むっすりと、阿近は目の前の光景を眺めながらぶすくれた顔で眉間に皺を寄せていた。

だらりと斜めに構えた姿勢で椅子に腰かけてキッチンのカウンターテーブルに頬杖を付き、じーっと視線を動かさないまま不機嫌なオーラを漂わせている。
時折手元のコーヒーをずずっと啜りながら合間に舌打ちが聞こえる度に、カウンターの向こうで作業をしている修兵の肩が居心地悪そうにピクリと揺れた。

(ちょ、ちょっと拳西さん…!阿近さんなんかめっちゃ機嫌悪いんですけど…!)

(あー?…ほっとけ、いつもの気紛れだろ)

(…でもなんかめっちゃ見て来るんですけど…!?)

空気に耐え兼ねた修兵がくるりと阿近に背を向けて、隣に居る拳西にだけ聞こえるように耳打ちをする。
そうなのだ、拳西と並んで本日の夕飯の支度を始めた辺りから、どうにも阿近の機嫌がよろしくない。
拳西か修兵のどちらかか、もしくは二人揃ってキッチンで調理をしている時にはほぼ寄り付かない阿近がこうして貼り付いている光景はなんとも珍しいのだ。
冷蔵庫に用がある場合やつまみ食いやらちょっかいやらでふらりと姿を現す事はあっても、これは一体どういう風の吹き回しか。
声を掛けるわけでもなければ、ましてや手伝おうとするわけでもない。
一体自分が何かしただろうか、それとも今更今晩の献立が気にくわないとでも言い出すのか、そんな事をぐるぐると考えながら首を傾げていれば危うく手元が狂いそうになって慌てて包丁を持ち直す。
調理中の余所見は頂けない、ひとまず痛い程の視線を送って来る"気紛れ"の真意を考えるのは後回しだ。
修兵は気を取り直して作業を再開するべく食材へ向き直った。

「随分良い鯵じゃねぇか、どうしたコレ」

「でしょ!魚屋のおばさんが分けてくれたんです、この間のケーキのお礼って。はい」

「おう。…相変わらずの天然タラシめ。ほれ」

「ん。ってそんな事ないです!!」

「また凄ぇ貰って来たな。アレどこだ?」

「はいコレ。半分はもうタタキにしてあるから、今日はアジフライと鯵のタタキで。…あ!」

「もう出した。じゃあ今日はビールだな」

「ありがと。1ケース冷えてますよ」

「いいな。…修、ソレくれ」

「んー。あ、これも」

「右か?」

「左側の一番下ー」

「おう」

「拳西さん」

「ん。」

「どうも」


「なんっなんだお前らは…ッ!!!」


ガターンッ!!と、それまでじとっと二人の会話を聞いていた阿近が、勢い良く立ち上がってカウンターへゴンッと拳を叩き付けた。
突然の事に目を丸くしてきょとんと阿近を見る二人に青筋を浮かべながら、阿近がキッチンに立つ拳西と修兵をビシリと指差す。


「アレとかソレとかドレとかなんなんだお前ら、エスパーか、なんだその熟年夫婦感嫌がらせか!!!」


拳西が視線を投げただけで菜箸を手渡したり、ほれの一言で手拭きが出て来たり、アレで小麦粉とパン粉、ソレで卵、名前を呼べば揚げ物用のバッドが出て来て、"ん。"の一言でキッチンペーパー。
他にも、修兵が身に着けているエプロンのずれた肩紐を直してやるついでにさり気なく拳西が髪に唇を落としてみたり、さり気なく揚げ物を代わってあげたり、そんな拳西にときめいた視線を寄越していたり、修兵も修兵で甲斐甲斐しく拳西についた粉を払ってやったり棚を開けてやったり。
全く関係のない雑談をしている合間に図られたかのように繰り広げられる流れるような共同作業には一切の無駄がなく、見ていて気持ちが良い程なのだが。
それがどうにも、阿近の中に疎外感と言う名の嫉妬心を生んでしまっていたらしい。

「人の目の前でいちゃいちゃいちゃいちゃしやがって遠慮しろ!!新婚か!!混ぜろ!!」

熟年夫婦と言ってみたり新婚と言ってみたり最後にうっかり本音が出てしまったりで言っている事はてんでむちゃくちゃだが、まるで子供のようなヤキモチを察して、きょとんとしていた修兵が思わずふっと吹き出した。

「…オイ、笑ってんな」

「い、いや…ぷ…笑ってな…っ、じゃなくて阿近さんもこっち来ればいいのに…ぶふっ!」

「思いっきり笑ってんじゃねぇか!そこに男三人は狭ぇだろ、それに俺は料理は出来ねぇ!!」

「いやそれ自信満々に言う事じゃねぇからな?」

「うっせー」

面白くなさそうにそう言うと、阿近はぷいと背を向けてリビングへ戻っていってしまった。
意味も無くテレビを点けながらどっかりとラグに腰を下ろして完全に拗ねている。
料理を含め家事の一切が壊滅的だという自覚が当人にある分、こういう時だけは二人の間に入り込めない疎外感のようなものを僅かながら覚えているらしい。
それでも日頃はこれほど臍を曲げるような事もないのだが、たまたま執筆に行き詰っていたり、たまたま寝不足が重なっていたりでそういうタイミングの悪さも災いしたのだろう。
これはこれで阿近の"構え"のサインなのだと、二人は思う事にしている。
普段は気怠げな傍若無人で俺様何様の癖に、こうしてたまに素直じゃない子供っぽさがあるのだからなかなかのギャップだ。
拳西と修兵は困ったように笑って互いに目配せをし合うと、揚げ物から離れられない拳西の代わりに、修兵がエプロンを外して阿近の元へ向かう。

「阿近さん」

「…」

「…阿近さんってば」

「……」

いくら呼びかけても返事をしない阿近に小さく溜息を吐きながら背後へ回り、修兵は後ろからその背に抱きつく様にして腰を下ろした。
阿近の腹へ両腕を回して肩に顎を乗せながらぎゅうと抱き着く。

「…なんだよ」

「怒んないでよ、ほっといてごめんね?」

「別に怒ってねぇよ」

「怒ってんじゃん!!」

先よりも凪いだ語気から本当にもう大して怒っていない事を察して、修兵はふっと笑いながら言い返した。

「阿近さんも今度一緒に料理しようよ」

「俺は向いてねぇ…」

ブスッとしながらそう言う阿近に、修兵はいつか包丁をまな板にダンダンッと叩き付けていたりキッチン中を粉塗れにしていたりした光景を思い返して"うんそうだね"と口にしそうになった台詞を慌てて飲み込む。

「大丈夫だって俺教えるし、楽しそうじゃん」

「好きにしろ」

語尾にほんの微かにだけ滲む、ちょっとだけ嬉しそうな様子がなんだか可愛くて堪らなくなって、修兵は口元を緩めながらぐりぐりと阿近の肩口に額を擦りつけてピッタリとひっついた。
何に付けても気紛れなのは困ったものだけれど、修兵は拗ねた阿近もなかなか好きなのだ。

「明日は阿近さんの好きなもの作ってあげるからさ」

「…和風ハンバーグ…ポテトサラダときんぴらもつけろ」

「はは、オッケー」

ぼそぼそと好物を呟く情けない声に笑って、修兵は阿近にしがみついたままその後ろで拳西に向かってぐっと親指を立てた。
それを見た拳西が、吹き出すのを堪えながら同じ様に親指を立てて見せる。

((ちょろい…))

見事にシンクロした二人の心の声など当然届く筈もなく、阿近はうっかり絆されてすっかり機嫌を直した様子で、

「あー…腹減った、メシ早く」

そう言いながら、キッチンから届く香ばしい匂いに腹の虫をぐーっと鳴らした。



― END ―




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