「あら、こんにちは」

黒地に白い小花模様の刺繍が施された品の良い傘を開きながら、こちらに気付いたのか声を掛けられる。
相変わらずオーナーの奥さんは美人だ。
こんな美人を妻に持っておきながら男相手に不倫をしているオーナーの気持ちが俺には到底分からなかった。
目線を下げれば、下の子だろうか、可愛らしい小さな女の子が母親のワンピースの裾にしがみついてこちらを見上げていた。
二人に軽く会釈をして店内に入る間際、新しいケーキにお褒めの言葉を頂いてお礼を言う。

「ごちそうさま、またお邪魔するわね」

お天気が悪くて嫌ね、そう言って娘の手を優しく引きながら帰って行った。
奥さんが店へ足を運ぶのは珍しい。
仕事をしているのは知っているから、今日は休日か何かだったのだろう。
買い出しで調達した材料を棚へ上げて整理しながら、入り口で奥さんに会いましたよとオーナーに伝える。

「今日お休みなんですか?」

そう聞いたこちらに"まあな"、曖昧な返事と苦笑いを向けられたのでそれ以上は特に何を聞くことも無かった。




カラン、とドアベルが揺れる甲高い音に振り返る。


「いらっしゃいま・・・せ、」


反射的に応対しながら、普段ならばこの時間に見る筈の無い来客に些か驚いた。
カウンターに目をやることも無く、檜佐木はツカツカと一直線にいつもの特等席へ向かい静かに腰を下ろす。
オーナーも予想外だった様で、俺の背後で少なからず表情を固めているだろう空気が流れて来ていた。
その頭の中には、ついさっき会ったばかりの奥さんと子供の顔でもチラついているんだろう。


そんな余計なことに気を向けている俺も、ほんの数日前に暴言を吐いて謝罪をし損ねてしまった罪悪感が未だに残っていてどうにも気のやり場に戸惑っていた。

ぎこちなさを抑えてどうにか淡々と注文を取る。
あれから夜部屋に帰り着いて思い返しながら、それなりに己の発言の軽薄さを責めた。
ポカンと口を開けて間の抜けた顔をしてはいたものの、肩を叩かれた力が思いの外弱く、それが余計にあの場での失言を己の中で責める要因になっていた。
このまま気に留めず何も無かったことにも出来るだろうとは思う、実際俺とこの男にはそれだけの接点しかないのだ。
だからこれは完全に俺の自己満足だと解ってはいても、筋を通すのだと言い聞かせる。



オーナーが出したコースターの色が今日は"黒"だったことを確認して、トレーを運びながらその下にもう一枚グレーのコースターを重ねた。

「お待たせ致しました」

視線を落としていた本を閉じた檜佐木の前に、オレンジとショコラのラ・ムース・グラセ・ア・ラ・オランジュ、アイスティー、コースターを二枚。

「ごゆっくりどうぞ・・・」

去り際気付かれない程度に振り向いた先で、あいつはグレーのコースターを眺めながら少し驚いた様な顔をしていた。



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