チラリと、拳西は腕時計に目をやってグラスの中のものをぐっと飲み干した。
空いたグラスに気付いた部下が次の酒を進めるのをやんわりと断って、平子に目配せをする。
それを受けた平子がニヤりと歯を見せてシッシッと追い払う仕草をして見せた。

(おーおー早よ行ったり、後は適当にやっとくわ)

周囲には聞こえない程の声でぼそりと耳打ちされて、拳西は苦く笑い申し訳無さそうに悪いと返して席を立つ。

「悪いが俺はこれで…」

そう告げれば、口々に引き留めたり大袈裟に残念がる酔っ払いの声が上がる。
たまたま大きな仕事が片付いたこの日、どこから聞き付けたのか拳西の誕生日だと知った幾人かが慰労会と誕生会を兼ねて宴会をしようと盛り上がっていた。
事前に修兵には話していたし、こうして慕われて祝われるというのは純粋に嬉しくもあるので宴会へ参加する事自体になんら問題はない。
それでもやはり、一番に祝って貰いたい相手が待っているという状況は自然と気持ちを急かすわけで、拳西はほんの2杯程ゆっくりとグラスを空けてお暇する事に決めていたのだ。

「今日はわざわざありがとうな、お前らも程々にして帰れよ」

そう感謝の気持ちを述べれば、さほどしつこく引き留められることもなく改めて祝いと労いの言葉をそこかしこから受けて、拳西は足早に店を後にした。
一通り酔っ払ってしまえば主役の居る居ないも関係なくなるだろう。
予定より早めに帰れると言う連絡を入れれば、電話越しからでも分かる修兵の嬉しそうな声が届いて、知らず緩みそうになる口元をどうにか引き締めながら帰路に着いた。








「おかえりなさい!」

玄関を開ければ、待ち構えていたと言わんばかりに修兵からの出迎えを受けて、拳西は靴を脱ぎながら上着を受け取る修兵を片腕でぐっと抱き寄せる。
ただいまと一緒に頬へキスを送れば、なんとも甘い香りが修兵の全身から漂って来て思わず肩口に鼻先をぐりぐりと埋めながら深く息を吸い込んだ。
バターとミルクと砂糖にチョコレート、疲れた体に染み入るような甘さだ。

「凄ぇいい匂いすんな、うまそう」

くすぐったさに笑う修兵に気を良くして暫く玄関でじゃれていれば、廊下の奥からドス黒いオーラを纏う視線に突き刺される。
何事かと眉根を寄せて顔を上げれば、ジリジリと暗黒オーラを発してリビングへ続くドアへもたれながら腕を組んでいる阿近が顰め面で睨み付けていた。

「お前…もっと普通に出迎え出来ねぇの?」

「うるせぇ、いつまでもんなトコでイチャこいてねぇでさっさと上がれ」

こっちは待ちくたびれてんだ、そう言ってふいっと引き返してしまう。

「…なんでアイツあんな機嫌悪いんだ?」

拳西がげんなりと修兵に問えば、あれ照れ隠しですよと言われて益々首を傾げた。

「今日、阿近さんにも色々手伝って貰って一緒に待ってたんです」

故に、慣れない事をしてどうにも尻の坐りが悪いらしい、と言う事なのだろう。
相変わらず分かりにくい同居人の捻くれっぷりに、拳西は思わず吹き出して納得した。







主役はこっち、そう促されて腰を下ろした先の光景を見て、拳西は感嘆の声を漏らした。

リビングのローテーブルの上を埋め尽くさんばかりに修兵(と、一応阿近との合作)手製のケーキの数々が、綺麗に飾り付けられて並べられている。
大きなホールのケーキが二つ、恐らくチーズケーキであろうと思われるものと、ライムのスライスが飾られているタルトがどんなものかは分からないが、夏らしくて涼しげだ。
それに、クルミが乗った小さなマフィンカップのチョコレートケーキ、修兵が気に入っている白磁の四角いケーキ皿にこれまた真っ白なムースのようなものが丸く盛られていて、鮮やかなベリーのソースが添えられている。
氷を張った深めのトレーに乗せられた大きなガラスの器にたっぷり盛られているのはフルーツカクテルか何かだろうか、シロップに浸かったマンゴーやイチジクやキウイが色とりどりで瑞々しい。
まだもう一つあるのだと言う修兵の言葉に驚けば、テーブルに乗り切らなかったのでそれはまた後でと言われた。

所狭しと並べられた甘い物に常ならばげんなりと胸焼けでも起こしてしまう所だが、修兵(と、阿近)が自分の事を思いながら作ってくれたというだけで堪らなく食欲をそそるのだから不思議なものだ。

それにしても、このまま売り物にもそうな程の完成度には恐れ入る。
良い嫁を貰ったもんだと、修兵と付き合い始めてもう何度呟いたかも分からない惚気を拳西は胸の内で繰り返した。
テキパキと準備を終えた修兵にグラスを手渡されてシャンパンが注がれ、"では"と、改まった声と共に掲げられたグラスに倣う。

「拳西さん誕生日おめでとうございます。乾杯!」

「おう」

「ありがとな」

冷えたシャンパンを煽って、拳西はまず目の前に置かれている白い皿へ手を伸ばした。

何かと聞けば、クレームダンジュと言うフランスの郷土菓子らしい。
拳西が食べる前にそれ凄ぇ美味いぞと言う阿近の感想が割り込んで、大方つまみ食いでもしたのだろう、なんとなくこの二人のキッチンでのやり取りを想像してしまった。
スプーンを差し入れればほとんど手応えがない程ふわふわで、阿近の言う通り、ひんやりと冷たい柔らかなレアチーズの風味が口の中であっという間に溶けて消えてしまって、フランボワーズソースの甘酸っぱい後味が絶品だ。

「美味い」

「!!良かった!」

拳西が一口含むまで緊張の面持ちでこちらを眺めていた修兵の表情がぱっと晴れる。
ホッと安堵してから自分でも一口食べてその味に納得したのか、拳西以上に幸せそうな顔で頬張る修兵が可愛くて、唇の端についた赤いソースを指先で拭ってやりながら思わずその頭をくしゃくしゃと撫でた。

「凄ぇな、浦原の店でも出せるんじゃねぇか?」

「ほんとですか!?」

嬉しそうにそう言いながら、切り分けたキーライムパイを拳西の前へ置く。
これに使うキーライムがなかなか見つからなくて大変だったとか、阿近がキッチンを粉塗れにして大惨事だったのだの言えば、余計な事を喋るなと言う阿近のデコピンが修兵の額にヒットした。

「イタァッ!」

「そこまで惨事じゃねぇだろうが」

「…何したんだよお前」

「オイ微妙な面すんな、黙って食え」

鮮やかなイエローの断面をしたタルトはその見た目以上に甘酸っぱさが濃厚で、柑橘系の爽やかな香りが鼻に抜けてシャンパンに良く合った。

「お、コレも美味ぇな」

「当たり前だ」

恐らく大した手伝いになっていないであろう阿近の方がふんぞり返っている。
だがしかし日頃一切料理をしない男にとってキッチンで何かを触ったと言うだけでも立派な一仕事なので、突っ込まずに素直に感謝する事にした。
こうしてもてなされるのも良いが、二人の奮闘ぶりも傍から見てみたかったとも思う。

「これ見て拳西さん」

そう言って修兵に差し出されたスマートフォンの画面を見れば、神妙な表情に似合わぬオレンジ色のエプロンを着けた阿近がビニール袋目掛けて綿棒を振り下ろしている映像が映し出されていて思わず酒を吹き出した。

「おまっ!!いつの間に…!!消せそんなもん!!」

「えー嫌です。阿近さんが頑張った証拠映像だし」

「頑…ぶっ…そうかそうか偉かったな」

なかなかの衝撃映像に肩を揺らしながら、拳西はお手伝いを成功させた子供に対するような口調でわざとらしく褒める。

「…チッ」

居心地悪く舌を鳴らしながらホールのチーズケーキにそのままフォークを突き刺そうとする阿近を修兵が慌てて止めてそれも切り分けた。
代わりに赤ワインのボトルを手に取った阿近は慣れた手付きでコルク栓をキュッと空ける。

重めの赤ワインと共に出されたロックフォールのベイクドチーズケーキ

塩気の強い独特なクセのある香りと、ねっとりとした硬めの食感がいかにも拳西好みだ。

阿近がセレクトしたらしいワインもあっという間に飲み干される勢いで、さほど大きくはないと言えど、生ハムを合わせながら気付けば三人で半ホールほど食べ切ってしまっていた。
一口サイズのスパイスショコラも品の良い苦みと後から舌に残る香辛料の辛みが後を引いて、真ん中でとろりと溢れるチェリーのリキュールがその後味を上手く中和する。
得意げにしている阿近と嬉しそうな表情全開でケーキを頬張っている修兵を眺めながら、全て拳西の好みを把握して作られたお手製ケーキに舌先から伝わる幸せをじんわりと噛み締めた。

「凄い、結構食べましたね」

「ああ、美味かった」

「拳西さん、まだお腹大丈夫ですか?」

「おう」

「良かった」

修兵は粗方片付いている皿をまとめると、

「これマチェドニアです。口直しに摘まみながらちょっと待ってて下さい」

そう言って、それぞれ拳西と阿近に取り分けてからキッチンへ立った。
フルーツがごろごろ入ったデザートボウルから大きなスプーンでたっぷり掬って食べれば、甘味の強いマンゴーとイチジクが辛口の白ワインで浸けられているのが分かって、するりと喉を落ちる爽やかさが心地良い。

「出来た嫁だ…」

そう誰に言うでもなくぼそりと拳西が呟けば、キッチンで細々と動く修兵を眺めてスプーンを咥えながら阿近も無言ではっきりと頷いた。







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