俺がパティシエとフロアを兼ねて働いている店のオーナーは、バイだ。
女房も子供も居る(しかも娘二人だ)事を知っていた俺がどうしてそれを知ったのかは、まぁ良くある話、現場の目撃ほど動かぬ証拠は無い訳で。
新作の試行錯誤の為に最後まで厨房に残っていたその結果をオーナーに見せに行った。
店の地下は資料部屋兼オーナーの仮住まいになっていて、大抵遅くまでそこにいる事は知っていた。
それが悪かった、試作品なんざ一晩くらい冷蔵庫で寝かせて早々に帰れば良かったと未だに後悔している。

本棚に押し付けたどこぞの知らない男と濃厚なキスをかましながら、そいつの片足を肘に掛けて服の中に手を突っ込んでいるオーナーを見た。
間抜けな事に俺は新作の乗ったトレーをお約束宜しく見事に手から滑らせて、その落下音に驚いてこちらを見た奴らとバッチリ目が合う。
自信作が床とトレーに挟まれた最悪の瞬間だった。
唯一救いだったのは真っ最中を目撃しなかった事と、クビにならずに済んだ事ぐらいだと自分に言い聞かせている。

"失礼しました"

そう言って落としたトレーの存在も忘れ淡々とその扉を閉めて踵を返した。








水曜と土曜のラストオーダー。

この店の日替わりのドルチェセットには、煩悩が乗せられている。

そして俺が、その煩悩を運んでいるのだ。



「お待たせ致しました」


ガトー・ノアールとアイスティーを男の前に並べる。
俯いていた男は少し長い前髪の隙間から目線を上げた。
目の前に運ばれてきたものを見てからチラリと俺の顔を見上げたかと思えば、ふいとすぐに視線を逸らされる。

なんだ、今の・・・。


「・・・ごゆっくりどうぞ」

オーナーとのアレを目撃してからも、この男はごく普通に店にやって来る。
どんな事情があってオーナーとあんな関係を持っていて頻繁にこの店へ来ているのかは知らないが、目撃されたことに対して何か気まずさを感じると言うことは無いのだろうか。
何の関係も無い俺がこんな事を疑問に思うことも無いのかも知れないが。
寧ろ気まずい思いをしているのはこちらの方で、それが妙に腹立たしい。
今までただの客だった赤の他人の見たくもない内面を覗き見てしまった様な気分だ。
それを意識してしまってから、あの男が店に来た時のオーナーとあいつの間に流れる微かな空気の変化を嫌でも見逃せなくなってしまった。
気にするなと意識を逸らそうとすればする程、何故か結局一人で勝手に気まずい思いをしている。
胸倉引っ掴んで俺の職場の安泰を返しやがれと言ってやりたい。
無関係な俺に気を遣わせているあの二人が恨めしい。






その無関係だった筈のあの男と俺の関係に少し変化が訪れるのは、あれから十日後の水曜日だ。


「お待たせ致しました」

いつもの様に日替わりのケーキとアイスティーを男の前に並べた。
余所を眺めていた男が顔を上げて、プレートに乗せられているものをじっと見ている。
ごゆっくり、軽く頭を下げて戻ろうとした背後で、

「・・・これ」

振り返ると、男が皿の上を指差しながら無表情でこちらを見上げていた。
今日のケーキは最近メニューに入るようになった俺の新作で。
リキュール漬けのスポンジとムース状のクリームにグロゼイユのジャムを敷いたアールグレイのタルト生地を器にして、紅茶で煮て色と艶を出したイチジクをそのまま丸ごと乗せ、フランボワーズ二粒と薄いショコラプレートで飾り付けたシンプルなタルトだ。

「この間の・・・」

そう言われた瞬間その"この間"の記憶が蘇る。

開けた扉、その奥で縺れ合うオーナーとこいつと、ひっくり返って哀れ床に潰れた俺の汗と努力の結晶。

それを思い出して、客の前にも関わらず眉根をしかめてしまったこちらの顔を見たその男は、唇の両端をきゅっと上げた。

「そんな顔で見んなって」

ポンポンと、テーブルの反対側を掌で叩いて俺に向かいの席へ座る様に促す。
なんなのかと、思わず皺を寄せてしまった眉間をそのままに店内をぐるりと見渡した。
平日のラストーダーの店内には、大抵この男以外の客は居ない。
失礼しますと小さく呟いて腰を下ろした。
俺が座るのと同時に男が口を開く。

「このケーキ、なんてーの?」

「・・・タルトレット・オ・フィグ、です」

「ふーん・・・」

「・・・・・・」

そのまま無言でタルトを眺めるだけの男とこの微妙な状況に居心地が悪くなる。

「この間から気になってたんだよね、美味そうだったのにもったいねーなって、あんたが床に落としてったの」

「ああ・・・」

ああって、なんだそれ俺。
そうは思っても相応しい返答が見つからないから唸るしかない。
あの時ひっくり返したトレーにはまさにこのケーキが乗っていて、放置して去った俺の代わりに片付けてくれたのか悪ぃな、とでも言やいいのか、・・・言えるわけねぇだろ。
この男が何を言いたいのか、なんで自分は今大人しくこんな所に座っているのか、考えれば考えるだけ眉間に寄る皺が一筋増える。

「だからそんな顔で見るなって、気にしてんでしょ?この前のこと」

何も言わないこちらに、相変わらず男はカラリとした声で無表情のままだ。
店の奥にいるであろうオーナーを気にする隙も与えられず、淡々としたそのペースに引きずられる。

「・・・オーナーが妻子持ちなのは」

「知ってる、しかも娘二人いるし」

「じゃあ」

「なんでってただの遊びだよ、アッチもコッチもそのつもりなんだし」

「・・・そんなのどっちにしたってバレたらマズイ事になるだろ?」

「バレなきゃいいじゃん」

口籠もることもないまま、間断無く返される。

「男同士ってトコには突っ込まないんだ」

「別に・・・、偏見は持ってない」

「ふーん、・・・でもそっちはノンケだろ?」

"ノンケ"
言われたその言葉の意味を瞬時には飲み込めず、呆気に取られて口が開いてしまった。
一拍遅れてそうだと答えようとした俺を遮って、男がケラケラと笑った。

「あれ、オニイサンももしかしてソッチ?」

「んなわけねぇだろ!!」

思わず噛みつく。
完全にこの男のペースに飲まれて敬語と配慮をどこかへ放り投げた状態だ。
客だとか店だとか途中からもうどうでも良くなってしまった俺は、それから少し話を聞いた。
纏っている雰囲気よりも思いの外良く話をする男だ。

こいつがオーナーと今の関係を持つ様になったのは、所謂同類が集まる小さなバーで声を掛けられたのがきっかけらしい。
それを聞いた俺の脳裏に、思わずオーナーの奥さんと子供の顔がチラついてしまって、気取られないようにそれを掻き消した。
二人の間に提示されている条件はたったの二つ。
お互い必要以上の連絡は取らないと言う事。
会うのは週二回、水曜と土曜の夜に決められている事。
後のルールは暗黙の了解、大人の事情ですと奴は笑った。
どうにも返答に詰まっている俺の"なんでいつも日替わりとアイスティーをオーダーするのか"なんていうズレた質問に、男はこれがお互いの必要最低限の連絡手段なのだと言う。
毎週水曜と土曜のラストオーダー、決まって注文するアイスティーのコースターが白か黒か。
オーナーのセットするコースターが白い日は会える、黒い日は会わないのだそうだ。
つまり、毎週訪れるこの男に主導権は与えられていない。

今日のコースターは黒かった。

「と言うわけで、いただきます」

一通り喋り終えたのか、一言そう締めた男がタルトに視線を移す。

「・・・コレ手で食べてもいい?」

「あ?ああ・・・」

俺の了承を得た男は、フォークを皿に戻して手でタルトを持ち上げた。
一口豪快に頬張る。
口の端に付いたクリームも器用に舐め取って、気持ちの良い程あっという間に平らげた。
食べている最中は随分と幼い面をするもんだ。
飲み干したアイスティーのグラスを黒いコースターに戻して立ち上がった。

「ごちそうさん、美味かった」

それだけ告げて、当然だがオーナーには声を掛けることも無く店を後にした。




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