすりと鼻を啜る音が聞こえて、膝を抱え続けていた修兵の両腕がおずおずと拳西の背中に回された。
「……ごめんなさ…っ」
「謝んな、分かりゃいい」
「うぅー……っ」
どうにか意思が伝わったらしい、ぐずりながらもこちらの肩へ顎を乗せて甘えた仕草を見せて来る修兵に、拳西もほっと安堵の息を吐いた。
暫く好きにさせてからしがみ付いている修兵を剥がすと、拳西は随分情けなくなってしまったその顔を覗き込んで赤くなった目元に親指を這わせてくいっと撫でてやる。
良く良く見れば下瞼の窪みには薄らと隈が浮いているし、肌の色も少し疲れているように見える、思っていた通りそろそろそんな時期なのかもしれない。
修兵と長く共に居る為に大切な事だ、こればかりは本人が嫌がっても譲れない部分である。
「手放す気なんざねぇからな、またメンテナンス頑張れるか?」
「はい…!」
しっかりと拳西と目を合わせながら必死にコクコクと頷く修兵にふっと笑って、その頭を強過ぎるほどぐりぐりと撫でてやる。
鼻を啜りつつ酸欠状態でぐらぐらと頭を揺らしながら、お気に入りの自分の定位置、ここは自分のものなのだと言わんばかりに拳西のスーツの胸ポケットへぐりぐりと額を摺り寄せた。
後日、晴れて定期メンテナンスとアップデートから帰還した修兵が、いつになく自慢げに新機能だとかピカピカになったボディを嬉々として拳西へ報告しながらこれでもかと甘やかされていたのはまた別の話。
「なぁ修兵、お前、和柄のカバーとか着けたら着物とか浴衣にでもなんのか?」
「…へ?え…多分そうかも…どうだろ…なんで??」
「……別に」
和柄で着物だとしたら…カバー次第でなんのコスプレも可能なんじゃないかと、今回のスマホカバー新調で拳西があらぬ方向へ思考を展開し始めたのも、これまた別の話。
― END ―