数時間して隊舎へ戻って来た二人を、隊士達は内心そわそわとしつつも平常通りに執務を熟しながら出迎えた。
拳西に運ばれて行った時には紙の様に白かった修兵の顔へ幾分か血色が戻っているのを見て、一同がホッと胸を撫で下ろす。

「副隊長、お加減は…?」

隊士の一人が周囲を代表するようにして修兵へ尋ねる。

「大丈夫だ、心配ない。済まなかったな、穴開けちまって」

張りの戻った声を聞いて安心した様に頷きながら、不在の間に何も問題は起らなかった旨を伝えた。
修兵は未だ申し訳無さそうな様子で、暫く奥に居るから何かあったら呼んでくれと告げると、私室へ足を向ける。
拳西もその背を追いながら手にしていた薬袋を隊士の一人に手渡し、"これを後で頼む"そう伝えて修兵と共に副官室へ入って行った。





「修兵、」

もう暫く休めと、後ろ手に扉を締めながらそう言おうとした拳西の言葉も終わらぬ内に目の前の身体がふらりと傾ぐ。
それを予想していたかの様にがっしりと腰を支えた拳西が、呆れた顔で凭れ掛かる修兵を見下ろした。

「…っ?」

「言わんこっちゃねぇ、何が"心配ない"だ」

力の入らぬままずるずると体勢を崩しそうになる修兵を引き摺って奥の座敷へ上がり、膝を貸してやりながらその体を横たえた。
胡坐になった拳西の膝に頭を置いて仰向けになりながら、修兵はぐるぐると回る天井を視界から閉ざす様に両手で顔を覆って呻く。

「ぅ…まだ目…回って気持ちわる…」

「そりゃそうだろうよ、貧血と寝不足だ」

それを咎める様に、拳西は修兵の手を外させて晒された額へベシッと軽いデコぴんを一発お見舞いした。

「痛ァッ!」

「手加減してんぞ」

大袈裟に痛がる修兵にそれ位の気力があれば大丈夫だと片眉を上げて呆れた声を出した拳西は、ふとその雰囲気を潜め至極真剣な顔で修兵を見下ろす。
その顔はやはりどこか怒っている様にも見えて、修兵は診察室で見せた時と同じ様な途方に暮れた顔で肩を竦ませてそれを見上げた。

「なぁ、俺がここに来たばかりの頃、お前になんて言ったか覚えてるか」


―お前はこれからもっと俺にも隊士達にも頼って甘えろ。お前は今でも十分と思ってるのかも知れねぇが、それじゃあ駄目だ。それに、俺がそうされてぇんだ、分かったな?―


修兵の耳の奥へあの時の拳西の言葉が反芻される。
百年以上も待ち続けて漸く叶った現実に、泣きながらその広い胸へ縋り付いたあの晩に聞いた拳西の声を忘れる筈も無い。
修兵はあの時と同じ様な表情を浮かべる拳西の顔を見上げながら、こくりと一つ頷いた。

「すみません…」

「…まったくだ」

そう修兵を窘めてはいるものの、拳西自身も未然に事態を防げなかった自分自身に憤りを感じていた。
確かに新たな体制が整うまでは慌ただしく、長年のブランクがあるが故にずっと現職に就いていた副官にあらゆる面で頼らなければならない部分があった事も否めない。
だが、それでも忙殺されるがまま上司としても恋人としても修兵の不調を見抜けなかった己が情けない。
そんな拳西の考えている事など修兵にとってはお見通しで、謝罪と弁解の意味を込めて手を伸ばし、眉間に皺を寄せている拳西の頬へするりと掌を這わせた。

「悪いのは体調管理の出来ていなかった俺ですから…。拳西さんとこうして一緒に仕事が出来るのが嬉しくてつい…」

今後は気を付けるからと続けた修兵の言葉に、今度は拳西が片手で顔を覆いながら天井を仰いだ。

「お前なぁ…っ」

この状況でそんな可愛らしい事を言われてしまえばこれ以上怒るに怒れないだろうと、拳西は意味を成さない唸り声を上げる。

「あぁーくそ…修、分かったからもうちょっと寝とけ」

そう言って、拳西は修兵から己の顔を隠す様にしてその瞼を掌で覆いながら髪を撫でた。

「でも…もう戻らないと、また…」

何かをもごもごと言い終える前に、拳西の体温の心地良さと疲れも相俟って修兵はストンと落ちる様に静かな寝息を立て始める。
子供の様な寝付き方をした修兵に少しの懐かしさを覚えて、拳西は穏やかな表情で身を屈めて晒されている額に小さく口付けを落とした。

「おやすみ」

そう囁いて顔を上げたのと同時、コンコンと控えめに扉をノックする音が聞こえて入る様に声を掛ける。

「失礼します」

静かに開いた扉の向こうから、女性隊士が薬湯を淹れた湯呑みを盆に乗せて姿を見せた。

「隊長、お持ちしました」

「悪いな、助かる。そこへ置いておいてくれ」

「はい」

部屋の窓際に配置されている執務机の上へ盆を置きながら、チラリと見えた修兵の姿を目に留めて思わず"あっ"と声を上げそうになるのを堪えた。
拳西の膝へ身を預け、昼の陽光を浴びながら気持ち良さそうな寝息を立てて眠っている修兵のその髪を、自然な仕草で大きな掌が撫でている。
その穏やかな光景に目が離せなくなってしまって、身動き出来ないまま"ここに居たらお邪魔だろう"だとか"何か肌掛けをお持ちした方が…"だとか、そんな事を思いながらもやはり意思に反してその足は固まったままだ。
その視線から女性隊士の心中を汲み取ったのか、目だけで柔らかく頷いて己の隊長羽織を修兵の肩へ掛けてやる。
無意識にむずがる修兵の目元を宥める様に擦って、拳西はその指先を"シーッ"と唇の前で立てて隊士に示した。
その慈しみに満ちた優しげな表情に隊士の顔がカァッと赤面し、弾かれた様にぺこりと頭を下げると、音を立てない様に、だけれど何かを必死に抑え込んでいるかの様な急き立った様子で部屋を後にして行った。


パタンと扉を閉めた瞬間、真っ赤に茹った顔を両手で覆いながらじたばたと地団太を踏みたい気持ちなのをぐっと堪える。
幸い他の隊士達は皆昼の休憩に出払ってしまっていて、そんな自分の行動を不審に思う者は居ないようだ。
誰かに今見たばかりの光景を話したい、そうしなければこの胸の内へ弾けんばかりに膨らんだ何かをやり過ごせない、だけれど誰にも報告せず自分の中だけにこっそりと仕舞って独り占めしてしまいたい。
小さな葛藤がぐるぐると胸に渦巻いて、だけれど先の修兵と拳西の表情が再び脳裏に浮かんで、やはりあの二人の為にも自分だけの秘密にしておこうと駆け出したくなる思いでその場を立ち去った。

甘苦い幸福感が溢れて来て叫び出したい気分だった。
この気分のお裾分けと言う名の捌け口になって貰う事ぐらいは許されるだろうか。
未だに頬を染める朱を散らせないまま、晴れやかな表情で今晩の召集をかけに隊士達の元へ走り出した。



― 終 ―


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