(ほかほかのつやつやだ…)


目の前に置かれた大きな皿の中身をきょとりと見下ろして、修兵は思いつく限りの例えを考えたけれど、まだ表現の乏しい頭で出て来たのは結局そんな拙い感想だった。
まだ幼い修兵の顔よりも大きな皿に盛られた温かな料理に、思わずぽつりとそんな感想を漏らす。
それを聞いた衛島やローズが面白げに優しく笑って、横から伸びて来た大きな手にがしがしと髪を掻き混ぜられた。
"いただきますしろ"、厳しくて温かなその声にならって皆の真似をしながら顔の前で小さな手を合わせた。
大勢で囲む温かな食卓で一口かぶりついたあの時の感動は、あれから膨大な時を経た今でも修兵の胸の奥の方で褪せることなく息づいている。
自分を思ってくれる人達と分かち合う美味しい食事に、気が付けば修兵の大きな目から大きな滴が次から次からぽろぽろと零れ落ちていた。
泣くか食べるかどちらかにしろと困ったように笑われながら、最後まできっちりと平らげたご飯は、それまでに食べたどんなものも敵わない幸せの味がした。








* 鶏の照り焼き、温玉添え *
* 菜の花と人参の白和え *
* シラスと大葉の混ぜご飯 *







パタパタと、鶏ももの一枚肉に片栗粉をはたきながら、修兵は随分と昔の事をぼんやり思い出していた。

今朝方決めた今晩の献立は、特製の甘辛いタレを絡ませた鶏の照り焼きだ。

まだ拳西達に出会う前、流魂街の中の余り治安の良くない地区で生活をしていたせいで、その治安に見合い当時の修兵の食糧事情もそれは悪いものだった。
その日生きていく為だけの食い扶持を確保するのがやっとで、上等な肉などは以ての外、それなりの食事らしきものにあり付けるのは、釣りが上手く行けば御の字。
酷い時には盗らなければ空腹を凌げない日すらあった。
勿論、空腹を覚えるのは修兵に"力"があったからで、そんなものなどない少ない仲間内では修兵のように日々空腹を訴えるような事が稀だったせいで、その欲求を素直に口にする事が憚られた。
己と周囲との違いの正体が分からずに戸惑い、毎日の飢えに耐え忍ぶ。
そんな生活しか知らなかったから、修兵にとって食事とは生命活動を辛うじて維持するためだけの行為だったのだ。

だから、あの時拳西達に助けられて、引き取られて初めて、修兵は『食事』というものがどんなものかを知った。
生まれて初めて大勢で囲んだ食卓で出された料理が、"鶏の照り焼き"だったから、修兵にとってこの献立は忘れられない思い出の味。

そんな事をぼんやりと思いながらふと己の手元を見れば、無意識に付け過ぎた片栗粉で真っ白になってしまった鶏肉が目に入ってぎょっとする。

「うわわ!」

慌てて余分な粉を叩き落としてほっと息を吐く、危うく特大の唐揚げにでもなりそうなところだった。
ぼんやりと考え事をしながら台所に立つのは良くないと分かってはいつつも、これを作る時にはつい当時の色々な事を思い出してしまうのが修兵の癖なのだ。
初めて食事で幸せを感じたものでもあるし、何よりこれは修兵が初めて拳西の為に作ったものでもある。
修兵は下処理の済んだ鶏肉を一先ず皿に置いて、照り焼き用のタレを匙でぐるぐると掻き混ぜながらその時の事をまた思い返していた。

酒に砂糖、濃口醤油にみりん、少しだけ加える擦りおろしの生姜は隠し味。

これは、当時修兵がお願いをして衛島に教えて貰ったあの時から少しも変えていない黄金比だ。
温かい食事を摂れるようになって、ただの痩せっぽちだった修兵の頬がふくふくとして色好い艶が戻り始めた頃、自分も拳西や皆の為に何か料理が出来たらいいのにと、そう思った。
自分の為に作ってくれる料理を食べる事はとても幸せな事だと教わったから、自分が作ったもので拳西達にもそんな気持ちになって貰えたら嬉しいと思ったのだ。
だから、初めて感動する程に美味しいと思ったあの"鶏の照り焼き"が作りたくて、拳西には内緒で衛島だけにこっそり教わりに行った。
当時の修兵にとって料理などはほぼ未知の領域だったせいで、覚えるまでに随分苦労をしたし世話も掛けさせてしまったけれど、嫌な顔一つせず、それどころか楽しげに教えてくれていた衛島には感謝の気持ちでいっぱいだ。
何度も何度も一番の隠し味は"愛情だ"と、手順と共にそう教えてくれた人にはもう会えなくなってしまったけれど。
修兵は思わずじんわりと滲んで来てしまった目尻の雫を、玉葱に小気味良く包丁を入れる事で誤魔化した。
今日は互いに早や上がりだった為に、共に帰って来た拳西は居間でゆったりと寛いでいるのだ。
台所が対面式になっているから、居間にいる拳西から調理をしている修兵の様子は丸見えだ、泣きながら料理をしていただなんて後で突っ込まれては困ってしまう。
ただでさえ、この献立にする時には必ずと言って良い程当時の思い出話でひたすらに拳西からからかわれたり褒め殺されたりで大変な思いをしながら食事をしなければならなくなるのだ。
それでもやっぱり、こうして時々どうしても作りたくなってしまうのだから仕方が無い。

何やら複雑そうな百面相をしながら台所に立っている様子をこっそり盗み見ている拳西の視線には気付かずに、修兵は着々と調理を進めていく。

フライパンに火を入れて、まずは獅子唐とぶつ切りにした葱を軽く焦げ目が付くまで素焼きに。
これは彩り用で照り焼きに添える付合わせだ。
それを取り出して、葱の香ばしい香りが残るフライパンに油を敷いて皮目から肉を焼いて行く。
パリパリに焼けた鶏皮の頃合いを見て裏返し、準備しておいたタレを回しかけてじっくりと煮詰めて行けば照り焼きの完成だ。
甘辛い匂いが部屋に充満して、それだけでぺたんこの腹が空腹を訴えるようにしてくぅっと鳴った。
良い具合に味が染みてこんがりと焼けた鶏肉を一度取り出して綺麗に切り分けてから皿に盛り、煮詰まったタレをたっぷりとかける。
その隣へ長葱と獅子唐の素焼きを添えて、とろとろに仕上がった温泉卵をぱかりと落とせば修兵自慢の一品の出来上がりだ。
会心の出来に両の口角を上げて満足げに眺めた後、"よし"と呟いてお櫃の蓋を開ける。
ほかほかに炊き上がっている白米へ、ふわふわの釜揚げシラスと千切りの大葉をたっぷり投入してざっと混ぜ合わせた。
白胡麻をふれば簡単な混ぜご飯になるので、これも修兵の定番メニューだ。
予め作って冷やしておいた菜の花と人参の白和えを小鉢へ盛って木の芽を乗せれば、より一層彩りが増して華やかになる。
椀に盛った混ぜご飯の傍らには小皿に大根おろしを添えて、葱と豆腐のシンプルな味噌汁をよそれば完璧だ。
修兵が呼び掛ける前に台所までやって来て腹を擦りながら嬉しそうにそれらを覗き込む拳西に笑って、出来立てが冷めない内に二人でいそいそと食卓の準備を整えた。








「美味い」

拳西の口から自然と零れる様にしてはっきりと告げられたそれに、修兵は嬉しそうに頷く。
そんな修兵の表情に、わしわしと頭を撫でてやりたい衝動が湧き上がるものの、両手が塞がっているのでひとまず耐えた。
香ばしいカリカリの皮と柔らかな鶏肉を頬張った瞬間、じゅわっと甘辛いタレの味が染み出してなんとも言えず顔が綻ぶ。
添えられている温泉卵に箸を入れれば、艶やかな黄身がとろりと溢れて、肉や付け合わせに絡めて食べればそれはそれで絶品だった。

料理の"り"の字すら知らなかった修兵が、今や拳西よりも遥かに腕を磨いてこうして温かな食事でもてなしてくれる。
それが拳西にどれだけの幸福感を与えているか、直接口にした事こそないが伝われば良いと思いながらいつも米粒一つ残さず綺麗に平らげるのだ。
特に、修兵がこの献立にした時にはなんだか色々と思い出してしまって、年寄じみているかと思いながらもついつい拳西は当時の話をしてしまう。

「懐かしいな、あん時ゃ肉の塊だったもんなぁ」

さも悪戯っぽい表情で言われて、修兵はぐっと喉を詰まらせた。

(出た…!)

"懐かしい"、この一言から始まる拳西の思い出話。

鶏の照り焼きを作った時には必ずと言って良い程繰り返されるその思い出話をされる度、修兵はどうにも気恥ずかしくて居た堪れないどうしようもない気持ちになるのだ。

あれだけ何度も衛島に教えを請うて練習をした筈の料理は、いざ一人で拳西に作ってやろうとした時には散々だった。
カリッとさせる筈だった皮は黒く焦げ付いてしまったし、慎重過ぎたが故に煮詰め過ぎて縮んでしまった肉は堅くて塩辛くてとても食べられたものではない。
自分の記憶にあるものと全くそぐわない味と惨状に、酒を足したり水を足したり足掻いても足掻いても上手くいかないそれに、意思に反して滲んでしまう涙を何度も何度も拭いながらひたすらフライパンと睨み合っていた。
美味しいと言って貰いたくて、あんなに教えて貰ったのに、上手く出来ない自分が悔しくて情けなくて泣き出してしまいそうな気分のまま拳西に謝ってもう捨ててしまおうと思った。
だけれど、ただの焦げ茶色の塊になってしまったそれを拳西はひょいと抓んでぱくりと口にしてしまったのだ。
目を見開いて驚く修兵に構わず、腕にしがみついて止めるのも聞かずに全て綺麗に完食してしまった拳西はニッと笑って、「ありがとな」と、そう言って小さな頭をがしがしと撫で回した。
その後、条件反射の様にぶわっと大きな両目から涙を溢れさせてパニックに陥った修兵を宥めるのが大変だったのだと、食事を進めながら拳西は可笑しそうに話す。
上手に出来なかった自分への悔しさだとか情けなさだとか、当時から完璧主義の片鱗を見せていた修兵自身の挫折感だとか、拳西の笑顔が優し過ぎて驚いた事だとか。
なんだか色んなものが綯い交ぜになって、修兵は何を思ったのか押入れに逃げ込んで塞ぎ込んでしまった。
中にあるありったけのものを駆使して襖を閉め切って、外から拳西がどれだけ呼びかけようがぐずぐずとべそをかいて閉じ籠もる。
小一時間ほど続いた説得に、あれはなかなかに手強い籠城戦だったといつもそう言って拳西は笑った。

「だから…!忘れて下さいっていつも言ってるじゃないですか!」

「いいじゃねぇか、結局根負けして出て来てびーびー泣きながらしがみ付いて来たのは可愛かったからなぁ」

「わーっ!!!」

箸を握り締めながら顔を真っ赤にする修兵の表情に笑って、拳西はぽいっと最後の一切れを放り込んだ。
そのまま混ぜご飯を掻き込めば、さっぱりとした風味が濃い目のタレに良く合っている。

(あぁー…うめぇな…)

あれから、修兵の料理の腕は教えてやっているこちらが目を瞠る程に上達していった。
修兵が突然料理を始めたきっかけを衛島から聞かされた時には、拳西は珍しく顔を赤くしてその相好を崩し、誤魔化し切れなかったそれを見た平子達に散々"気持ち悪い"と言われて切れたものだ。
そんな最中、もう二度と会えないのではないかと絶望しかけた程の別離を経験したからこそ、今こうして再び修兵と共に食卓を囲める幸せはなにものにも代え難く拳西を深くからじんわりと満たしている。
その上、いつの間にか大人の色香を纏う程に成長し、いつかまた会えた時の為にと料理をする事を止めなかったと言われてしまえば、どう足掻いても拳西の中での答えはただ一つだった。

未だ赤い顔をしたまま照れ隠しにもそもそと食事をしている修兵の表情をふむと眺めながら、拳西はなんでもないことのようにぽつりと呟いた。

「修、結婚すっか」

「ぶっふ!!!」

今日の晩飯どうすっか、ぐらいの軽い勢いで飛び出たそれに、修兵は口に含んでいた味噌汁を危うく吹き出しかけて盛大に噎せる。
ゲホゲホと噎せる修兵に水を差し出してやりながら、拳西はまた可笑しそうに笑った。
だけれど、修兵にとっては笑い事ではなかったらしく、元より赤かった顔を首元まで染めて水を一気に飲み干すとそのグラスをテーブルへゴンッと置いた。

「い、いきなり何言ってるんですか!?」

「そのまんまだろ、いやもう嫁みてぇなもんだがな」

あっけらかんと言われるそれにくらりと眩暈がするのを感じて、修兵は額に手を当てながら今の何がどうしてそこに繋がったと問い詰めれば、

「愛してっからな、お前も、お前の飯も」

そう言って最後の一口を平らげた拳西に"おかわり"と椀を差し出されて、もぐもぐとしている拳西にきゅうぅっと心臓の辺りを鷲掴みにされる。
叫び出したい衝動を誤魔化すように椀を受け取って、慌てて台所へ逃げ出した。
"いやもうしてるか"とか"してたわ、結婚"だとか未だにそんな事をぶつくさ呟いている拳西に背を向けて、修兵は上がり切った心拍を抑える為に胸に手を当ててどうにか深く息を吐き出す。
なんとも色気のないプロポーズだとは思わないでもないけれど、自分の作ったものを食べて美味しいと言ってくれて、愛しているだのなんだの、そんなものこの上なく嬉しいに決まっている。
だって、修兵の料理はこうして受けたたくさんの無償の愛情で成り立っているのだ。
一番の隠し味は愛情だと、そう教えてくれた言葉を思い出しながら、それが愛する人へ伝わっているのならこんなに幸せな事はないのかもしれない。


修兵は、握り締めていた拳西の椀に混ぜご飯を山盛りに盛りながら、次々溢れて来る甘くて切ない幸福感に、やっぱりちょっとだけ泣いた。




さぁ、愛しい貴方と、明日のご飯はなに食べる?




― 終 ―



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