緩やかに隆起して爆ぜた赤と乳白色の果肉は、破れた細胞膜から溢れ出る糖密の粘液で艶を帯び、宵の陽を反射して濡れ光っている。
重さを失い、反動で上下に振れる節くれ立った枝の端々。
地に落下した柔らかな曲線を描く果実の肌は弾け、裂けた実の中に、一匹のハナムグリが埋もれている。
赤い実の中で藻掻きながら、密を啜り上げ、貪る様にして熟れて崩れた果肉に食らい付いている。
深い虫襖色に蠢く背の甲冑は朱を交えた密に塗され、反射したそれは視覚的な粘性をより一層増していた。








部屋の隅でマッチを弾く音がして、途端視界に橙色の灯が刺さる。

「目ぇ悪くなんぞ」

淡いブラウン管の光が行灯の明かりに紛れ、急な網膜の収縮でまだ明るさに慣れない目を擦りながら、革張りの長椅子に凭れていた体を起こした。
先程と変わらぬ同じ画面でも、それ自体の明かりだけで観るのとでは大分印象が違ってしまうものだ。
コントラストの強かった映像が周囲の光に紛れ、暗闇特有の存在感を消してしまう。

がたがたと音のする方へ視線を寄越せば、阿近が締め切っていた雨戸を何枚か開けて回っていた。
月明かりが部屋へ漏れ差し、益々ブラウン管の光からその存在感を奪っていく。
持ち帰っていた実験の続きとやらが一段落したのだろうか、白衣を脱いだ死覇装姿で口に長煙管をくわえていた。
几帳面に雨戸を開けて空気を入れ換えて行くその様を、普段とはなんだか立場が逆だなどと思いながら、修兵は見るともなくただぼんやりと眺めていた。

「眠れねぇのか」

「・・・いや」

口に煙管をくわえたまま神経質そうに眼鏡を外し、凝り固まった眉間を揉み解しながら阿近が歩み寄ってくる。
同じ様な質問を返せば、休もうとした所でこちらの気配が気になったのだと言う。
修兵は少し申し訳ない気持ちを覚えながら、せめてお茶を淹れようと長椅子へ埋まっていた上体を持ち上げた。

「何か観てたのか?」

霊子を集束させた幻灯機器へ現世の電波を引き入れたそれを、修兵は阿近の自室へ訪れる度に物珍し気な面持ちで良く眺めていた。

「別に・・・俺、コイツあんまり好きじゃないんですけど、」

なんとなく、そう答えながら湯呑みを二人分座卓へ運び、既に阿近が座っているその横へ再び腰を下ろした。
傍らに据えられている煙草盆で手にしていた火種をカンッと叩く様にして落とすと、湯気の立つそれを修兵の手から受け取った。

昔から余り好きにはなれなかった。

節だらけの細い手脚を蠢かせて、本能のままに視界の隅で這い回る小さな生命体。
偶然点けた画面は、真夜中お決まりの[出力低減放送]と言うもののようで、所謂現世での様々な自然の風景が淡々と映し出されていた。
その中で、一際目を引いたもの。

「コレ、なんて言うんですか?」

時折しか掛ける事のない眼鏡を外した目を細めて、少し身を乗り出した阿近がそれに目を留める。
虫と果実のどちらの事かと聞かれた修兵が、画面の中心で動いているそれを指差した。

「ハナムグリ、字はそのまんまだ、花に潜る」

「へぇ」

現世の情報にもある程度精通している阿近へ質問をすれば、大概の事は知る事が出来る。
その度にその博識さには感嘆しているが、十二番隊のあの隊長の元で腕を鳴らし技局内でもその能力を買われているのだからそれは当然と言えば当然で、修兵は阿近から随分と様々な知識を与えられていた。

「お前、虫嫌いじゃねぇか」

言って意外そうな顔で未だ画面を見つめる修兵へ視線を向ける。

確かに、物心付いた頃から然程好んで触れようとはしなかった。
現世に比べれば、流魂街で見るそれらは圧倒的に種類が少ないのかも知れないが。
嫌いだか、好きではないとか、改めて問われると単なる嫌悪の類とは異なっている様な気がするのだ。
もしかしたらそれは、怖れに近い感覚なのかも知れない。




何度列を遮られても尚、地に羽を貼り付け絶えた蝶に群がる無数の黒い蟻や、周囲のもの全てを振り払い、阻むものを蹴散らして只ひたすらに樹液を啜る甲虫、交配を求め背に群がる複数の雄に僅かも構わず、花芯にしがみ付き一心に密を貪る一匹の雌、振り払われた雄達がぼろぼろと地面に叩き付けられては、弱々しい嫌な羽音を立てて無惨にも重なり息絶えていく。



もう百年以上も昔になってしまった幼少期に見たものの記憶が、今目に映る映像とリンクする。



枝から千切れ落下した柘榴から、離れる事なく尚もその身を潜り込ませる艶やかな花潜。



何事すらも顧みず身の内に棲む本能を満たそうとするこれ以上ない程貪欲な生き物達。
命を喰らうその貪欲さを初めて目の当たりにした時の、何かが背筋をぞっと這い上がる様な青白い感覚は、今でも根深く残り鮮明に記憶している。
それは初めて自らの刀を握った時のあの感覚に似ていた様に思う。
目を逸らし続けていた己の底の底へ眠る嗜虐心と対峙をした時の感覚と同等の何か。
今も時折右目を苛む、もう慣れてしまいつつある幻視痛のそれにも類似しているかも知れないと思った。


畏怖。


先と変わらぬ映像を眺めながら淡々と零して行く修兵の話を、阿近は頷きもせずただ黙って聞いていた。
お前らしいと、いつの間にか伸びて来た手が髪に差し入れられ耳の後ろを緩く撫でる。



花潜の持つ欲求は究極に純粋だと。
全ての不純物を殺ぎ落とした、
鋭利なまでの本能を、一寸も躊躇わず。
阻む何者をにもその目を向けず。



−同族嫌悪だ、−抑揚なく告げた阿近が、撫でていた修兵の後ろ髪をくっと強く引いた。

「似てんじゃねぇか。お前、俺をどんな目で見てるか知ってるか?」

何を言うかと思えば。

髪を掴んでいた手で後頭部を支えられ、乱暴な所作で以て視界を180度反転させられる。
左手を肩の横に付いた阿近が、修兵の頭を支えていた右手で頬のラインをぞろりと撫でる様に包み込んだ。
修兵はだらりと長椅子の脇に垂らしていた腕を伸ばす。
行灯の明かりに縁取られた掌が、微かに薄赤く透け濡れている錯覚を起こした。
阿近の角を指先で辿り、存外に柔らかい髪の間に指を滑り込ませてそのまま引き寄せる。
数秒重なる唇。
僅かに漏れた修兵の吐息に、阿近が酷く満足そうな顔でそれを見下ろしていた。

「ハッ、すげぇ、自惚れ」

そう呟いた修兵の口角が、ニヤリと吊り上がった。

「じゃあアンタの目は、柘榴みたいだ」

真上から見据えてくるその目尻を擦りながら己の持つ赤い石の様な瞳の色を例える修兵に、阿近は記号の様な何かを口にした。

「A3B2C3012」

意味を解せない記号の羅列に、阿近を見上げたまま修兵はきょとんと目を丸くした。

「柘榴石の一般式だ。Fe3Al2(SiO4)3、俺の色はこっちに近ぇだろうがな」

重力で垂れ下がる前髪を掻き上げ晒されたその双眸に、修兵の目が吸い寄せられる。
陽光の下では暗赤色を湛えているそれが、宵闇の中で濡れ月光と行灯の火を吸収して見事なまでの深赤色を呈していた。
その中心へ沈む様に己の姿が映し出されていて、修兵はぞくりとその背を震わせる。
全てを見透かされ取り込まれてしまいそうな、そんな深さを思わせる目だと思った。

「石の持つ意味は、−真実−だ」

阿近の目尻に当てていた指先に力が籠もる。
修兵は己の右目に疼きが走る感覚を覚えながら、それが常の痛みとは異なる事を妙に居心地悪く思った。
下腹部に走る覚えのある熱の様な、抗うには労力を要する性的な欲求に似ている。
ツクリモノの目の奥がざわついた。

「阿近さんの目、片方貰えば良かった」

「俺の作った偽物が不満か」

不敵に口の端を吊り上げながら皮肉めいた事を言う。
否定の意味を込めて修兵は緩く首を横へ振った。

「SiO4、Si2O6、SiO2。お前の義眼にも俺と同じ色を入れてある、俺の眼球の色素細胞から抽出した赤だ」

−それでも不満か−

見開いた右の眼球へ阿近の舌先がぬるりと滑り込んだ。



裂けて滴る柘榴から、離れる事なく尚もその身を潜り込ませ糖密に喘ぐ花潜。



食われているのはこちらの方だ。
修兵は漠然としたイメージを脳裏に描きながら、義眼を湿らされる感覚にうっとりと身を委ねていた。

「知ってるか、修兵」

何をと問い返す間も無く、立てた両膝の間へ阿近の右足が滑り込んできた。
強張った修兵の肩を押さえながら、ぐいと煽り立てる様に膝頭を押し付ける。

「柘榴は、子孫繁栄の象徴なんだとよ」

同性同士の行為を対象にするならば理に叶わぬその台詞を、究極のリアリストである目の前の男が口にする滑稽な様がいかにもらしい誘い文句だと、修兵は漏れそうになる笑いを吐息でやり過ごした。

「・・・っ、そんなん、無駄知識だ」

「そうでもねぇよ」

重なる重みに逆らわず、そのまま背が長椅子のスプリングに沈み込んだ。

視界の隅には、一匹の花潜が未だ無心に蠢いている。





少しずつ、それが自らの意思であるかの様に実が裂けていく。
枝から離れ朽ちても尚求められるままに密を溢れさせ、奥へ奥へと誘い込む。
対の脚で藻掻けば藻掻く程、喰らい付けば喰らい付く程に、溢れた密は花潜の小さな身体を覆い胎内奥深くへと飲み込んでいく。
蠢いては気管にまで密を満たし、喘ぐ様にその羽を上下させながら。

季節を違えた花潜を、九月の柘榴が裂けた口を開けて待っている。

その浅ましさに畏怖し、その交感の純粋さを羨望した。





-END-


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