喉の奥深くから突き上げる様な震えが唇に走った。
浅ましい嗜欲に喘ぎながら、正気であり続ける為のその行為に不明瞭で脆い夢を見続けている。
人の内に潜む数多の欲望の中でも表立っているこの咀嚼嚥下は、それを満たす事と性的な欲求を満たす感覚は相等する様に思う。
それらはそれ程淫靡な行為に値するのだ。
舌で探り口に含み噛み砕きこの体の隅々まで隙間無く一杯に取り込めればいいと望みながら、食道を落ち伝っていく歪げた音を体の内側から聞ている。
精神的充足のそれとは正に同一で、欲する儘に求め続けた成れの果てだ。
今日も今日とて繰り返す、きっと彼はまたここへやって来るのだろう。
陰鬱な艶を低く含みながら名を呼び憤る声。
白く煤けてしまった部屋の壁は、窓に揺れる鮮やかなカーテンから漏れ射す明かりに赤く染まっていくばかりで、掌を染め、すっかりと肉の削げ落ちてしまった腕までをも染めていく。
まるで自分が骨を透かした熱帯魚の様にも見える錯覚を起こす。
それとも腹を空かして蹲る醜悪な餓鬼にでも見えるのだろうか。
「お願いだ・・・修・・」
お願いだから
縋る様な嘆願の声は鼓膜を魅了して、足りない足りないと繰り返しいつまでも欲してしまう。
いつまでもいつまででもしきりに貪り喰らっていたいと耳を澄まして擦り切れかけている神経を張り巡らせた。
人は魂ごと摂取しているのだ。
欲を満たすものの生を断つ事即ちそれは命を喰らっている。
生も性も紙一重なのだろう。
対象への貪欲さも同等なのだろうか。
目の前に並べられ突き付けられた命の塊。
欲を誘引する筈だった赤色や混色は、何故かとても無機質で軽薄に見えた。
「食えよ・・・・」
引き寄せて揺さ振った肩の細さに背筋が寒くなる。
もう元の感触など知るものか。
早く戻れ、早く、早く。
「・・・もう何日目だと思っ・・・なんでだよっ!」
語気が荒れてしまう、責めるつもりなどは無いのに。
もうずっと口唇の僅かな震えが止まらない、俺は泣いているのだろうか。
恐ろしいのだ。
今の状態をコイツ自身が解っていないなどと言う事は有り得ないのだ。
だからどうか、早く、早く。
「食えよ、なぁ、修兵!」
「だからいらない・・・・・・欲しくな・・・っ!?」
どんな方法でも摂らせなければ、異常なのだ。
なんでも良かった、目の前の物を鷲掴みにして口に含み両頬を捕らえて乾いた口唇に噛み付く。
掌に感じる尖った頬骨はまるで吸い付く様だった。
泣き出してしまいそうだった。
舌で押し込める。
抵抗する力は無い。
ク チ ャ リ
移し与える音が響く
刹那
「・・・・・・っう゛・・・・ぐぅ・・・ぇ・・・・・!!」
嘔吐
何時まで何処まで繰り返す
生きている限り咀嚼嚥下をすると言う行為は呼吸と同等にして続いて行く、そしてセイと充足を得ている。
貴方に向けてか自分に向けてのものなのか、何れにしろ恐らくもう既に一通りの言い訳はし尽くしてしまったように思われて仕方がないんです。
ただひたすら、今は欲しいままに耽るんです。
形すら違えど欲望と言うものは誰しも同じだけ持ち合わせているのだから。
それを体現してこそ人であり。
もしも忘れてしまったならば奪われてしまったならば、忽ち生きてはゆけないでしょう。
だからこそこうして喰らいたいと思うんです。
心の底から欲するものを、こうして喰らっているのです。
「なんで!・・・修・・・しゅうへい・・・っ・・・・」
修
しゅう
修兵
なんで何でと繰り返し名を呼ぶ声に飢えた鼓膜が震えて必死にその音を声を貼り付けようと縋り付く。
彼の唇から滑り落ちる声には、名前にも快楽が潜んでいるのだと言う事を実感させられるんです。
赤く染まりながら揺らめく部屋の中でたった一人の為だけに注がれた視線に骨の髄までもが疼いている。
少し伸びた前髪に遮られた彼の強い双眸に酷く魅かれた。
臓の裂けるまで喰らうのです。
必要なんです。欲しいんです。
いっそ貴方の目ごと声ごと体全体に取り込んで甘い安寧の中で生きていたいのです。
無駄な摂取など意味が無い。
欲しいものは、唯一つ。
「修兵、なぁ少しでも・・・頼むっ・・・・・・・・しゅう?」
ただもっと名前を呼んで欲しいだけだったんです。
「・・ぅ・・・っ・・・苦・・しっ・・・苦・・・いやだ・・・・いらない・・・・・違う・・・違う、欲しい・・・欲し・・・・・」
「何・・・なに・・を・・・」
「・・・・・・足りな・・・だ・・・」
阿近さん阿近さん阿近さん阿近さん阿近さん阿近さん阿近さん阿近さん阿近さん阿近さん阿近さんあこんさんあこんさん…
けんせえ、さん…?
『いい名前じゃねぇか』
『生きてんだ嬉しいだろ、笑え』
『ずっと一緒だ』
『修兵』
どうせ、みんなおれをおいていく
「は、あっはは…!」
「修・・・?」
助けなければ、早く、早く、助けて・・・どうして何処で・・・・・・・・
求めよ、人の夢として儚いもの、偽り無い欲求を露に。
全て混濁し霞んでしまう事を恐れる度に、求める儘に。
愚かな臓物 腐ってしまえ
バランスを欠いた欲望は何れ狂気と成り衰弱していく。
それに呑まれた醜悪な餓鬼をずるりずるりと引き摺りながら。
嗚呼、一体何処で、間違えたんだろう。
苦しい 苦しい 足りないんだ
咀嚼しているのです。
貴方の視線を、名を呼ぶ声を。
溺れているのです。
浮袋の潰えた、熱帯魚の様に。
END