チラリと、拳西は編集室の壁に掛けてある時計を見やり、午後までまだ大分時間があることを確認して小さく息を吐いた。
忙しなく隊士達が職務を熟す部屋の中で、日頃最も忙しく立ち回っている副隊長の席が空席なのがいつもと比べて唯一物足りなさを覚える光景だった。
とは言っても、今日から明日の午後まで一日半の非番を言い渡したのは、他ならない隊長である拳西自身なのだが。

拳西が護廷へ復帰してから此方、修兵の仕事ぶりには驚いたものだが、ただ一言“働き者”で片付けてしまうには少々度が過ぎていた。
言うなればあれは正真正銘のワーカーホリックだ、間違いない。
職務中は勿論、持ち前の勤勉さと手腕をフルに発揮して隊長である拳西を隙なくサポートし、大勢の隊士達を纏め上げている。
粗を探すのが困難な程ほぼ完璧に副隊長職を熟し、編集業も兼任している激務の中で時には他隊の業務まで補佐して、貴重な非番の日にまで当然のように仕事を持ち帰ろうとする事も多々あった。
拳西が目敏く見つけては取り上げたり窘めたりするものの、修兵も修兵でなかなか頑固で強情なところもある上、最近では拳西の目を擦り抜けるスキルが上がって来ている様子でそれもイタチごっこに終わってしまう節がある。
確かに、拳西も復帰したばかりで感覚が戻るまでは修兵や隊士達に頼り切りになってしまっていた事も否めないが、それでもアレは働き過ぎと言うものだ。

故に、修兵の誕生日である八月十四日の今日、半ば強制的に非番を取らせたのだ。

それなりに業務が詰まっている中、流石に私情で隊長まで重ねて非番を取るわけにも行かないので朝から共に過ごす事は出来ないが、せめて丸一日の休息だけでも与えてやりたかった。
それに、拳西も早番で午後には上がらせて貰う旨を告げてある。
色々察しの良い出来た隊士達の理解と協力もあって、今日から明日の午後までの修兵の非番はこうして成り立っているのだ。
口酸っぱく言い聞かせて家を出て来たが、さて後は本当にあの修兵が言いつけ通り家で大人しくしているかが問題だ。
拳西はどこかそわそわと落ち着かない思いを持て余している自分に胸の中だけで苦く自嘲し、午前の業務を切り上げるべくペースを上げる事に集中した。


















「…………暇…」


(……………ひま……)


今朝から一人で何度も呟いている言葉を飽きずに口にして、修兵は縁側の板間に手足を投げ出しながら俯せにぺったりと伸びた。







無理矢理と言って良い程強引に取らされてしまった突然の非番を持て余して、かれこれ手持無沙汰のまま数時間が経過している。

『いいか、何もするな、お前は今日から明日の午後まで丸一日半の休息日だ、仕事も家事も全部だ、いいな、とにかく何もしないで休んでろ、分かったな』

繰り返しそう言い聞かせてから出て行った拳西の口調はやはりぶっきら棒ではあるものの、修兵への気遣いと優しさが十分に伝わるものでそれはそれでとても嬉しいのだけれど。
それでも、嬉しい気持ちとは裏腹に、突如与えられたこの状況に戸惑って困ってしまっているのも事実で。

朝、そこらの鶏よりも早くに目を覚まして洗濯、掃除、朝食と弁当作り、その日の業務内容の確認が修兵のいつもの生活のルーティンだ。
天気が良ければ布団も干してしまうし庭仕事に手を付けることもあればその日の夕飯の仕込みもしてしまう、そしてそれでも時間が余ればたまに庭で素振りもする。
どんなに帰宅が遅くなっても出来るだけ食事は偏りなく摂る為に自分で作りたいと思っているし、かと言って終業が遅くなる事も特別苦ではない。
とにかく、何処か隙間を見つけては自ら仕事を詰め込んでいく、当人に自覚はなくとも修兵は誰がどう見ても休息を知らない立派なワーカーホリックだった。

そんな性分だから、ぽんっと出来てしまった突然の暇を、一体どう使えばいいかがさっぱり分からない。

所謂、有意義な休日をいうものをどう遂行すれば良いのか皆目見当がつかないのだ。

それでもどうにか手仕事を見付けようとして部屋中を探し回ってみたが、布団は既にふかふかに干されているし、風呂場はピカピカだし、庭木には既に水が撒いてあるし、今朝の食器も上げられてしまっておまけに修兵の分の昼食まで準備してくれている完璧ぶりだ。
やはりそこは流石拳西、先読みして家中の家事を跡形も無く片付けてから出たようだ、抜かりない。
意味なく押入れを覗いてみたり、家中歩き回って窓を開け放ってみたり、埃一つ落ちていない我が家に何故かシュンとしてみたり、飛んできた雀に徒然と話しかけてみては一人で恥ずかしい思いをしてみたり。

文字通り“暇疲れ”と言うものをほぼ初めて経験した修兵が、いよいよ諦めてとりあえず“ぼーっとする”事を選択せざるを得ない状況を自覚して暫し。

朝、拳西が出てしまって暫くした後、どことなく落ち着かなくて三席と四席に神機で連絡を取ってみたものの、

『何電話なんてして来てるんですか、非番中でしょう、隊長に言いつけますよ』

『副隊長、休暇の意味分かってますか、こっち来たらペナルティですから』

そうピシャリと窘められあっさりと切られてしまってぐうの音も出なかった。
因みにその後めげずに何かあったら遠慮なく呼びつけてくれとのメッセージを送ったものの、見事に返事がなくてなんだかちょっとだけ寂しい。
それにしても四席の言うペナルティとは一体なんなのか、近頃三席と四席がなんだか拳西と共謀しているようで何やら聞くのが怖いからそれはとりあえず忘れることにした。
そんな扱いに半ば拗ねながら、少々早いが昼食にしてしまおうと拳西手製の豚汁と握り飯を温め直して口にすれば、ちょっと荒んでいた気分が現金にも浮上する。
それと同時に、温かい食事でふっと気の抜けた体が急に重さを自覚して怠さに襲われた。

なんだか嫌な重さだ、この感覚はあまり好きではない、忙しく立ち回っていれば忘れてしまう重さが今はやたらと怠くて仕方が無い。

修兵は食事を済ませてしまうと、とりあえず食器を下げるだけにして陽の当たる縁側に誘われるように足を向けた。
両膝を抱えてしゃがみ込み、ぺたりと、床板に触れる。
夏の直射日光で熱くなっているかと思ったが、木陰が上手く遮ってくれていてほんのりと温まっているだけだ。
風も通るので不快感もなく存外に気持ちが良い。
本当に、ここまで何もしない日というのは実に何年ぶりだろうか、もう記憶にない程修兵の生活には“暇”と言う文字が無かった事に気付く。
それをこれまで苦痛と思った事など余り無かった筈なのに、思っていたよりも自身にはその疲労が蓄積していたらしい。
病は気からと言えど、体は心よりもずっと正直だ。
自覚してしまえばより一層全身を重怠い倦怠感が覆って、指一本動かすのも面倒になる。
拳西が豪快に水を撒いた庭では花や木に残る雫がキラキラと反射して綺麗だ、干して行ってくれた洗濯物も風にはためいて気持ち良さそうに揺れている、天気も良いし鳥の囀りも届くし、実に長閑だ。
日頃の激務から切り離されている宙ぶらりんなこの感覚が、なんとも言えず不思議だ。
三角座りのままそんな光景をひたすらぼんやり眺めている修兵の視界に、ひょっこりと、見慣れた毛玉が姿を現した。
この家の庭にちょくちょく出入りしてすっかり二人に懐いてしまった三毛猫だ。
これは良い遊び相手が見つかったと、ちょいちょい手招きをすれば様子を伺いながらも素直に寄って来る。

「なぁ、腹減ってないか、拳西さんの豚汁があるんだ、お前あの猫まんま好きだろ」

修兵の座る縁側のすぐ下まで来た猫にそう声を掛けるも、いつもならばにゃあにゃあと甘えて強請る仕草を見せる癖に、今日はどうしてかじーっとこちらを見上げているだけだ。

「…なんだよ、腹減ってないのか…?じゃあ、暑いしいつもの水浴びでもするか?洗ってやるぞ」

そう言って修兵が手を伸ばせば、ひらりと躱して離れてしまう。
一歩下がった所で毛ずくろいを始めながら、時折じとっと修兵の様子を伺っては、かしかしと後ろ足で首を掻いている。
なんだか修兵の方が構って貰いたい気持ちになってしまって、

「…なーう」

一声真似して鳴いてみるも、全く戻って来てくれる気配が無い。
大の大人の男が一人で猫真似をしている状況に恥ずかしさが襲うが、誰も見ていないし、それにさっき雀に話しかけた時にチュンチュン言わなかっただけでもマシだろうと訳の分からない言い訳を繰り返しながら、ちょっとした自己嫌悪に襲われた。
暇だと日頃は絶対にしない行動に走らされるのか…暇とは恐ろしい。
そんな修兵の心の内を知ってか知らずか、いつもとは様子の違う修兵を観察する事に飽きたのか、はたまた一丁前に何かを察したのか、一瞥を寄越してから猫はタタッとあっという間に去って行ってしまった。

(……つれない…)

猫にも振られてしまったし、相変わらず神機は鳴らないし、静かだし、今度こそ本当にやる事が無くなってしまった修兵は、抱えていた膝を崩してそのままぱったりと床に倒れ込んだ。
着物が皺になるのも構わず死んだようにうつ伏せになりながら、そよそよと庭から吹き抜けて行く風が頬を撫でる心地良さに目を閉じる。
今頃拳西は忙しく働いているのだろうか、昼食はちゃんと摂ったのか、そんな事を考えながら、体の重さに比例してうつらうつらして来る意識をいつの間にか手放していった。





人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -