カーテンの隙間から漏れる柔らかな朝陽が頬に射して、やんわりとした暖かさを感じる。
眩しい、けど気持ち良い。
頬に当たる心地良さに負けて、修兵は起こしかけた頭を再びぽすりと枕へ埋めた。

(そろそろ起きないと…)

起きて、着替えて、顔洗って、朝食はどうしようか…そこまでぼんやりと思考を巡らせた所で、薄らと開いた瞼の先の景色がいつも目にするものとは違う事に気が付いた。
いつもの硬い畳の上ではない全身を包む柔らかなベッドの感触、物の少ないシンプルな部屋をぐるりと見渡してほっと一つ呼吸をすれば素肌に当たるシーツから香る妙に落ち着く匂い、この部屋を包んでいる穏やかな空気。
重たい体を動かしてもぞりと寝返りを打ってもこの部屋の主はベッドの中に見当たらなかったけれど、そう言えば昨夜は…そう記憶を辿り始めた所で扉の向こうから破壊音と共に威勢の良い大声が届く。

『おいオメェら!!大人しくしねぇと飯食わせねぇぞ!!』

朝から地響きの様に轟く拳西の怒鳴り声に一瞬ビクッと肩を揺らせたものの、修兵はすぐにクッと喉の奥で小さく笑った。
拳西の怒鳴り声を追う様にして平子とひよ里がぎゃあぎゃあと何かを喚いている声が届く。
大方おかずの取り合いでもして拳西の雷が落ちたのだろう、漏れなく両成敗を食らわせているであろう拳西の剣幕を思い浮かべて再び笑いが漏れた。
扉の外から聞こえるにぎやかな生活音(と言うには些か激しいけれど)とこの部屋に流れるまったりとした空気のギャップが妙に心地良くて落ち着く。
修兵は未だ覚醒し切らない頭でうつらうつらしながらその音に耳を澄ませた。
卵焼きがどうのパンが焦げただの、行儀が悪いと嗜める者もいれば穏やかな笑い声を上げている者もいる。
こんなにゆったりとした穏やかな朝を迎えるのは久し振りかも知れない、そうぼんやり思いながらベッドの中で猫の様に身じろいだ修兵の耳へ再び拳西の声が届いた。

『ちっとは静かに食え!修兵が起きちまうだろうが』

そんな拳西の言葉に次いでなんやかんやと囃し立てる声が重なる。
複数重なる声のせいで彼らが何を言っているのかまでは聞き取れないが、拳西の一言で昨晩の記憶が寝起きの脳内にまざまざと蘇り、修兵はぼんっと顔を真っ赤に染めながら固まった。
いっその事泥酔でもして全て記憶が吹っ飛んでしまっていればまだマシだったと思うのだけれど、一気に覚醒した頭の中へ勝手に流れ込んで来るそれらは鮮明過ぎて恥ずかしいどころではない。
いつもならば隊士達の目やら副隊長である面目の手前正体を失くす程の酔い方は決してしないのだけれど、これだから彼らの前での酒はいけない。
昨日は念願の非番を貰って、拳西達の元を訪れて祝われて、大好きな人達に囲まれて年に一度のそれが凄く幸せで、気が緩んでお酒も進んで…。
どういう流れか詳細は覚えていないけれど、彼らの面前で拳西の膝の上に乗り上げてあの逞しい首にしがみ付いていた己を、時間を巻き戻して無かった事にしてしまいたい位には後悔している。
そのままぐずぐずと絡み酒になってしまった自分を抱え上げて、非難の声にも構わず主役を連れ出した拳西は自室へさっさと篭ってしまった。
暫く不満の声を上げて騒いでいたけれど、それもいつの間にか宴会が再開されたそれに切り替わっていたのを薄ぼんやりと覚えている。
それからしがみついて離れない修兵諸共ベッドへ沈み、微かなアルコールの香りと甘ったるい空気の中宥める様にして愛撫を施されてそこからはなし崩しだ。


―拳西さん、もっと、ねぇ早く
 いや、それ駄目、気持ちい
 かわいい、こわい、ちょうだい
 足りない、いっぱい、ゆるして
 欲しい、もうやだ、沢山触って
 拳西さん、好き、けんせぇさん
 もっと、くっついて、お願い

 ねぇ、拳西さん、帰りたくない…―


二人分の甘い呼気の狭間を埋める様にして己の口から漏れ出た数々の睦言を思い返してしまって、修兵は頭を抱えながらシーツの中でぎゅっと小さく丸まった。

(何回”好き”って言ったんだよ…俺…)

それは半ば叫ぶ様に祈る様に汗ばんだ拳西の広い背中にしがみ付きながら、それ以上の言葉を雨の様に降らせて応えてくれる拳西の甘い声がより一層修兵のそれを煽って相乗効果を生んでいた。
愛されれば愛されるだけ体の奥の奥からとろとろと零れ続ける睦言を止める術も無く、ただひたすらに甘え続けた挙句情火の中で意識を手放したあの幸福な浮遊感。
最後に漏れてしまった言葉には、今頃己の居ない穴を埋めてくれている隊士達に対して酷く罪悪感を覚えてしまった。
けれど、本音であって本音で無い様な、昨晩は矛盾ばかりがこの口から零れ出ていた様に思う。
つい数時間前の事なのだけれど、朝に思い出すにはやけに生々しく羞恥が修兵を襲ってこれ以上ない位に顔へ熱が集まってしまってどうしたらいいか分からない。
それに、こんな状態で拳西が部屋へ入って来てしまったら、こんな顔と羞恥心を上手く隠せる自信は皆無だ。
一人で勝手に思い出して勝手に逸る鼓動をどうにか落ち着かせて自分も起き上らなければと思うのだが、それにはもう暫く時間が掛かってしまいそうだった。
修兵は丸めていた体をごろりと仰向けると、両手を顔の前で組んではぁっと長い溜息を吐く。
そんなタイミングを計っていたかの様に、小さなノック音の後部屋の扉が控えめに開けられた。
驚いて声を上げそうになるのを必死に堪えて、隠れる様にして咄嗟にシーツにくるまって扉に背を向ける。

「修兵…?」

朝から説教をされていた面々をどやしていた声とは正反対の穏やかな拳西の声が名を読んで、修兵はきゅっと目を瞑った。
カタリと何かが置かれる音と同時にベッドの片側が沈み、拳西がすぐ後ろへ腰掛けた事が分かる。
サイドテーブルに置かれたと思われるそれは恐らく拳西が朝食を運んで来てくれたのだろう。
鼻腔を擽る良い香りに拳西お手製のオムレツだと気付いた途端空腹感を覚えたけれど、今この顔を上げるわけには行かない、修兵は頑なにシーツの中へ隠れ続けた。

「コラ修、起きてんだろ、飯食うか?」

そう言って、拳西はシーツから飛び出ている黒髪をサラサラと掻き回す。

(やっぱりバレてる…)

己の下手くそな狸寝入りが拳西に通用した事など過去一度としてないにも関わらず、そうでもしていなければ居た堪れない。
拳西は少し寝癖の付いている髪を梳きながら、こんもりと盛り上がっているシーツの塊を眺めて暫し考える。
そうして身を屈め隠されている耳元へ唇を寄せると、修兵が弱いと分かっているとびきりの声で一言ぼそりと呟いた。

「甘え足りたか?修兵…」

途端、がばりと、弾かれた様に身を起こした修兵の顔を見て拳西がぶっと吹き出す。
シーツで身を隠す様にしてずささっと後退り、ビタッと壁に背を付けた修兵は、口元に手を当ててこれ以上ない程の赤い顔をしていた。
目を見開いて拳西へあわあわと視線を寄越しながら口元を歪めて狼狽えている修兵の様子はなんとも言えず、

(可愛いな…)

拳西はなかなか収まらない笑いを喉の奥でクッと噛み殺した。
これ以上笑っていては流石に修兵の機嫌を損ねてしまいそうだ、このままからかっていたい気持ちもあるけれどその辺りは心得ているつもりだ。

「うぅ…っ忘れて下さい…」

そんな拳西の視線から顔を隠す様にして膝の間へ埋めた修兵が、蚊の鳴く様な声を発する。
あれを忘れろだなどと、強かに酔っていた修兵よりも拳西の方がもっと鮮明に昨晩の光景を覚えているのだから、そんな勿体の無い事を出来る筈がない。

「忘れるわけねぇだろう、あんだけ一晩中もっともっと言っ」

「うわぁぁっ!拳西さんいじわるだ…!!」

再びシーツを引き上げて白い塊になってしまった修兵に、拳西はふっと一つ苦笑を零すと、そっとその塊に手を伸ばした。

「ほら、顔見せろ」

そう言ってばさりと無遠慮にシーツを剥がせば、未だ赤い顔でじっとりと睨め付けて来る修兵と目が合う。

「からかって悪かった、機嫌治せ。んで飯食って出掛けるぞ、買い物行くっつったろ」

欲しいモンなんでも選べ、そう言う拳西に、修兵の胸の内で落ち着かせようとしていたものが再びぶわりと溢れ出す。
ああまずい、これは昨夜と同じだ、触れたい、恥ずかしい、でも…。

(今更だ…恥はかき捨て…!)

どこか使い道が違う様な気がしないでもないけれど、修兵は衝動の赴くまま拳西へと手を伸ばしその腕をぐっと強く引く。

「うおっ!?」

油断をしていた拳西をベッドへ引き込んで、引かれるままベッドヘッドに背を凭れた拳西に正面から抱き着いた。
そのまま両腕を背に回してぐりぐりと胸元に額を擦り付けながら、拳西の匂いを吸い込んでほっと息を吐く。
そんな修兵の頭を拳西は剥がすでもなくぽんぽんと撫でた。

「なんだ、まだ甘え足りねぇのか?」

ん?と問う拳西に無言で応えて、修兵はするりと拳西のタンクトップの中へ手を滑り込ませて背中を辿り始めた。
何故だか今は無性に拳西に触りたい、昨日はあれだけたくさん触れて欲しいと思っていたのに、今は触れたくて仕方がないのだ。
朝食の良い匂いと湯上りの匂いが拳西の匂いに混ざり合って酷く甘い。
思えば自分の体もサラリとしていて、あの後丁寧に清めてくれたのだと思うときゅんと胸の奥がくすぐったく疼いた。
綺麗に並ぶ背骨を上から一つ一つ辿って、サラサラとした素肌の感触を楽しみながら引き締まった脇腹をなぞる。
己の服の中で蠢く修兵の手を楽しげに眺めながら好きなようにさせてくれているのに甘えて、そのまま掌を這わせた。
時折くすぐったそうに上下する腹筋が色っぽいと思いながら、いつも羨ましく思う程逞しい胸板へ両手を当てる。
ほんの僅かに早くなっているかも知れない拳西の心音を直に感じながら、修兵はうっとりと、だけれど何処か切なげに拳西へ触れ続けた。
明日自分があちらへ戻ってしまえば、次またいつ会えるかは分からないのだ。
幾つか現世への派遣は入っているし、いつかまた非番を取れれば良いのだけれど、会える確証など何処にもない。
こうして再び触れ合えている事すら奇跡の様なものなのに、いつかまた突然ぱたりと会う事が出来なくなってしまうのではないか、だからこそこうして二人で居られる間は沢山触れたいし触れていて欲しいと思うのだ。
嬉々として己の肌へ触れていた修兵の眉尻が僅かに下がったのを見逃さず、拳西がその目元をきゅっと親指の腹でなぞった。
自分の考えている事など見透かされているのだろうな、と思うのだけれど、それを隠す様にして修兵はそっと拳西の指先を外す。
そのまますっと身を屈めたと思えばもぞもぞと拳西のタンクトップへ潜り込み、大きく開いている襟ぐりからすぽんと頭を出した。
密着してほんの数センチも無く迫った拳西の唇へ、リップ音も軽やかにちゅっと一つ口付けを落とす。
何事かと修兵の行動を見ていた拳西の口元が緩み、呆れた様にふっと小さく笑われた。

「ガキかお前は、伸びちまっただろうが」

そう咎める声は優しくて、向い合せの二人羽織の様な滑稽な自分達の状態に修兵もふっと吹き出した。

「ねぇ拳西さん、俺選びました」

―欲しい物。
そう続ける修兵に何かと問えば、ほんの一瞬視線を彷徨わせた後じっと見上げて来る双眸。

「今日一日ずっと、拳西さんに触ってたい」

(………あ…れ…?)

自分を見下ろしたまま瞬きもせずに固まる拳西の反応に、何かまずい事でも言ってしまったかと首を傾げる。
だけれど、みるみる内に赤く染まる耳朶と逸らされた視線、口元を掌で覆う拳西の仕草に、修兵はそんな様子を見ながら笑みを濃くした。

「あの…もしかして、拳西さん照れてる?」

「うるせぇ、さっさと飯食え!そしたら好きなだけ触らせてやっから!」

ぶっきら棒に告げられてぐいぐいと拳西の服の中から追い出されてしまう。
それでもなお拳西の顔を覗き込もうとする修兵を今度は拳西の腕が捉えて、不意打ちで額へ落とされる柔らかな唇の感触。

「修兵、おめでとう」

耳元で囁かれた特別甘い低音に完全に返り討ちに遭った修兵は、上気しきった顔を誤魔化す様にして大人しく朝食へと手を伸ばした。





















「あぁー…帰したくねぇな…」


背後から拳西に抱えられながらベッドの上で食後のコーヒーを楽しんでいた修兵の肩がぴくりと揺れる。

寝具の上で飲食だなどと行儀が悪い事この上ないけれど、今日だけは特別だ。

修兵の肩へ顎を乗せたまま呟かれた拳西の台詞に、修兵はマグカップを握り締めながら戸惑った。
拳西も己と同じなのだと思うと素直に嬉しいと思うのだけれど、自分はそれを口に出してはいけない様な気がしていつも言えぬまま離れてしまう。
”帰りたくない”と、本当にそうしてしまえたらと何度も思ったけれど、それでは駄目なのだ。

「…また、すぐ会いに来ます」

「あぁ、そうだな……なぁ修兵」

暫くの沈黙の後、至極真剣な声音で己の名を読んだ拳西の言葉に何事かと耳を傾ける。

「本当は誕生日に間に合わせてちゃんと贈りたいモンがあったんだが、すまねぇ、もうちょっとばかり時間が掛かりそうだ」

「…なんですか?」

「待っててくれるか?」

特別それが何かを告げない拳西に、なんとなく今訊ねてはいけない気がして、修兵は不思議に思いながらも一つ小さく頷いた。

「はい、待ってますね」

「おう」

何処か晴れやかな笑みを浮かべる拳西の顔を見上げながら、修兵もつられて穏やかな笑みを零した。















そうして、胸の中に焦がれ続けた白い羽織を纏う愛しい人の姿を目に留めて修兵が涙を流すのは、ほんの数週間後の話。













― 終 ―




Happy Birthday SYUHEI !!





 この酒を 止めちゃ嫌だよ
  酔わせておくれ
   まさか素面じゃ言いにくい



都々逸お題:fisika