「ゲホッ…う…ぁ…喉痛ぇ…」

肺の辺りをぎゅっと掴まれる様な息苦しさに目が覚める。
目覚めた途端断続的に出る咳に腫れている粘膜を一層焼かれる様な気がして喉元に手を押し当てた。
渇きでパリパリと粘膜同士が剥がれて行く様な不快感が纏わりついている。
薬のお陰で少しは熱が下がっているのだろうか、幸い先程まであった寒気は無くなっているようだ。
すぐ傍の水差しとスポーツドリンクの入っていたペットボトルはもう殆ど空になってしまっている。
”何かあったら呼べ”と言われているもののどうにも癪で、阿近はいつの間にか枕元に置かれていた携帯を一瞥して上半身を起こした。
チラリと見上げた壁掛けの時計が示している時刻は午前二時を過ぎようとしている。
流石にこの時間では二人とも寝ているかもしれない。

「水……、」

阿近はベッドサイドへ両足を下ろしてゆっくりと立ち上がり、熱のせいで軋む関節を叱咤してふらふらとキッチンへ足を向けた。

未だ熱があるせいか素足から伝わるフローリングの感触にぞくりと背筋が震える。
水分を求めて開けた冷蔵庫の扉がいつもよりも重く感じた。
開けた途端庫内から流れ出る冷気が頬を撫でて行く感覚が心地良い。
サイドポケットへ常備されているスポーツドリンクのキャップを捻る事すら億劫だが、些か力の入りにくい手でなんとか開けて中身を喉へと流し込む。
乾き切った粘膜が一気に潤わされていく気持ち良さにふっと力が抜けて、阿近は冷蔵庫の扉を開けたままずるりと膝を折ると、庫内へ両腕と頭を突っ込む様にしてへたり込んだ。
熱で火照った体をひんやりと覆う冷気に気が抜ける。

「あ゛ぁー…だりぃ…」












それから数分経っただろうか。

「…阿近さん?」

気配を消す様にして遠慮がちな足音がひたひたと家の中を探し歩いている。
真夜中、隣室から漏れ聞こえて来る物音に目を覚ました修兵は、それが苦しげな阿近の咳だと気付いて様子を見に部屋を出た。
阿近の寝室に足を向けるもそこに主の姿は無く、洗面所やリビング、果ては風呂場を探してみてもそれは同じだった。
ならば…と、キッチンへと足を向けた先で見つけた阿近の姿に修兵の目が見開かれる。

「阿近さん!」

扉を開け放したままの冷蔵庫の庫内に半ば上半身を突っ込みかけると言う奇妙な体勢で修兵に見つかった阿近は、名を呼ばれてもぴくりとも動かない。
それに焦りを覚えて駆け寄れば唸りながら僅かに身を捩ったので、なんとか意識がある事に安堵の息を吐いた。

「何してるんですか!?」

それにしてもこんな事をしていては悪化しかねないと、修兵は慌てて阿近の体をずるずる引っ張って床に座らせると、冷蔵庫の扉をぴったりと閉めた。
触れれば、熱の所為でぐっしょりと汗を吸った阿近のTシャツは案の定冷気のおかげですっかり冷え切ってしまっている。

「こんな事してたら余計熱上がるだろうが…っ」

「冷蔵庫が…」

「…冷蔵庫が?」

「冷てぇ…」

「当たり前だ!!」

(駄目だこの人…)

ぼんやりと当然の感想を述べる阿近に修兵は頭を抱えたくなる。
傍若無人で自信に満ちた強引で強気な常の様相とは一変している阿近の様子に、これは余程参っているのだろうと再び大きな溜息を吐いた。

「とにかく着替えないと…」

修兵は引き摺る様にして阿近を寝室へ運んでベッドへ座らせると、テキパキとタオルやら湯やら着替え一式を用意した。















「阿近さん、腕上げて」

修兵がそう言えば、しぶるでもなく言われるがまま両腕を上へ掲げる。
いつになく素直な阿近の様子が妙にしおらしくて、修兵は思わずふっと空気だけで笑ってしまった。

(なんか、阿近さんが可愛い…)

たくし上げた阿近のTシャツをすっぽりと首から抜いてしまうと、湯に浸けて硬く絞ったタオルで甲斐甲斐しくその背中や胸元の汗を拭い始めた。
暗がりの中で白い肌に薄らと浮かぶ汗が窓から漏れ入る明りに反射してキラキラと光っている。
薄闇に浮かび上がっているせいで強調されている胸板や肩甲骨のラインから、自然修兵は目が離せなくなってしまった。

(うっすいけど…案外筋肉付いてるんだよなぁ…)

情事の時には勢いに流されてしまって余裕を失ってしまっているせいもあるものの、改めてこう間近で阿近の裸を目にするのは何処となく気恥ずかしい気がしてしまう。
男同士でその上今更恥じらいも何もあるかとは思うのだけれど、一度意識してしまったものは逸らしようがない。
修兵は吸い寄せられる様に手を伸ばすと、汗の浮かぶ背中へぺたりと掌を押し当てて、綺麗に浮かび上がっている肩甲骨のラインをそろりとなぞった。

瞬間、

「え、うわぁっ!」

視界が反転して、どさりと言う音と共に背中をベッドへと沈められてしまう。
驚いて見上げれば熱に浮かされている様な顔で唇の端を吊り上げている阿近が修兵を組み敷いて見下ろしていた。

「なんだ…、誘ってやがんのか」

「は…?んなわけあるか!」

なんとか阿近の下から這い出ようとするものの、しっかりマウントされてしまって身動きし難い事この上ない。
病人の癖に随分と力が入るものだと思うが、己の手首を押さえつけている手はやはり相当に熱かった。

「ちょ…病人なんだから大人しくしててくださいよ!」

「熱がある時は汗かけって言うじゃねぇか」

ぎゃんぎゃんと真下から喚く修兵の言葉も気に留めず、阿近は首筋に顔を埋めてぺろりと鎖骨の辺りを舐め上げる。
自分よりも体温の低い修兵の素肌が気持ち良いのだろう、そのままそこへ頬を押し当てて、修兵のシャツの裾から掌を侵入させ始めた。

「待っ、阿近さんストップ!!」

「ついでだから一汗付き合え、修兵」

「ついでってなんだ!いいから服着て寝ろォォオォッ!!」



パチンッ



突然明るくなった視界に、二人同時に動きを止めて眩しそうに目を瞬かせた。
小気味良い音がした方を見遣れば、拳西が壁際のスイッチに手を掛けて呆れた様な視線をこちらへ寄越している。

「騒がしいと思ったら、何やってんだ」

「け…拳西さん…!」

修兵は咄嗟に拳西へ助けを求めた。
呼ばれた拳西はずかずかと二人の傍まで歩み寄り、修兵からべりりと阿近を引き剥がすとそのまま器用に新しいTシャツをずっぽりと被せて再びベッドへと押し込めてしまう。
その隙を縫って修兵は阿近のベッドからするりと抜け出した。

「ったく、大人しく寝てろっつったろうが」

「チッ、…説教ばっかしてっと老けるぞ」

「…拳骨が無かっただけありがたいと思え」

拳西の言葉にフンッと一つ鼻を鳴らすと、もぞもぞと毛布を引き寄せて拗ねた様に二人へ背を向けてしまう。

「「子供か…」」

全くもって手の掛かる大人に、二人して苦笑いを零しながら顔を見合わせた。














翌日。



「アイツならまだしも…なんでお前が真っ先に移ってんだよ」

前日の阿近と同様かそれ以上に顔を真っ赤にして掠れた息を荒く吐き出している修兵を見下ろして、なんとも予想外だとばかりに肩を竦めた。
あれから一晩ですっかり熱も下げて体力を回復させた阿近と入れ違える様にして、今度は修兵が高熱を出して寝込んでしまった。
症状はまさに阿近が苛まれていたものと全く同じものだ。

「う゛…知らない…」

「これじゃ仕返しも何もねぇじゃねぇか」

「なんだそれ…」

「こっちの話だ」

言いながら、阿近は手にしている林檎へするするとナイフの刃を滑らせて器用に何がしかの細工を施している。

「ほら、食え」

そう言って差し出されたフォークには、綺麗な兎型にナイフを入れられた林檎が刺さっていた。

「…阿近さん、家事能力ないくせに変な事出来るんですね…」

「うるせぇ、いいからさっさと食え」

「はい…(風邪ひいいててもひいてなくても偉そう…)」






― END ―




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