夜も更けたばかりなせいか住人達もチラホラと姿を現している程度の光景は、退屈が蔓延する街の雰囲気に輪を掛けて怠惰でどんよりとした空気を醸し出していた。
早起きのジャクオランタンは相変わらず訳の分からない下手くそな歌を歌いながら大事なカボチャ畑の世話をしているけれど、そこだけが賑やかで、水辺を覗き込んでは釣りにもならずただつつき回しているだけのビヒーマスがいたり、面白くも無い掛け合いを延々続けている三つ子のコープスがいたりするだけで暇を潰す為の散歩にもならない。
時折下から揶揄めいた視線や誘いの声を投げられつつも、修兵は気怠い街中を一瞥しながら一直線にそれらを潜り抜け高台にある大きな建物を目指した。
下半身が蜘蛛のアルケニーに蜥蜴が巻き付いたような妙なオブジェが屋根に括り付けられているラボへ近付けば近付くほど、寝覚めに見た雲の渦と甘い香りが色濃くなっていく。
修兵は期待に急く気持ちのまま速度を上げると、侵入者の存在を主へ知らせる為に門へ貼り付いている門番を吐息で眠らせて、目的の部屋がある最上階へ続く屋根の上へふわりと降り立った。
使い捨てられたゴーストのパーツや抜け殻を張り合わせて出来た屋根へ足を着けて、げっと眉を顰める。
建物の外装に違わず風変りな容姿を持つここの主の顔が脳裏を過ぎり、修兵はゾクリとした背筋に両腕を擦った。

(…相変わらず悪趣味)

許可無く侵入しておきながら胸の中で失礼にも毒づいて、修兵はぐるりと辺りを見渡す。
誰の視線もない事を確認して、カーテンが僅かに開いている部屋の窓から中を覗き込んだ。

こんなまどろっこしい侵入者ごっこをしなくても、拳西が一緒ならば正面から突っ切って目標物の奪取が叶うというものなのだけれど、お願いしたかった当の本人は起きないし、その上街一番の変わり者との相性はすこぶる悪いので、修兵のお願いでも付いて来てくれるかどうかは分からない。
博士に見つかれば捕まって実験体になる所の話で済まないかもしれないが、その時はその時で拳西に助けて貰えば良いしあのなまくらの王だって引っ張り出してしまえばいい。
根拠のない自信で高を括ってはいるが、何しろ好奇心旺盛な蝙蝠ツインズの片割れは退屈が嫌いなのだ。

こっそりと覗き込んだ部屋の中には、博士と助手の姿は見当たらない。
いつも可愛がっているのか弄り倒しているのか分からないペットの黒猫も居ない所をみると、こちらの主もまだ目覚めていないようだ。
物音を立てないように細心の注意を払いながら、ストンと、博士が保管庫兼書斎にしているであろう部屋へ滑り込む。
広い部屋をキョロキョロと見回した視線の先、奥のテーブルへちょこんと鎮座している小瓶を見つけてそっとそこへ近づいた。
掌大の小瓶の中には、寝室の窓から見た雲の色と同じ、深い紫と緑のキラキラした液体が渦を巻いている。
膝を屈めて鼻先を寄せれば、なんとも言えない甘ったるい匂いがした。
ウィッチの可愛がっていた浮かれ烏の目の色と同じそれには、噂好きのクラウンが嘯く通りきっと雄を惹き付ける媚薬効果があるに違いない。
いつも訳の分からない妖しげな薬を調合してはそこらじゅうで実験体を漁るのが趣味な変人に、今だけほんの爪先ほどの感謝をして、主が目覚めない内に早速頂いて行こうと瓶へ手を伸ばした。
途端、パキンッと足元で何かが折れる音がして、壁掛けの作り物だと思っていた大きな蜘蛛が真っ赤な目をギョロリとこちらに向けて咆哮を上げながら大欠伸をしている。

「ヤバッ」

目の前の瓶を引っ掴んで一歩引けば、どうやら踏んでしまっていたのはその蜘蛛が投げ出していた枯れ枝のような足の内の一本だった。
厄介なものを起こしてしまったと、慌てて窓を目指して踵を返したのと同時に、バンッと派手な音を立てて部屋の扉が開かれる。

「そこで何をしているのかネ!!?」

どうやら物音で起きてしまったらしい主が部屋に飛び込んで来た先の光景を見て、修兵と同様"げっ!"と心底嫌そうに顔を顰めた。

「フン、あの無粋な蝙蝠男の所のクソ餓鬼か、その品のない羽根をチョン切られたくなければそれを返し給えヨ!」

白い顔に青筋をビキビキと浮かべながら声を荒げる博士に、修兵は挑発するようにご自慢の羽根をバサバサと振って見せる。

「嫌だね」

べぇっと舌を出した修兵は、博士の手が伸びるのをひらりと躱して窓際にトンッと足をかけた。

「お邪魔しましたー!」

ヒラヒラと手を振って胸元から取り出したロリポップを博士の額へスコーンッとヒットさせる。

「ぐっ!この…!ネム!!」

「はい、マユリ様」

一足遅れで博士の背後にひっそりと姿を現した助手が、今にも窓から飛び出そうとしている修兵に何かを投げ付ける。
大きく広げていた羽根にべちゃりと当たったそれは粘性の網のように纏わりついて、バランスを崩したまま屋根の上をツルンッと滑り落ちてしまった。

「わっ、わわ…っ!!!」

妙な粘膜のせいで思うように羽ばたけず、そのまま屋根を滑り降り、ドシーンッとお尻から何かを下敷きにして派手に落下してしまう。

「痛ァッ!!!」

尻の下で何かがぐえっと潰れた悲鳴を上げたのと同時に、その反動で手から取り落としてしまった小瓶が目の前でパリンッと割れてしまった。
"あっ"と思う間もなく、割れた瓶の中身が飛び出して修兵は頭からキラキラした液体を引っ被ってしまう。
噎せ返りそうになる程ねっとりとした甘い芳香が鼻を突いて、羽根は重いわ体中べとつくわで散々な状況だ。

「最っ悪」

と悪態を吐いたところでどれもこれも自業自得というものだが、修兵は窓から身を乗り出してギリギリと歯噛みをしながらこちらを見下ろしている派手顔の博士と青白い顔の助手をじとっと睨み上げる。
そんな修兵の下で何かが耐え兼ねたようにもぞもぞと身動ぎをしているのにハタと気付いて足の間を見れば、居る筈の無い黒髪がその頭を覗かせていた。

「阿近!?何してんの!?」

「〜っ!何じゃねぇ退け!重いんだよ!!」

そう言って思い切り反動を付けて起き上った阿近の勢いに負けて、修兵が阿近の上ですてーんと綺麗に引っくり返る。
酷いと非難しようと修兵が口を開くより早く、阿近はその額目がけて渾身のデコピンをお見舞いした。

「イッタイッ!!」

「俺の方が痛ぇわ!人の頭の上から落ちて来やがって!大体なぁ…!」

"イイ子にしてすぐ帰れ"と言った俺の話を聞いていなかったのかと、鬼の形相で両目を吊り上げた阿近のお説教が始まる。
本当にただの"散歩"くらいならばすぐに帰って来るだろうと、そう楽観して好きにさせた結果がコレだ。
やはり甘やかし過ぎるのも考え物だと、未だ修兵に跨られたまま阿近はこめかみの辺りをひくりと震わせた。
寝起きに修兵の姿がない事を不審に思った拳西の一声で迎えに出てみれば、人の屋敷に侵入しているわ博士の部屋から変な薬はかっぱらって来るわ挙句何やら分からぬもの塗れで人の上に落っこちて来るわでとんだ状況に呆れて溜息も出ない。

"ラボに近付くなって何度言わせんだ"
"博士に捕まったら今頃良い被験体だ"
"お前は本当に懲りねぇな"
"拳西のお仕置き決定だな"
"っつーかクッセェななんだこの甘ったるい匂いは"
"ジャケットがベトベトじゃねぇか"
"暫く外出禁止にすんぞ、…なんだその顔は、絆されねぇぞ…っておい聞いてんのか!?"

放っておけば延々と続きそうな阿近のお説教を耳に入れているのかいないのか、なんとも微妙な顔をしている修兵の視線は阿近を通り越してその背後にフラフラと彷徨っている。
始めこそ頭に来たものの、その顔に少しずつ冷や汗が浮かぶのが見えて何事かと振り返った阿近の表情がピキリと固まった。
云わば、阿近の背後に出来ていたのはゴースト達のオンパレードだ。
茫洋とした目をギラギラと光らせて、涎を滴らせそうな勢いでどうやら修兵目掛けて熱を持て余したような視線を送っている。
ふらりと修兵の背後へ回ったゴーストがその首元へ纏わりついて、さっきぶちまけた液体でキラキラと光っている頬をべろりと舐め上げた。

「ひっ!!」

「オイ!!」

阿近が慌ててそれを振り払って引っぺがすものの、後から後から湧いてくるゴーストを一匹ずつ払っていてはきりがない。
どうやら修兵が博士の所から盗み出した妙な薬の匂いに引き寄せられているのだろう。
ゴースト達だって修兵と変わらず暇を持て余しているのだ、常日頃からあらゆる視線を一身に浴びているツインズが媚薬塗れになって転がっている状況などただの据え膳でしかない。
"主の居ない間に"とでも思ったのか、退屈しのぎにぴったりな恰好の玩具を見つけたゴースト達が次から次へと群がって、ぎゃあぎゃあ言い合いながら阿近と振り払う。

「うぁ、ちょっ、どこ触って…ッ!!」

「クソッ!てめぇら全員バグベアの餌にされてぇのか!!」

「あぁもう鬱陶しい!!阿近!飛んで!」

「はぁ!?」

がっしりと阿近の腕を掴んで叫ぶ修兵の言葉に眉を顰める。

「…おい、お前を運んで飛べって言うんじゃねぇだろうな」

「だって俺飛べないし!」

何故か自慢げにベタベタの羽根を己で指差す修兵に、阿近は背後のゴーストへ裏手で拳を入れながら舌打ちをする。

「だぁぁあっ分かったよ!舌噛むなよ!!」

そう言って修兵の首根っこをガシッと掴むと、大きな羽根を広げて周囲のゴースト達を薙ぎ払いながら勢いをつけて飛び上がった。





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