三人揃っての夕食も終えて、リビングで流す程度に点けられているテレビを眺めながらゆったりとした時間を過ごしている。
あの女優は余り好かないだのCMのアイスが食べたいだの他愛もない会話を取り留めもなく交わしながら、不意に阿近が空になったビールの缶を置いて修兵の膝へごろりとその頭を預ける様に横になった。
こんな体勢にすっかり慣れてしまっている修兵は、特に気に留めるでもなく至極自然にその髪やら額やらを撫でてやる。
そうしながら、ふと覚える違和感。
「あれ…なんか阿近さん…」
「あぁ…?」
呼ばれた当人は、テレビから視線を外さないままいつもよりも鈍い反応を返している。
再度、緩やかに撫でていた手付きを改めて確認する様に額へ押し当てた。
「え…なんだこれ、熱っ!!」
阿近の額から掌へ伝わる明らかな異常。
思えば、頭を乗せられている膝も心なしかいつもよりも高い体温を伝えていて、その尋常ならぬ熱さに修兵は思わず声を張り上げた。
「拳西さーん!!阿近さんが熱出したー!!」
当番制で食器の後片付けをしている拳西を呼ぶ。
頭上からキンキンと降る声に阿近の眉が顰められて、どうやら膝からの振動も手伝って頭に響くらしい。
「うるせぇな、でかい声出すな」
「阿近さん熱あんのになんで酒なんか飲んでんだっ」
阿近の非難にも構わず、修兵は目の前に置かれているすっかり空になってしまった缶をびしりと指差した。
「別になんともねぇよ、…アルコール消毒だ」
「いや言ってる事むちゃくちゃだから、あんたバカか」
「安心しろ、馬鹿は風邪ひかねぇ」
「自覚あるんじゃねぇかっ!!」
それから、なんだかんだととても対病人で言い争っているとは思えない言い合いを始めた二人に、拳西の小言と仲裁が入り阿近は強引に修兵の膝から引き剥がされベッドへと押し込められてしまった。
放っておけば治るだのこの歳で風邪如きだの暫くぶつぶつと文句を言っていたものの、拳西から強引に突っ込まれた体温計の数値を見て漸く病人の自覚を持ったらしい。
不思議なもので、自覚をした途端に全身に纏わりつく様な倦怠感に襲われる。
その上喉やら関節の痛みと頭痛に眩暈のオマケ付きだ。
口元まで引き上げられた毛布が煩わしかったが、もうベッドから身を起こす気力も残っていなかった。
あ゛ぁー…と唸りながら熱い息を吐いて、テキパキと修兵によって額へ乗せられた冷えたタオルへ片腕を当てる。
腫れぼったく重たい瞼を薄らと持ち上げたのと同時、寝室の扉が静かに開けられた。
「起きてたら薬飲め」
入って来るなり愛想も何もない拳西の物言いに、阿近の眉がぐぐっと顰められる。
「…あいつは?」
「修兵は入れねぇぞ、お前が完治するまでな。移るだろ」
「…チッ」
どうせ看病をされるのなら修兵の方が断然良いに決まっているのだが、尤もな拳西の台詞に大した反論も出来ず、阿近は不貞腐れた様に拳西へ背を向けて横向きに寝返りを打った。
「オイ、寝るならコレ飲んでからにしろ」
かたりと、ベッドの傍らに薬と水を乗せた盆を置いて拳西は腕組みしながら阿近を見下ろした。
そんな拳西の気配を察して、阿近は首だけで振り返りチラリと盆の上の物を確認してから再び背を向けてしまう。
「ほっとけ、寝てりゃその内治る」
「…まさか、薬飲みたくねぇなんて言うんじゃねぇだろうな」
―その歳で。
と、暗にそんな皮肉を込めて呆れた様な声音で出された拳西の台詞に、阿近の肩がぴくりと跳ねる。
図星か…、そう踏んだ拳西はわざとらしく盛大に溜息を吐くと、暫し考えた後目の前の錠剤を口に放り込みグラスの水をぐいと煽った。
そしてそのまま阿近の肩に手を掛けて、病人に対して少々乱暴かとも思いながら、がばりとその体を仰向ける。
「なん…!?」
急に体勢を変えられて非難の声を発しようとした阿近の口が塞がれる。
突然の事に目を見開けば目の前には拳西の顔のどアップで、何事かと気付いた時には固まっている阿近の喉へ冷たい水と共に小さな固形物が滑り落ちて行った。
噎せそうになって拳西の肩口を掴んで引き剥がそうとするも、そのまま悪戯をされる様に侵入して来た舌先で口蓋をぬるりとなぞられる。
「ふ…っ」
塞がれる苦しさに顔を背けようと視線をずらした先を見て、より一層阿近の目が見開かれた。
見れば、こちらの様子が気になったのか、修兵が開いていた扉の隙間からひょこりと顔を出してこちらを見ていた。
タイミングが良いか悪いか、拳西に口を塞がれている阿近とばっちり視線が合ってしまった修兵は、真っ赤な顔をして口元に手を当てている。
「っ!!」
ドンッと、阿近は一つ強く拳西の胸の辺りへ拳を叩き付けて扉の方を指差した。
それに漸く離れた拳西は、己の口元から一筋伝う水をぐいと指先で拭ってニヤリと口端を吊り上げる。
「まだ相当熱あんな」
「テメェ…分かっててやりやがったな…っ」
「さぁな」
「修兵!お前入室厳禁だろ!」
「あ…はは…」
ぜぇはぁと荒い息を吐きつつも病人ながらなかなかの剣幕で声を張り上げる阿近に、修兵は苦笑いをして誤魔化した。
「そんだけデケェ声が出りゃ充分だ。きっちり薬飲んで寝てさっさと治すんだな」
そう言って、未だ修兵がそこに居るにも関わらず、拳西はからかう様にして阿近の額へ一つ口付けを落とした。
「オイッ!!」
振り上げられた阿近の手を難無く避けて、拳西は修兵を伴ってそそくさと部屋から出て行ってしまった。
「拳西さん大胆…」
「なんだ、やきもちか?」
「え!いやそういうんじゃなくって!!」
閉められた扉の向こうから耳へ届く二人の会話に、拳西にどうにもしてやられた様な気がして阿近は低く唸りながら眉根を寄せた。
「クソッ…移っちまえ…」
さっさと治して何がしかの仕返しをしてやろうと目論見ながら、無駄に使った体力と強引に飲まされた薬の効果で阿近は急激に訪れた睡魔へ意識を落としていった。
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